今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

名古屋の堀川を歩く1:取水口〜納屋橋

2021年12月19日 | 川歩き

帰京も温泉旅もせず、名古屋に留まった本日の日曜。
部屋の大掃除は先週済ませたので在宅での用事はなく、また買い物の用事もないので、ここはひとつ”川歩き”の名古屋版をやってみよう。

名古屋に来て30年にもなるが、週末は上記理由で不在が多いため、栄・大須の繁華街以外にはめったに足を運ばない。
なので恥ずかしながら、いまだ”名古屋知らず”のままの状態。
もちろん、名古屋の川歩きも今回が初めて。
最初に歩く川は選択の余地がない。
名古屋の川といえば、まずは堀川だから(「ブラタモリ」名古屋版でも紹介)

堀川は、その名が示すように、名古屋城から港があった熱田に至るまでの水運用の水路として、名古屋城築城とほぼ同時期の慶長15年(1610)に福島正則によって開削された人工河川で、人工河川ながら名古屋が都市として発展する基礎を作った重要な川。
位置的にも名古屋の中心部を南北に縦断する。

ところが、日本が近代化・産業化してから、特に高度成長期には、用無しとなった川は邪魔者扱いされ、ゴミや廃水の捨て場となり下り、堀川も例外でなくなる。

幸い、堀川を見直す気運が生まれ、ドブ川からの脱却が進行中らしい。

堀川を歩く場合、名古屋城と熱田の間の堀川核心部だけなら6km ほどなので1回で歩けるが、地図を見ると、河口はずっと南の名古屋港に伸び、また上流も名古屋城から北東方向に庄内川にまで延びて、総延長は16kmになっている。
タモリ的な歴史地理散策ではなく、こちらは川歩きなので、やはり水源から河口まで歩きたい。
ということで、今回は堀川の前半、すなわち庄内川の取水口から、名古屋城を越えて、中間地点といえる名古屋中心部である納屋橋まで歩くことにする。


さて、わが藤が丘(名東区)から地下鉄・名鉄と乗り継いで、味鋺(あじま)駅(北区)に降り立つ。
ここから南下して、名古屋の外郭を西から北に大きく巡る庄内川を渡る(この川はJR中央線に沿って岐阜県に達し、土岐川と名を変える)。
庄内川の左岸に、「荘内用水頭首工」と大きく記されている場所があり、そこが堀川の取水口だ。
車が行き交う道路の歩道を歩いていると、後ろから自転車のベルの音がし、私を追い抜きざまに、自転車に乗った若い男が邪魔者を見るように私を振り返っていく。
歩道は歩行者優先で、歩行者は自転車に邪魔者扱いされるいわれはないんだぞ。
腹立たしく思いながら、橋を渡りきると、左側に石造りの施設が見えてきた。
明治期に作られた荘内用水元杁桶門だ。
そちらに行くべく、歩道から左折すると、私のすぐ後ろに、ヘルメットをかぶったサイクル集団がゆっくりペダルを漕いでいた。
彼らは交通マナー通り、歩行者優先を守っていたのだ。

この門から堀川が始まり、左岸に川に沿った静かな道があるので、自転車も来ないその道を進む。
川の水は澄んでいて、川藻が揺らいでいる。
川には大きな白いサギがいて、スマホのカメラを向けると、それを察して飛んでいった。

川沿いは立ち入り禁止ながら、公園風に整備されて、草が♥マークに刈ってある。
このように川に対する愛情が見られることで川歩きが楽しくなる。

堀川が暗渠になって、道がせり上がるところに、矢田川を渡る三階橋があり、堀川沿いに三階橋祠がある。
川に対する敬意が表現された場所なので、私もきちんと手を合わせる。


庄内川よりは小さい矢田川を渡ると、それと直交する方向に堀川がまた出現する。
堀川が矢田川を横切っている形になるわけで、それなら堀川は矢田川から始まってもいいのに、水は矢田川を越えた庄内川から流れてきている。
後で知ったが、堀川の開削後、寛文3年(1663)に名古屋城から上流に延長する時にすでに矢田川を越えて庄内川から取水したという。
そして矢田川の部分はなんと当初から暗渠にして川の下をくぐらせたという。
江戸時代初期でそんな高度な工事ができたことに驚いた。


矢田川を越えると、黒川桶門という木造の水門(景観重要建造物)がある(写真)。
近くに地蔵尊と庚申塔もあり、江戸時代の雰囲気を味わえる。
大きな道路と交差する所では、川沿いに降りる歩道で道路の下をくぐる。
その先は、直線の川に沿った広い遊歩道が続く公園の雰囲気。
道脇の説明板によると、この川は明治になって黒川氏によって開削されたその名も黒川で、堀川の上流部である「御用水」という水路は黒川に沿ったこの広い歩道の下だという。
ということで御用水に並んで流れる黒川が、今では堀川の上流部とされている。

緑に囲まれた快適な遊歩道を進むと、地名自体が黒川となり、頭上に名古屋高速の円形のループ橋が見えてくる(写真)。
面白い風景のためか、若い女性とカメラを構えた1団が川沿い降りてきて、撮影を始める(邪魔にならないよう急いで通り過ぎる)。
川べりに湧水もあったりする。


広い大津通りの信号を渡ると、ここからは名城公園、すなわち名古屋城のある公園内となる。
そうなると川は直角に左折して、いわゆる名古屋城のお堀を形成する。
このあたりから先は川の水は緑に濁っている。

堀川自体は名古屋城の西側を南下し、右岸の道路沿いの歩道を進む。
名古屋城天守閣が見える地点で、堀川の左岸に工事中の壁が続く。
全面改築中のホテルキャッスルだ。

名古屋城エリアから南下するも、ここは地名も「丸の内」で昔なら城内。
でも普通の民家が建ち並ぶ。
かくも江戸城(皇居)の丸の内とは大違いなのは、明治維新時の名古屋城の惨状のため。
気持ちを江戸時代初期に戻すと、名古屋城から南に伸びる名古屋台地に丸の内が伸び、さらに名古屋の都市部を形成して熱田まで延びている(熱田が名古屋の南端)。
その台地の西に沿った低地に堀川が開削されているのだ。


五条橋という由緒ありそうな橋は、城下町名古屋が出来る前の尾張の中心地であった清州からもってきた橋で、中山道をつなぐ美濃路の分岐でもあり、さらにその西には円頓寺商店街が見える。
由緒ある商店街なので心引かれるが、今回は余計な買い物をせず、川歩きを優先する。
といってもこのあたりは川沿いがビルで囲まれて道がないので、一本脇に入った普通の道を歩く(近代都市はかくも川から背を向ける)。
高層ビルが建ち並ぶ名古屋駅にほど近いこのあたりはさすがに民家はなく、オフィス街的雰囲気となる。
歓楽街の錦に通じる錦橋を越えると、川沿いに石畳の遊歩道が始まり、右岸のおしゃれな店のオープンカフェの先を歩く。


橋自体もしゃれた造りとなり、本日の目的地の納屋橋に着く。
欄干も凝っていて、上流側の錦橋ともにライトアップされると映えそう(写真)。
納屋橋の左岸には昭和6年(1931)築の洋館(有形文化財)があり、その1階には堀川ギャラリーという写真ギャラリー兼堀川の案内所がある。
ここは名古屋市管理の施設で、中に入ると、床には堀川全域の航空写真が張ってあり、また堀川に関するパンフが沢山おいてある。
それらを見ると、名古屋市はもちろん名古屋市民も堀川を愛して、きれいで楽しい川にしようと盛り上がっていることがよくわかる。
もとより、この施設自体がそれを証明している。
川歩きを趣味とする者としての堀川に対する好印象を所員に話すと、素直に喜んでくれた。

以上、ここまで8km、2時間の歩き。
次回は、ここ納屋橋から南下する。
ギャラリーを出て左岸の遊歩道を錦橋まで戻り、地下鉄東山線の伏見駅から帰宅した。

川を歩く2:納屋橋〜河口