今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

境川を歩く1

2021年12月05日 | 川歩き

境川とは、東高尾の草戸山(東京都町田市)を水源とし、武蔵と相模の国境(くにざかい)を形成して、最後は片瀬川と名を変えて江ノ島の正面で相模湾に消える、全長50kmほどの二級河川。
今でも上流域では東京都町田市と神奈川県相模原市の都県境を形成している。
川自体は小さい二級河川であるが、水源部と河口部に興味をそそられていたので、その両端部は川歩きの候補になっていた。

ある本を呼んでいたら、水源部手前の流域にある”田端遺跡”(町田市)に行きたくなったので、にわかに町田から遺跡のある多摩境までを今回歩くことにした(前の晩にGoogleマップで流域の見所をチェック)。


川歩きなので、家をゆっくり出ても大丈夫で、小田急線で12時15分に町田に降りる。
東京都の南の半島部にある町田だが、八王子や立川並みの繁華街になっている。
小田急沿線なので歩きの前に駅そばの「箱根そば」を食べるつもりだったが、おしゃれな駅ビルには見当たらず、しかたなしに、空腹のまま、JR横浜線の町田駅を抜けてすぐの境川を歩きはじめる。

この川は両岸に徒歩と自転車専用の道がずっと続いているのがありがたい。
町田駅前の境川ですでに都県境になっていて、右岸の神奈川側を歩く。
すぐそばにミニストップがあったので、おにぎり2個と飲物を調達。

川は護岸はされているものの、川べりは草が生い茂り、川底も自然石などが敷かれて、東京区部の3面コンクリの川とは違う。
なので、川べりには白鷺が大小10羽ほどたむろしている。
こんな多くの白鷺(それに青鷺も1羽)がいる川は、今までの川歩きではなかった。
さらに進むと、鯉の群れがいて(小さくても50cm、大きいのは1m近く)、私が護岸の上から川をのぞくと、鯉が寄ってきて、水面に口を開ける(私は餌はやらない)。

境川は、基本は都県境で、南側の右岸は神奈川県相模原市なのだが、ときたま「東京都管理地」という立て札がでてくる。
wikiによると、もともの境川は小さく蛇行していて、20世紀になってからそれを直線に直したらしい。
なので蛇行時に決めた境だと、北側の東京都の領土が直線化した川の南側に達する場所が断片的に残ることになる。
それでなくても二級河川の小さい川なので、もともと都県境という雰囲気がない(東京区部だと埼玉も千葉も神奈川も境はいずれも大河川なので、他県は川向こうという感覚になれる。その意味でも町田はほとんど神奈川)。

川の両側に樹木が増えてきて、自然豊かな雰囲気になってくると、道から川に降りられる親水広場があって、案の定小学生男子が網を手に長靴で川に入っている。
小学生男子が大の川好きであることは、川歩きのたびに実感する(伝説では、川にいる童子を”河童”という)


神奈川側は「古淵鵜野森公園」に入る道があり、その脇にベンチがあったので、腰掛けておにぎりを食べる。
この公園内に、関東ローム層の露頭があるとGoogleマップで知ったのだが、マップには公園内の道は描かれておらず、ネットで調べても場所がわかりにくいという。
川から離れて公園に向うか迷ったが、川歩きを優先して、露頭近くに入口があったら入ることにする。
やがて横浜線が川を渡る橋の手前に公園に入る道があった。
入ってすぐになんと「露頭」を示す道標があり、その通りに進むとすぐに露頭に達した。
説明によると、上層から富士の噴火によるローム層、その下はなんと九州の姶良火山の火山灰、そしてずっと下に箱根山の分厚いローム層がある。
南関東を噴火で埋め尽くしたのは富士山よりもむしろ箱根山で、さらに九州(鹿児島)の姶良火山は、日本に甚大的な打撃を与えたことがわかる。


さらに川沿いの道を進む。
川はゆるいカーブが続き、対岸の町田側は団地が続く。
相模原側のちょっと入った所にある龍像寺は、Googleマップの投稿で石仏があるということだったので寄り道する。
さまざまな観音の真新しい石仏があった(あと釈迦の一生を浮き彫りにしたものとか)。

川にもどって先に進み、近くの「縁切り榎」に寄り道する。
縁切り榎は、南朝の親王に同行する覚悟を決めた武士がここの榎で妻子と縁を切ったという。
その榎はもう枯れていて株だけが残っている。

川は次第にカーブが明瞭になってくる。
桜美林大学入口を過ぎる頃、あらためて地図をみたら、まだ半分ほどしか歩いていない。
のんびり歩きすぎたようなので(むしろ歩程をきちんと計測しなかった)、ペースを上げることにする。

道脇にある上矢部の御嶽神社(木曽御嶽ではなく、武州御嶽)に参拝し、さらに進むと、道は民家の軒先を通る通路のように心細くなるが、なんとか続いていて、さらにその先では、狭いながらも普通の車がやっと通れる道路になる。
腰に鴻江ベルトをしてこうして長距離を歩いていると、左の股関節が痛くなってきた。
これは鶴見川1を歩いた時と同じ。
鴻江ベルトはバランス矯正用なので、これを着けて痛くなるのは、むしろ歩行バランスが悪いためか。


やっと京王相模原線の陸橋をくぐって、川を離れて坂を上って今回の目的地である田端遺跡に到着。

ここは都内ではめずらしい環状列石の遺跡で、そのレプリカが配置されている。
石の配置は、冬至の太陽が丹沢最高峰の蛭ヶ岳(1673m)に重なるようになっているという。
要するに日時計ならぬ、年間”日カレンダー”なのだ。
時刻は3時半過ぎで陽は西に傾いているが、冬至には半月ほど早い。

丘陵を登って隣接する小山白山公園でトイレを借りる。
この公園は、地下に貯水池があるという(境川が増水した場合の対処だ)。
このあたりは多摩丘陵で、そこに大規模な多摩ニュータウンが建設されたわけで、いかにも人工的な街の風情。
昔から人が住んでいたのは、丘陵を下った境川沿いで、そこには古い神社や史跡があった。


京王相模原線の多摩境駅に着いたのは15時40分。
3時間半かけて歩いた距離は13km。
思っていたより長丁場だった。
※:今回、写真は編集前に誤って削除してしまったので、1枚もなし

境川を歩く2:藤沢から河口・江の島