今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

鳩ヶ谷の川口市郷土資料館

2022年09月04日 | 東京周辺

図書館に行かない日曜は、郷土博物館巡りをする。
今回は都外に足を伸ばそうと、まずは東京に隣接する埼玉県川口市に目をつけた。
市内の鳩ヶ谷に川口市立の郷土資料館があり、そこなら最寄の地下鉄駅から乗り換えなしで行ける。
すなわち東京メトロ南北線は北上して埼玉高速鉄道(SR)になるのだ(ただし運賃がグッと上がる)。


地下から地上の鳩ヶ谷駅に出ると、まず地元産品が展示してある。
竹細工が伝統らしく、釣竿から尺八まである。
鉄路としては新しい駅の周囲は、いかにも新興住宅地的な雰囲気。
まずは昼食に、駅近くの「ぎょうざの満州」に寄り、焼きそばセット(餃子6個付き)を食べる。

駅の反対(東)側に行き、坂を登って挨拶として地元の鎮守・鳩ヶ谷氷川神社を参拝。
氷川神社の本社は大宮(さいたま市)にあり、支社は旧武蔵国のとりわけ埼玉県内に多い。
なので埼玉の町に行けば、たいてい氷川神社と「ぎょうざの満州」がある。
境内の摂社は浅間神社、三峰神社、古峰神社(いずれも山岳系)、それに弁天様。


神社の先の旧市街に目的の郷土資料館(川口市立文化財センター分館)がある。
資料館ながら単独の建物で、入館料100円払うと、特別展の資料とアンケート用紙を渡される。
2階に上がると、企画展の赤山陣屋跡遺跡と常設展示。

赤山陣屋跡というのは、江戸初期に「関東郡代」と称して活躍した伊奈忠治の陣屋跡で、その陣屋跡の下から縄文時代の「水場遺構」(周囲の集落が共同で栃の実などを加工した場所)が発掘されたのだという。
ということで、資料館では縄文時代から、江戸時代の伊奈氏、そして日光御成道(将軍様が日光社参に使う街道)の宿場としての鳩ヶ谷宿の歴史の展示が展開されている。
しかも体験コーナがあって土器や須恵器など(たぶんレプリカ)を手で触れる。

川口市というと、まずは川口の鋳物やキューポラが思い浮かぶが(あと風俗街?)、いわゆる川口とここ鳩ヶ谷は、御成街道上の別の宿場で、さらに明治以降、鳩ヶ谷は川口と合併したものの、一旦分離し、また合併したという複雑な関係の歴史がある。
すなわち、鳩ヶ谷は同じ市内ながら、”川口とは別!”という自負があるようだ。
何しろ、市内唯一の資料館でありながら、展示内容はほぼ鳩ヶ谷の紹介に終始している(川口の鋳物も紹介はしてある)。

例えば、私も愛用しているブルドッグソースは、鳩ヶ谷の工場が発祥で、「鳩ヶ谷焼うどん」という地域メニュー専用のソースもあるらしい(だたし私は焼うどんは醤油派)。

3階では、鳩ヶ谷生まれの小谷三志という人の展示がある。
彼は文化文政の頃、富士講を元に男女平等を唱える不二道という実践道徳的な宗教を創唱したという。
※:陰陽思想本来の陰陽対等な陰陽和合を旨とし、江戸時代に流布していた陽尊陰卑を論拠とする男尊女卑を否定。その実践として、女人禁制であった富士山に女性を連れて行って登頂させた。

そして二宮尊徳とも親交があり、尊徳の思想に影響を与えたとも。
富士講にはもともと興味があったので詳しく知りたいが、特集の冊子はなかった。

ローカルな博物館巡りには、こういう予想外の(一般書籍にはならない)ローカル情報と出会えるのが面白い。

別室には、近代彫刻の先駆者とされる鳩ヶ谷生まれの大熊氏広の展示がある。
靖国神社にある大村益次郎の銅像が有名らしいが、私にとっては八甲田山雪中行軍記念像の方(八甲田山入口の馬立場にある)が印象的。
これら二人が鳩ヶ谷が誇る郷土出身者ということだ。


赤山陣屋跡にも資料館があるというので、そこへの道を教えてもらって行くことにする。
宿場町の雰囲気が残る鳩ヶ谷の街道沿いの道(なんと古い円筒形の郵便ポストがある。さすが旧街道:写真)を進むと、地蔵院という寺があり立ち寄る(帰宅後資料を読むと、ここに小谷三志の墓があった)。
ここには、縁結びの優しい顔の地蔵石仏と、不動堂、本堂の後ろに椨(タブノキ)の神木がある(神木には鈴のついた紐がついていて、木に直接触れずにこの紐で木にお参りくださいとある。
神木に素手で触れるエゴイズムを排している正しい措置だ)。
私は、紐にも触れずに、柵の外から手をかざして神木と気の交流をする。

赤山陣屋跡近くのイイナパーク川口(赤山歴史自然公園)という自然豊かな公園内に歴史自然資料館(無料)があるが、建物は新しいが展示はごく小規模で伊奈氏の歴史については鳩ヶ谷の資料館の情報で足りて、蝶の標本に興味がなければあえて立ち寄るほどでない。
公園内には伊奈忠治の銅像がある(大熊氏広レベルの出来ではない)。


ついでなので、近くの赤山陣屋跡(広大な敷地)に向かう。
跡地を示す石碑には「赤山城址」と掘られているが、江戸時代の代官の居住地なので城ではない(なので”山城巡り”の対象とはしない)。

あたりは農村というより農園で、同じ市内の”安行”(あんぎょう)とともに植木の農園が盛んな様子(つまり都市部ではなくなっている)。
さらに北上して、西福寺という珍しくも三重塔がある寺(百観音と称されているが、本堂内にある百観音は拝観できない)を見て、戸塚安行駅から帰途についた。

以上、川口というより鳩ヶ谷を堪能した。



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