今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

リニューアルした品川歴史館へ

2024年05月05日 | 東京周辺

私の新たな趣味となった”郷土博物館巡り”は、充実した県立博物館と近場の東京23区の区立博物館を優先している。

東京23区では、品川区の「品川歴史館」がしばらく改装中で”お預け”状態だったが、先月下旬にリニューアルオープンしたので、満を持して訪れることにした。

各地の郷土博物館は残念なことにたいてい駅から遠い所にあり、品川歴史館も例外ではなく、大井町駅からバスの便となる。
※:大森、品川、蒲田からの便もあり。

京浜東北線の大井町駅で降りる(この駅に下りたのは過去に1度しかない)。

こういう滅多に来ない地こそ、地元の町中華で五目焼そばを食べたいが、あいにく開店前の時刻(11時前)なので、チェーン店の「富士そば」で昼食を済ませる。

駅前(中央西口)から蒲田行きのバスに乗り、鹿島神社前で降り、少し戻ると、趣向を凝らした立派な建物がリニューアルした品川歴史館。


入館料は(たった)100円で、展示室入り口で、 渡されたQRコードをかざす(これが最新式の入場法?)。

展示スペースは1フロアのみだが、映像情報を駆使している(写真:上部壁面に区の歴史を網羅した動画が流れる。写真のシーンはモースが電車内から貝塚を発見する直前)。

まず品川区最古の人類の足跡は縄文時代の9000年前ということで、他の区よりは遅め。
ところが、ここ品川区には、日本で最初に発見された縄文時代の貝塚「大森貝塚」がある。
なので考古学そのものはここ品川区から始まった!

古代になると大井に東海道の宿駅ができた(次の駅は豊島)。
そして中世になると、大井氏とその系列の品川氏が鎌倉幕府を支える位置につき、室町時代になると、品川港が大繁盛し、寺町も形成され、文化人もやってくる。
品川があっから太田道灌も江戸城を建てられた。
すなわち、大都市東京いや大都市江戸の出発点は品川だったのだ。

江戸時代になると、東海道の一番目の宿場としての品川宿が栄える。
当時の旅人は日本橋をあえて夜に出発し、品川宿で朝食を摂ったという。
宿場裏の御殿山は、桜の名所として江戸市民の行楽の場となる。

明治になっての日本最初の鉄道は、新橋—横浜間ではなく、その4ヵ月前に仮営業した品川—横浜間だったとのこと。
その時もう八ツ山橋の陸橋ができ、後のゴジラ映画の重要ポイントとなる(この記述は展示にない)

関東大震災では都心の被災者たちの移住先になり、その後の発展の基礎になる。

2階には大森貝塚発見者のモースの展示スペースがあり、また一階の外には庭園があって、竪穴式住居の土台や移築された茶室もある(見学可)。
歴史館の敷地自体が、茶室の庭園と一体となっている。


ここを見学したら、南にある大森貝塚遺跡に行かねばならない。
その手前にある来迎院の念仏供養塔と鹿島神社も一緒に訪れる。

遺跡公園内の線路沿いに昭和初期に建てられた格調高い石碑(写真)がある大森貝塚は、大田区の大森ではなく、ギリギリ品川区にある。
ついでに、品川駅は港区にあり、しかも品川駅の品川駅がある(さらに目黒駅は品川区)。
すなわち新幹線も停まる品川駅は品川区の名所ではないが、大森駅に近い大森貝塚は品川区の名所なのだ。

大森貝塚遺跡からさらに南下して大田区に入り、本堂内に上がれる大森不動尊(成田山圓能寺)を詣で、隣の大森山王日枝神社を経て、大森駅に到着。
このように大森と結んで訪れるとよい。



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