Mrs.Uponwaterのブログ

日記です♪

高館の芭蕉句碑 夏草や…

2013-11-30 16:50:11 | 旅行
芭蕉が門人曾良と平泉を訪れたのは元禄2年(1689)の6月、高館に立ち眼下に広がる夏草の風に揺れる様(前頁の北上川と衣川)を眺めた芭蕉は百年にわたり平泉文化を築き上げた藤原氏の栄華や、ここに果てた義経を思い詠んだ句が、かの有名な「国敗れて山河あり…」に続く”夏草や兵共が夢の跡”です。泪が流れて仕方がなかった…と書いている。歴史に疎く無粋な私でも、平泉の空気に触れ遥か古に思いを馳せた時胸に迫るものがあった。

北上川と衣川

2013-11-30 16:40:29 | 旅行
高館から望む北上川です。高館からの眺望は平泉髄一といわれ、東にとうとうと流れる北上川、東稲山が見え、西からはかつてその流域で前九年・後三年の役の戦いの場であり、弁慶立ち往生の故事でも知られる衣川が北上川に合流しています。(衣川は遥か彼方)

高館義経堂

2013-11-30 16:19:03 | 旅行
義経終焉の地高館です。兄頼朝に追われ少年期を過ごした平泉に再び落ち延びた源義経は藤原三代秀衡の庇護のもと、ここ高館に居館を与えられた。しかし頼朝の圧迫に耐えかねた秀衝の子泰衝の急襲にあいこの地で妻子と共に自害したと伝えられています。運命に翻弄されこの平泉で31歳の短い人生を終えた義経や義経を信じ戦い抜いた弁慶、それぞれの生涯に想いを馳せ数々の物語が今も伝えられています。

弁慶堂

2013-11-30 14:53:02 | 旅行
月見坂の途中、弁慶堂があり義経像と弁慶像が納められている。立っている等身大と言われる弁慶像1.7m以上もある大男だった。文治5年(1189)二人は衣河舘で源頼朝の軍勢に攻められ、弁慶は戦死義経は自害する。弁慶の擬宝珠に刻まれている銘から文政10年(1827)に建立されたことが分かった。

弁慶の墓

2013-11-30 14:40:22 | 旅行
中尊寺の参道月見坂の入り口付近に弁慶のお墓(松ノ木の根元後方石塔)がある。「吾妻鏡」に文治元年(1185年)11月の項に京都から奥州へとのびる源行家・義経の従者の一人として「弁慶法師」「武蔵坊弁慶」の名が出ているそうです。しかし弁慶の生涯はほとんど分かっていないと言う。

芭蕉の句碑

2013-11-29 11:10:53 | 旅行
金色堂の横に有名な芭蕉の句「五月雨の降り残してや光堂」の碑がある。1746年江戸時代中頃に建立されたそうです。1689年梅雨の季節、平泉を訪れた芭蕉は500年の昔を偲び詠んだ。しかし金色堂は旧覆い堂の中にあり雨の中で輝いていた訳ではない…といいますが重箱の隅を突付くような事、いいではないでしょうか。

中尊寺蓮

2013-11-28 22:20:43 | 旅行
800年の眠りから覚めた蓮の花が平成10年に咲いたそうです。四代泰衡の首桶の中から25粒の蓮の種が出て来て、東大の先生が発芽を試みていたが上手くいかず後年弟子が成功した。薄いピンクの古代蓮、ロマンがあります。ツタンカーメンの黒えんどう豆もそうでした。私も数年前庭先でツタンカーメンえんどう豆を作っちゃった。それにしても種の発芽能力には驚きます。