市議会薬局はヨーロッパでずっと同じ場所で開局し続けてきた薬局の中で、最も古い歴史を持つ薬局の一つです。薬局の記録は1422年から残されているが、その時既に三代目であった。薬剤師はリヴォ二ア、ポーランド、ドイツなどからやって来て最初はクラブのようなものでお酒を飲むことが出来、人々の交流の場所だった。1580年から10世代勤めたブルハルト家はロシアのピョートル大帝の死の床にも呼ばれたと言う。現在も薬局として営業しており、ハーブティや15世紀のレシピで作られたスパイス入りのワインが売られています。このワインを買おうと思って出かけたのですが、これも何故かパスしてしまい、また歯軋りしています。 理由は解っている。蛇のマークは毒が積み重なったら食べてあげます…という意味だそう。
聖カタリーナ教会はタリン最古の修道院の教会であった。その跡に添ってある小道を聖カタリーナと呼んで、旧市街で最も美しい通りと言われている。周りはギルドのあった場所で、今では伝統的な手法でガラス、帽子、キルト、宝石、絹製品などを作って観光客に売ったり、作業をしている所も見せているそうです。どうしてして行かなかったか?悔しくて今歯軋りしています。
下街を廻る城壁の外側に14世紀に造られたヴィル門があります。最初は泥道であったが、その後ドイツ商人が働いて現存のような味わい深い石畳になった。今日では下街への重要な入り口の一つで魅力的なその周辺は旧市街で最も人通りの多いひとつだそうです。
”台所を覗け塔”と付けられている塔。(ドイツ語だそうです)リヴォ二ア戦争で大きな被害を受けたので今でも石や鉄の砲弾の後が見えます。この塔の窓からは街の人々の台所が手にとるように眺められたところから兵士がつけたそうです。後方に見えるのは”娼婦の塔”と言い娼婦の牢獄だった塔ですが、今は”乙女の塔”と呼ばれ1980年にはカフェがオープンし眺めの美しいカフェとして人気があるそうです。
城壁建設に関する最も最古の文書は、1265年にデンマークのマルガレーテ王女が町の守りのため城壁の建設を始めたとある。16世紀初頭には城壁全体の長さは2.35kmもあり46の塔があったが、現在は1.85kmに27の塔が残っているといいますから、その景観は素晴らしいものです。
この旧市庁舎は唯一北欧に現存する中世の市庁舎。石灰岩出来た2階建ての後期ゴシック様式で1404年に建てられ、市議会が下町の生活に関する重要な問題について決定を下していた。写真の右下のアーチの横には鉄製の首かせが残っていて町の住民への見せしめで、馬泥棒や強盗、その他の犯罪者に警告するためで合ったが、19世紀初めまで旧市庁舎の広場では石柱のさらし台が使われていたそうです。現在はレセプション、文化イヴェント、コンサート、展示会などに使っています。
13世紀前半に建てられた騎士団の城。支配者が変わるたびに増改築され、現在の姿になったのは18世紀後半、エカテリーナ二世が知事官邸として使うため改築させた。そのため城というより宮殿に近いものとなっている。現在でも政府が使っています。正面の装飾はバロック様式でエストニアの紋章が見えます。