若い頃、食べる事にあまり興味がなかった長女が家族のため手を変え品を変え食事の支度に励んでいます。その辺のレストランに負けない烏賊墨のリゾットなど簡単に作っています。美味しかった。長女は週5日、変則勤務の薬剤師として調剤薬局へ勤めている。勿論二人のティーンエイジャーの子どもがいる母親であり、主婦であり、家庭教師(高校生と大学一年の二人の子どもと勉強する)、盲導犬の親犬の世話ボランティア、はたまたこの度は介護師までつとめ八面六臂の忙しさ。小さな細い体でとても心配になりました。夜9時になるとテレビを消して皆それぞれ勉強を始める。父親もパソコンを開き研究の資料の整理…と皆一生懸命です。娘に言ったら”ママ、今解ったの?私はずっとこういう生活だよ”ですって。我が子なながら感心した。
約一ヶ月の入院を終わり退院。長女の家に三週間世話になった。孫たちが喜んで”五つ星ホテルへようこそ”なんて書いて歓迎してくれた。手巻き寿司などしたことはない。都会で良いなま物など手に入らないのに工夫をして、赤身の鮪も漬けにゴマ油をたらしたり、焼肉とサラダ菜を挟んだり工夫しています。離乳食まがいの一ヶ月、娘一家の歓待が眩かった夜です。
孫娘が私のレントゲン写真をデザインしてカードを作ってくれた。グロテスクな写真を色やお花で飾って”Thank You"のカード。彼女はこの春高校二年生になるがTOEIC,880ポイントの持ち主。”Mさんはもう海外で仕事が出来るね”…と先生に言わしめた。お頭もいいが美術や音楽のセンスもあるし、来年は進路を決めるのに大変でしょう。(孫自慢すみません)カードを主治医に見せたら”こんな事する人初めて”と言っていた。勿論退院時にK先生、看護師、ヘルパーさんに皆で見ていただくよう差し上げました。
脊隋脊柱科の患者には取り立てて特別食は無いように思う。しかし脳卒中患者は減塩と嚥下のし易い食事らしく私たちも同じ。離乳食のようなものが多く辟易した。勿論魚が多いが骨が全部取り除かれている。これは節分の日の夕食,豪華です。減塩は退院の頃には美味しく感じるから不思議です。手術前の800ccの貯血は使う必要がなく身体に戻されました。術中、ガーゼで拭き取られた血液は特殊な液に浸し分離機にかけ体内に戻すと聞きました。現代医学は凄いですね。そうそう、手術室へ入る時、好きな音楽を流してくれると言うのでバロックを希望したら、今思えばそれを聴きながら手術台へ上ったような気がした…その後の記憶は真っ白け、こんな精神的ケアもするのですね。
入院中良いお天気が続き日の出が美しかった。日の出の左端にベイ・ブリッチがありこの病院との中間に娘の家がある。朝6時には看護師からお決まりのチェックを受け、7時半ごろ食事。8時半には主治医のチェック、K先生は朝晩必ず様子を診に来て下さり実に親切でした。患者の大きな慰めにもなり信頼関係が益々深まるように思います。ある朝、男性がカーテンを開けに来た。はてな?と思ったら彼は”看護師で~すカーテンを開けま~す”と叫んでいた。看護師は皆きびきびと仕事をし、励まし慰めの言葉などかけてくださり、心の支えにもなり尊敬の念を深くしました。
病室の窓外は大きなマンションが見える、しかし緑が多く騒音もなく静かな病院です。何しろどちらかと言えば外科的な治療が多い病院ですから内科的な災いのない明るい感じがします。リハビリテーションにも力を入れているので一般病室に戻るとすぐに理学療法士がやって来て、ベッドや廊下(廊下も幅5,6mある)でのリハビリが始まった。三日間寝たきりだったので筋肉はすべて落ちてしまいよろよろ歩きで我ながら驚いた。階下には広いリハビリテーションセンターに付随して1000平米ほどの坂道や、階段、丘陵、山道ありの小運動場が造られていて、数週間ぶりの野外の空気は気持ちが良かった。
一人部屋をと考えて用意はしたのですが、満室で覗かせて頂いたら余分な空間が多く殺風景、幸い四人部屋でも窓側が与えられ、車椅子を使う患者が多いのでスペースはとても広い。私はI C Uに一昼夜滞在しその後重篤ルームに二泊した。
その時凄い事を目にしてしまった。隣に少々気味の悪い青年がいた。術後の患者の部屋にも拘わらずスタスタ歩いて看護師に何か抗議している。突然事務長らしき男性がやってきて部屋を変わるよう、そしてまず横のテラスの隠しカメラを撤去するように伝えた。胸がドキドキした。彼は向かいのベットの10歳ぐらいの女の子(脊髄カリエスか?)をねっらっていたのです。女の子は幼女ながら髪の毛を洗えばカラーで捲いて自分でセットしている。重篤ルームで長い髪の毛にカチューシャをして…不思議だなあと思った。丁度フランスの画家で晩年スイスで暮らしたバルテュスの絵に出て来るような女の子。
鉄材や木材をガラガラ崩し彼は「最後まで撮れなくて残念」…と嘯き、女の子のカーテン内に入ったので又びっくり!「ご飯をちゃんと食べれば元気になるからね」と出て行った。都会ってこんな立派な病院でミステリアスな小説か映画のような事が起こり得る。わが身のしんどさも忘れたひと時でした。
その時凄い事を目にしてしまった。隣に少々気味の悪い青年がいた。術後の患者の部屋にも拘わらずスタスタ歩いて看護師に何か抗議している。突然事務長らしき男性がやってきて部屋を変わるよう、そしてまず横のテラスの隠しカメラを撤去するように伝えた。胸がドキドキした。彼は向かいのベットの10歳ぐらいの女の子(脊髄カリエスか?)をねっらっていたのです。女の子は幼女ながら髪の毛を洗えばカラーで捲いて自分でセットしている。重篤ルームで長い髪の毛にカチューシャをして…不思議だなあと思った。丁度フランスの画家で晩年スイスで暮らしたバルテュスの絵に出て来るような女の子。
鉄材や木材をガラガラ崩し彼は「最後まで撮れなくて残念」…と嘯き、女の子のカーテン内に入ったので又びっくり!「ご飯をちゃんと食べれば元気になるからね」と出て行った。都会ってこんな立派な病院でミステリアスな小説か映画のような事が起こり得る。わが身のしんどさも忘れたひと時でした。
足腰の痛さを二年も抱え苦しんで来ました。、Y市立病院の脊髄脊柱科を娘が探してきて挑戦したのです。脳卒中・神経脊髄に絞った専門病院、スペシャリストに巡り会い六時間の手術に耐え生還したところです。グロテスクですみません…K先生の美しい芸術作品を背負ったと思っています。お陰で”I have some metals in my body”になってしまい、出入国には申請しなければならなくなった。一ヶ月の入院生活後、娘の家で三週間過ごし痺れ痛みもなくなり只今家に戻ってリハビリテーションの毎日です。