今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

新幹線放火事件:その時の自分の心を解説

2015年07月04日 | 心理学

7月3日のわがブログの閲覧数が1905PV,訪問者数が637IPに達し(いつもの2倍強)、2百2十万以上のGooブログで618位に達した(ちなみに、2012年5月29日には29位、5459PV,4031IPに達したことがある)。
これもひとえに読者のみなさんのおかげ。

ただ、読者数をのばたいがためにこの話題を引っ張る気はない。
私自身、気分を引きずりたくないので、そろそろまとめに入りたい。

まずは、あの時(6/30の記事「新幹線放火事件に遭遇」)の自分の心の中を、その前日に紹介した”拡大二重過程モデル”(6/29の記事「システム0:二重過程モデルを超えて①」)で解説したい。
 

犯人がガソリンを撒きはじめ、それを見た乗客の避難に追従しての自分の避難行動は、自動反応であるシステム1の作動である(すなわち率先避難者は、居合わせた者の同調行動というシステム1を作動させる)。

そして1号車後方デッキに達した後は、冷静に計算するシステム2が作動でき、「今なら間に合う」という判断によって席に置いてきたキャリーバッグを取りに帰った。
すなわち、危機が迫っている段階でも、そこからある程度の距離を保てれば、冷静なシステム2が作動できるのだ。

だが、犯人がガソリンに着火し、爆発的発火が起きた後は、システム1の独壇場になって、一目散に避難を始めた。

まさに「逃走」事態なので、システム1は身体のシステム0を「闘争か逃走か」の交感神経興奮モードにする。
そして交感神経の興奮は、システム2(前頭前野中心)の作動を抑えてシステム1(辺縁系中心)の活動を維持させる。
ただしこれは異常事態に対する正常反応であって、決して「パニック」ではない(俗語の「パニクる」と混同してはならない)。

避難中の2号車を通過する間はずっとシステム1であるため、事態を読み込めない2号車の乗客に対して「逃げて、逃げて」と簡単なセリフしか言えなかった。

ただ、時折、システム2が思い出したように、自分の手にキャリーバッグが持たれているかを確認させた。

システム1は緊急時に自動的にすばやく作動するので、それに乗っかっていればたいてい生き延びられる。
ただ一旦開始した避難行動を違うモードに変更することが難しいため、「子どもだけでも先に行かせて」という訴えに反応できなかった。

3号車に達して、煙と熱からかなり解放されたことで、システム1に替わってシステム2の作動が可能になり、ここでやっと先の訴えを実行する事ができた。
だから弱者の存在をアピールし続けることは無駄ではない。
日本語が話せない外国人旅行者でも、母国語で叫んでいれば、そのうち周囲が対応してくれる。

システム2は自分の心の中を整理できるのだが、システム1に支配されていた時の自分は記憶もかなり断片的となる。
たとえば、犯人の持っていた白いポリ容器そのものははっきり映像として記憶しているのだが、その映像は通路を歩いていた時なのか、前方でガソリンを撒いていた時なのか、はっきりしない。
でも前者の時ならシステム2の作動時だからきちんと記憶されているはず。
だから後者の時だと思う。
同様にシステム1中の出来事の順序関係も不確かになっている。

 緊急事態が収束し、システム2が主となって2時間たっても、すなわち認知-行動システムが平常にもどっても、システム0の交感神経興奮はなかなか収まらず、心拍数は安静時の2倍で、深呼吸をいくらしても下がらなかった。
この点からも、システム間は相互影響しあっても、作動は別個だといえる。

また、緊急事態では、システム2という自分の冷静な意識の出番がかなり限定されたことがよくわかった。