無意識日記
宇多田光 word:i_
 



タイトルの通り、私の『SCIENCE FICTION TOUR 2024』は2024年8月31日土曜日と相成りました。嬉しい。ヒカルが観れるぜ。A席だから豆粒みたいなもんだろうけど、私は会場の反応がよく見えるのも好きなので需要と供給が合致したと言っていい。Kアリーナの音の良さをどれだけ活かせているか、この会場に来たくても来れなかった人の分まで魂に刻み込んできますね。何よりもその日を無事に迎える為に安全と健康により一層気をつけて生活して参ります。


で。その感情はその感情としてある一方で、自分の当落を確認するよりも先にXのTL上でいろんな人達の阿鼻叫喚を読んでたもんだから、手放しで喜ぶというわけにもいかなくてな。やっぱり、行きたがってた人が落選してるのをみると悲しい気持ちになる。

まだまだこの先U-NEXTもあるしリセールもあるし、ひょっとしたら綾鷹枠もあるかもしれないし、気を落とさずに…と声を掛けるのもひとつあるだろうが、もし自分がこのタイミングで落選してたらちょっとすぐには立ち直れなくて次のチャンスを伺おうという気分にはなれてなかったかもしれない。もう何日か、或いは何週間か落ち込んだ後に、やっと「まだチャンスはあるのかな」と少し思い始められる程度じゃないかなー。なるべくこの日記でも、それ以外の私生活でもチケットの当落について考えないようにこの2週間過ごしてきたのだけど、それでも気が気じゃなかったからね。結構な精神的負担だったんだと思う。当選してもそれが報われたかというと、うん、結構心理的疲労は残ってるね。解消されたわけじゃない。ならば落選していたらもう…推して知るべしです。


しかし、うん、4月17日の時点で「CDシリアルの当選確率は20%台」と書いたけど、その後のCDの売上加算も予想を上回るものだったので、計算し直してみたら当選確率は15%前後にまで落ち込んだはず。つまり、7人に1人しか当選していない事になる。TLを沢山眺めてた皆さん、どうでしょうか、それくらいになってなかった?

勿論これは、運営側の失態だ。何しろ2月応募分の当選確率は約70%だったのだから。お金出してCD買った方が当選確率が遙かに低いのは流石におかしい。そうね、確かに「CDシリアルの方が当選確率は高いですよ」とは一言も言ってないから約束を破ったとかではないのだけど、ジョーシキ的に考えて有り得ない。前も書いたと思うけど、それならそうと最初っから「応募は抽選、CDシリアルはあクマで救済策」と念押ししておくべきだった。それをしなかった怠慢は責められて然るべきだろう。

私としては、CDはCDで楽しむものだから、シリアルの当選確率が一般より低いことそれ自体は別に問題ではない。そういうコンセプトもまたアリだと思う。が、それをそうだと周知徹底しないとしたら消費者に対する欺瞞だろう。言われなければ「CDにお金を出してるんだからタダの一般応募より当選確率高いはずだよね?」と捉えるのが自然なんだもの。それを言わなかったのだから、優良誤認とまではいかなくとも、騙す気満々だったねと言われても仕方がない。

ただ、これはEPIC/SONYの失態かというと、違う気がするのよなぁ。つまり、5週間前の時点での売上予測が稚拙だったという事なのだが、今までの経験からして、梶さんをトップに据えるA&Rチームは非常に優秀で(って梶さん以外現在誰が居るのか知らんのだけども)、その手の予測は非常に正確だという印象だ。

思いっきり勝手な妄想だが、恐らく、これは前から述べていることでもあるが、今回のツアーに於いて「チケット販売」については担当会社に丸投げしていて、責任はそちらで、という体制になっているのではないだろうか。なので、担当会社が5週間前の予約数を「そのままの実数で採用して」2月応募分の当選数をを必要以上に(均衡値を計算すると…あぁ、適正値の3倍以上)出してしまったということだろう。もしEPICのA&Rが噛んでいるなら、ちゃんとCD発売日以前以降の需要予測を加味しただろうね。

なにしろそうしないと、それができていないと、ご覧の通り、「CD購入」自体に不信感が出て、今後の売上に響くからだ。「宇多田関連でCDをリリースするのはそろそろ打ち止め」とか考えてるのだったら「後は野となれ山となれ」でCDを売り抜いて終了、というセンもなくはないが、梶さんがそういう不誠実な行動を取る確率は限りなく低い。そんな人じゃない。なので、遠くからチケット販売会社の方をみて結構キツい顔してるんじゃなかろうか。

レコード会社も昔に比べて人員が少なく、とてもチケットの販売にまで手が回らない、というのは当然ありえる。というか、それは本来の業務じゃないもんねぇ。今やツアー業務の構成形態は多岐にわたっているからあたしも全然把握しきれてないのだけど、彼らは公演の中身については携わってても、それ以上のことはノータッチなのではないか。

ということなので、今回のCDシリアルの当選確率の低さに関しては、皆さん憤懣やる方ないというか、大いに不平不満義憤鬱憤が積もっているかと思うが、くれぐれも@Hikki_Staffに文句を言いに行かないようにして欲しい、というのが今回あたしが伝えたかったこと。あたしの勝手な推測だけど、今回の件に関しては、以後のCDの売上にマイナスに響くことからしても、彼らもまた被害者なのではないかと思われるます。でも、落選のやるせなさ、どこかにぶちまけたいよねぇ。ほんと、行き場のないこの感情、どうすればいいか、まだ全然わからないよ…。

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ふぅ、やっと『Electricity』を分離して聴くようになってきたぞ。アルバムリリースから5週間か…(遠い目)。それでもやっぱり2枚まとめて聴く中毒からは逃れられない。長い旅路を経て『Gold 〜また逢う日まで〜』のイントロが流れ始めてからの3曲(Gold+Electricity+Sci-Fi Edit)のクライマックス感は筆舌に尽くし難い。それこそ映画の脚本みたいだよね。クライマックス直前で長年の朋友が駆けつけてくれて(『二時間だけのバカンス』の椎名林檎嬢)そこから畳み掛けていく。「のび太の魔界大冒険」でドラミちゃんが来てくれた時くらいに頼もしい。そりゃ癖になる。

この流れが自然に聞こえるのは、それこそヒカルが椎名林檎嬢に告げた『素直』というキーワードがいちばんしっくりくるだろう。あの一言は、ヒカルちんからゆみちんへのエールであるとともに、ヒカルからヒカルへのエールでもあったのかもしれない。宇多田ヒカルも、素直にひとつひとつの曲を作ってきたのだ。だからそれらを並べた時に流れが出来る。

『Electricity』を聴いた時に印象に残るのは「スケール感」だろう。物語のボリューム感と言い換えてもいいかもしれない。長らくアルバム曲の一つとして接してきた為それは「ここまでのヒカルの楽曲制作の流れに自然に沿った帰結」であるが故に、過去25年の総括としてそう聞こえてくるのかなとも思っていたが、単独で聴くようになると、当然そのような側面もあるとはいえやはりこの曲はそれ単一でスケール感がデカいと感じる。それは歌詞が地球規模宇宙規模の目線を持っているというのも大きいが、何より歌い方が違う。ヒカルが今まででいちばんのびのびと歌っているのだ。

宇多田ヒカルといえば切なさの歌姫で、どこか苦しげな、明るい歌でも翳の差す歌声が嘗ては特徴的だったが、『Fantôme』で復帰後は発声を進化させて母性と優しさを感じさせる柔らかい歌い方が加わってきた。しかし、何より鎮魂歌からのスタートだった為音像は依然切実で、母親としても『守りたいのはあなた』なんて風に歌うのが主題だった。

が、アルバム『BADモード』を経てかなりイケイケモードとその切実さが融合してきたというか、そもそもその『BADモード』のタイトルトラックが「悩んでるなら力になるよ」系の歌詞なのにサウンドはイケイケ(一辺倒ではないけれど)に仕上がっていた。ここらへんがきっと「素直」の賜物なのだろう、楽しいサウンドと切なさと頼もしさがリンクし始めているのだ、今。

『Electricity』は更にそれに拍車が掛かっている。とにかく歌い方が心地好い。のびのびと、声を出す事自体が楽しいような、そんなメロディ運びと発声の中で、親しい人との高揚感や、辛辣な本音や、人類愛や宇宙愛といった本来それぞれ単独で楽曲を構成するような相異なるテーマの数々をまとめて歌い切ってしまう。その視野の広さが更に歌声のスケール感を倍増させている。この歌は、広い所で歌えば歌う程映えるだろう。しかしそれを『E-e-e-e-le-e-e-ec-tri-ci-ty』のリフレインがいきなり世俗的・身体的なレベルにまでフィーリングを落とし込んできて、恐らくなるほどこれは一緒に歌えという事かと納得させられる。今までの宇多田ヒカルにない、ちょっと変わった構成である。最近の楽曲はどれも尋常じゃない構成だけども。

コンサートツアーを目前にして、ヒカルの頭の中の歌詞世界と、会場で実際の人々と目が合う瞬間とがリンクして、この『Electricity』は完成をみた気がする。この曲の真価を捉えるには、ツアーが無事終わるまで待つことになるかもしれないね。歌ってくれれば、だけどね!

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