博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『漢字五千年』その2(完)

2009年05月14日 | TVドキュメンタリー
今回は後半の第5集から第8集まで。

第5集「翰墨情懐」
書法・書道について。王羲之や顔真卿、蘇軾などの書家の事績を紹介。李世民が王羲之の書にこだわったのは江南の民の心をつかむためであったとする。また唐以後は科挙において「以書取士」の方針が敷かれ、科挙に登第するには館閣体と呼ばれる書体をマスターする必要があるとされた。学才がありながら字が下手でなかなか進士に登第できなかった龔自珍のエピソードを紹介。また能書家であってもその人の人格が伴わなければその作品が正当に評価されないという伝統があるとし、蔡京・秦桧・厳崇らはそのような人格の劣る書家であったとする。

第6集「天下至宝」
書に関する道具・技術の発明について。毛筆は伝説上では秦の蒙恬が発明したとされるが、実際は戦国時代の楚の遺跡から出土例がある。毛筆は元々は絵画のために用いられ、文字出現以前から存在したと推測される。その他秦漢の竹簡と帛書、紙の発明と蔡倫、中国において印刷術が印璽や石碑から拓本を取る技術から産まれたと考えられることなどについて。

第7集「浴火重生」
阿片戦争後、外国語・外国文化と真摯に向き合わざるを得なくなった中国。特に新文化運動以後は漢字そのものが旧文化の象徴として批判対象となり、漢字の簡化・表音文字化の試みがなされていく。それが新中国後の簡体字とピンインの導入へと繋がっていった。またコンピュータ上での漢字の入出力が困難と目されたことも漢字簡化政策の推進に拍車をかけたが、現在では却って技術の進歩により漢字の電脳化がほぼ達成され、漢字は再生を果たした。

第8集「芳華永駐」
世界で学ばれる漢語、そして漢語教育の拠点として世界に広がる孔子学院について。その他、清代の典礼問題やエスペラント語について取り上げる。エスペラント語の失敗は言語を単なる工具と見なしたことで、根(文化背景)の無い言語は普及しえないとする。


前回紹介した前半部分が古文字篇で、この後半部分がその他諸々篇という感じですね(^^;) 繁体字復活論との絡みでキモとなるのは第7集ですね。第8集は全編孔子学院の宣伝となっており、かなり退屈でした……
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2 コメント

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エスペラント (川魚)
2009-05-15 03:59:16
エスペラントに、そういう評価がありましたか、

わたしはむしろ、
「エスペラントは、その言語を使って、文化的な分野、小説や歌などを創ったり、翻訳したりしたので、普及率が高かった」と聞いてました。

できるだけできて、すぐに忘れ去られていった人工言語は、
けっこういっぱ~いあったみたいです。

かくいうわたしも、小さい頃は、新しい文字とか、よく考案していました(笑
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Unknown (さとうしん)
2009-05-15 20:44:02
>川魚さま
エスペラントの陰には人知れず消えていった有象無象の人工言語があったわけですね(^^;)

このくだりは「漢語にはエスペラントと違って紀元前からの文化背景がある→世界共通語として普及する条件は十分満たしている」という理屈を導き出すためのもので、必要以上にエスペラントを貶めている感がありますね。
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