博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

『問君能有幾多愁』その5

2009年05月06日 | 中国歴史ドラマ
『問君能有幾多愁』第 27~33話まで見ました。

北宋では趙光義が持ち帰った情報をもとに後蜀に出兵し、君主の孟昶はあっさりと降伏を決意。母親や花蕊夫人とともに開封へと向かいます。それで趙光義が孟昶と花蕊夫人に「俺の顔に見覚えがあるだろう?あの時は世話になったな!」と正体を明かすわけですが、花蕊夫人はあからさまにキモがってます(^^;) 

で、その後も孟昶を毒殺したり、花蕊夫人にセクハラしまくったり、更には趙匡胤が北漢に親征している間に花蕊夫人を手籠めにしたりと悪行三昧。この後も基本的には趙光義のターンが続くはずなので、後々の展開を想像するだに胸糞が悪くなってきます(-_-;) 下の画像のごとく趙光義の人相も段々悪くなってきてます……



一方、南唐では李が家敏を新たに国后として冊立しようとしますが、その報告を聞いた趙匡胤が「娥皇が亡くなったばかりなのに、もう新しい国后とは…… しかも娥皇が亡くなる原因となった家敏など言語道断っ!」と激怒し、あてつけのように重臣趙普の従姉妹を李の后とするよう命じます。李はやむを得ずこの命令を承諾し、自ら北方へと新婦を迎えに行きますが、そこで当の新婦が結婚を嫌がって出家してしまうという事件が発生。

趙普と趙光義はひとまず李一行を軟禁状態にし、事件をもみ消すためにいっそのこと李を亡き者にしてしまい、更には君主がいなくなった南唐を一気に併合してしまえば一石二鳥ではないかと悪だくみ(^^;) そこへ折良く現地に居合わせていた家敏が軟禁解除のために奔走し、趙匡胤も事の次第を知って婚姻の取り消しと李の帰国を承認。そしてその功績もあり、家敏が国后として冊立されたのでありました。

なぜ家敏が都合よく現場に居合わせたかと言うと、李が趙普の従姉妹を国后とすると聞いて人生に絶望。→江正の寺で出家したいとか言い出す。→江正は出家を思い止まらせるために師匠に説得してもらおうと、師匠の寺のある北方へと彼女を連れ出する→たまたま李一行と遭遇。というコンボによる次第。もう何からツッコんでいいやらわかりません(^^;)

趙匡胤は北漢親征が不調に終わった後、南漢については首尾良く版図に収め、今度は南唐がターゲットとなるわけですが、娥皇との約束をタテになかなか南唐征伐のゴーサインを出しません。当の李はと言えば、帰国後仏教を妄信したり、重要な局面で佞臣を言うことを信用しちゃったりと徐々に暗君化が進んでます。段々南唐滅亡のフラグが立ってきた感じですね。
コメント (2)
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