正月三が日は意地でも家で過ごすが、それ以降の松の内(4-7日)は、正月気分を味わいながらも、
ナマった体を動かすのにはウォーキングを兼ねた”七福神巡り”が最適。
東京も地元の谷中をはじめとして、各区ごとにあるほどの密集状態なので、むしろ選ぶのに苦労する。
地元に近い谷中(北区・荒川区・台東区)は幾度も巡り(最近はコロナ禍の2021)、
その後は雑司ヶ谷(豊島区・文京区:2022)、山手(港区・目黒区:2023)と巡った。
そこで今年は、数ある都内の七福神の中で、紅一点の弁天を基準に、日本橋(中央区)と千寿(千住:足立区)が候補に絞られた。
日本橋は、水天宮の弁天が正月5日までと巳の日にのみ開帳。
もう5日を過ぎているが、6日は幸い巳の日。
千寿は、弁天のみが由緒ある石仏(他は七福神巡り用に設置)。
また日本橋は、人形町駅周囲にこじんまりと集まっていて、都内で最も短時間・短距離で回れる。
それって便利だが、言い換えると、ウォーキングとしては物足りない。
千寿も北千住駅から一周で回れる。
そこでまずは日本橋を巡り、日比谷線で人形町から北千住に移動して千寿を巡る、すなわち七福神巡りの”はしご”をすることにした。
自宅からは地下鉄の乗り継ぎの都合で、半蔵門線の水天宮(弁天)が行きやすいので、そこで降りて、地上に出るともうそこは水天宮の脇。
旗を持った他県からの「歩こう会」の団体さんとかちあってしまい、水天宮は一挙に混雑。
なので本殿参拝は諦め、本日開帳日の弁天参拝の列に並ぶ。
金色の弁天様をガラス越しに拝む(写真)。
ここ水天宮は、都内で唯一と言っていいくらい妊婦の帯祝いなどの安産祈願が有名で、
初詣・七福神巡り以外に赤ちゃん連れの参拝客も繰り出してくる。
いわば日本橋界隈で一番混む神社なので、目的の弁天も拝めたことだし、早々に後にする。
大通りを渡って、松尾神社(大黒=大国主)に行くが、小さい神社に参拝客が長蛇の列となってるので、列の外から距離をとって参拝し(願掛けはしないので、これでok)、
社務所で、日本橋七福神の宝船付きの人形セットを買う(5000円)。
七福神巡りの記念品は、それ専用の色紙に参拝先の朱印を7つ集める形式が多いのだが、一部、七福神人形を販売している所もある。
そしてここ日本橋だけは、七福神人形に”宝船”がついたセットを七ヶ所のどこかで買える(水天宮は売り切れ)。
5000円は安くはないが、縁起物だし、今後もずっと飾っておけるので、色紙よりは飾り甲斐があると思い購入する(最下写真)。
実はこれを買うのも日本橋を選んだ理由。
末廣神社(毘沙門天)も長い行列なので、遠方からの参拝で済ませ、笠間稲荷(寿老人)・椙森神社(恵比寿)は、行列が短かったのできちんと参拝。
小網神社(福禄寿)も大混雑なので、遠方から参拝し、最後の茶ノ木神社(布袋)は人が少なく並んで参拝した(ただし布袋の像は見当たらず)。
以上、3ヶ所ほど行列に並ばなかったので、ここまでで約1時間。
はっきり言って、日本橋七福神は、参拝者がキャパを超えている(遠方の歩こう会の団体まで来る始末)。
正午過ぎたので、昼食にそば店を探すが見当たらなかったので(うどん店はあり)、人形町から日比谷線に乗って北千住で降り、駅前の富士そばで腹ごしらえ。
旧日光街道である商店街を北上し、観光案内所で七福神巡りの地図をもらい、千住元氷川神社(大黒天)を参拝。
こちらは日本橋と違って、ほとんど行列がないので、きちんと参拝できる。
また、各神社で担当の七福神の人形(700円)を売っており、全部揃えると4900円になる(7人を乗せる専用の台(≠宝船)も売っている)。
そこから住宅街の路地を北上して、荒川の堤防下を進むと、大川町の氷川神社(布袋)。
ここには、溶岩で造られた立派な富士塚もあって、上部まで上がれる(頂上には立てない:写真は山頂部からの眺め)。
私は富士塚を見ると、立ち入り禁止でない限り、必ず登拝する。
ここの富士塚には本物の富士山と同じく(山腹を一周する)お中道もあり、一人で富士塚の中をぐるぐる回っていると、それを見て他の参拝者も登りにやってくる。
荒川に並行した路地を進んで達した元宿神社(寿老人)では、地元の人がお茶をサービスしてくれる。
ここからしばらく南下して、千住の鎮守である千住神社(恵比寿)に着く。
ここにも富士塚があるが、残念ながらここのは7月1日の山開きの日以外は立ち入りできない(そういう残念な富士塚が多い)。
ここの恵比寿像は、参拝者が手で像を3回して(男は左、女は右=陰陽の原理)、願をかけたい部位をハンカチなどで撫でるという。
なので、一人当たり時間を要するが、混んでないのが幸いで、マイペースでできる。
現日光街道(国道4号)に出て、八幡神社(毘沙門天)を参拝し、道を渡って、大きな狛犬のある稲荷神社(福禄寿)を参拝。
そして最後の仲町の氷川神社は、今までの七福神巡り用石像でない、もともとある弁天の石像を拝める。ここの弁天は江戸時代の作で、二臂でありながら持ち物が琵琶
でなく、八臂弁天が持つ剣と輪(リン)のようで、さらに像の下に三猿(見猿、聞か猿、言わ猿)が彫られている珍しい形態(右写真)。
三猿があることから庚申塔でもあったらしい。
千寿では各所で担当神の人形を売っているが、すでに日本橋七福神の宝船付き人形を手にしている私は、弁天だけ社務所で人形を買う(下写真)。
千寿七福神巡りは約2時間かかった。
ここから旧日光街道の商店街(千住宿)を通って、北千住駅に出て、ここ始発の都バスで自宅に戻った。
以上、七福神巡りをはしごして、宝船付きの七福神人形と、別サイズの弁天人形を得た(右写真)。
ちなみに、今回の七福神はいずれも14の神社で祀られていて、恵比寿以外は神道の神でないから、今の神社は(維新後と違って)異教の神※にも寛容になっているといえる(これが神道本来の態度)。
※:大黒・毘沙門・弁天は仏教に取り入れられたヒンズー教の神。布袋は仏教の坊さん(弥勒菩薩とも)。福禄寿と寿老人は道教の神。これらに神道の恵比寿を加えた「七福神」はアジアの多神教を融合した”メタ多神教”を実現している。七福神こそ、不寛容な一神教に対抗する宗教融合の象徴であり具現である。