無意識日記
宇多田光 word:i_
 



「ポケットにラフダク」やっばええわぁ。ライブアルバム欲しいけど兎に角今はこれで。本当はBlu-rayの音質を持ち歩きたいのだけれど流石に嵩張る。ハイレゾのライブアルバム…需要無ぇだろうけど、ここまで音がいいと突破口にならんかねぇ。もうちっとベストアルバム的な選曲だったら推し易かったのだけれど、今回の主役は完全に『Fantome』と『初恋』の曲だからなぁ。『あなた』で始まって『Play A Love Song』で終わり、アンコールが『あたいの彼氏』なんですもの…じゃねーよ『俺の彼女』だよ(笑)。この2枚が好きな人には堪らない選曲だけど、20年の歴史はそれだけじゃないからね。

でも、この2枚がメインと言い切るには画竜点睛を欠くのが、あの『桜流し』を歌わなかった点だ。我々が復帰を6年半も待てたのは丁度中間地点でこの曲が発表された事が物凄く大きかった訳で、この曲を外して『Fantome』からの楽曲をフィーチャーしましたと言われても筋が通るとは思えない。『道』と共に同作の看板曲だろ。

なぜ歌わなかったのか…理由は単純で、セットリストを決めたなりくんがエヴァにご執心ではなかったからだ。いや彼のアニメ鑑賞履歴なんて知らないけれど、エヴァファンで選曲任された人間が『桜流し』と『Beautiful World』を外しますかね? 無いと思います。


そこが物語の続きなのだ、多分。以前も指摘した通り、自分は次のツアーで『Beautiful World』と桜流し』とあと「シン・エヴァ」の新曲を一挙に歌うのではないかと思っている。コーナーを作って3曲いっぺんに、かどうかは定かではないが、流れとしてはそれが極々自然なのではなかろうか。

しかし更にコンサートでアニメの映像をバックに…というところまで行くかどうかはちと検討が要る。確かに、オフィシャルでエヴァの映像をフィーチャーした『Beautiful World』のミュージック・ビデオが存在している以上可能性としては無くは無いのだけれど、ちとヒカルのコンサートには合わないかな…。いやでも『UTADA UNITED 2006』の『Letters』を思い出すと「なんでもありなんじゃなかろうか」とついついハードルを低く設定してしまうのですよ…まぁそれはさておいて。


「歌はいいね」と渚カヲルが言う通り、エヴァという映画はとても歌を重視する。登場人物が歌ったり背景に歌が流れていたりといった「アニメの中の世界」でもそうだし、劇伴音楽という「アニメの外の世界に在るものだけれどアニメーション映画という作品には必要不可欠な」音楽/歌も非常に充実している。その中で“主題歌”という存在は、アニメーション映画という作品の中で最も我々に近いレイヤーに在る音楽/歌である。エンディングで流れる事で「アニメの中の世界」から我々が本来住んでいる「現実の世界」に戻る為の橋渡しのような役割を担う。

なので、エンディング・テーマ曲を現実の最たるものであるライブ・コンサートという空間で歌う時に「アニメの中の世界」をアピールしたとしても、思い入れや思い出に訴え掛ける事はあってもショウ自体のクォリティに繋がるかは怪しい。

…それが基本的な考え方なのだが、アニメーションに対する、いや、“映画”という手法に対する庵野監督の批評性というものは、例えば特撮短編映画「巨神兵東京に現る」などに顕著である(監督は樋口さんですが)のだけれど、その批評性を携えて“主題歌”という存在に対して何らかのアプローチがあるとすればそれはどういうものが考えられるのか…という話からまた次回、かな。ちとこんぐらがってるね。(笑)

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先週ワンピースの第93巻が発売されてまして。前巻の92巻が中弛みというか前フリ巻だったのを根こそぎ回収していきましたなぁ。今更数ヶ月面白さが停滞したところで連載が打ち切られる筈もなく、堂々と躊躇いなく時間を取ってお話を構成しててお見事。

実績は創作に余裕と遊びを生む。それがまた作品の奥行きに貢献して好循環を生むのだがミュージシャンもそうであって欲しいものだねぇ。スポーツ選手などは複数年契約が成立した途端に成績を落とすケースもあるが例えば投手だと蓄積披露からか活躍が隔年になる人も居てそうおいそれとは判断できなかったり。

庵野監督もシン・ゴジラを当てた時点で様々な余裕が出来たはず。名前も「シン・エヴァ」なんだし影響がない筈がない。大ヒットで得た猶予と余裕がどちらに転んでいるかである。

ヒカルは油断とは無縁だろう。しかし、ここまで実績を積み重ねてきた時点で本来のエヴァの主要なテーマである“14歳の葛藤”から随分離れてしまっているのは否めない。それはエヴァを見続けてきたファンも同様で、序破ではそこに「新しい世紀の14歳の君たちへ」というメッセージが込められていたから新たなファン層も開拓できたのだが、そこで無理をしていたのか何なのかQでは積年の葛藤が復活していた。

共感。ヒカルがエヴァに感じ取ったのはまずはそこだった。シンジと同じように求めてもいなかった重荷を背負わされる人生に甚く共鳴することで『Beautiful World』は生まれた。これは旧い世代の少年だった人たちと共に新しい世代に少年である人たちへのメッセージでもあった。同時に、ヒカル自身が母性的視点を持つ萌芽となった1曲でもあった。後にその点に自覚的になって『Stay Gold』のような歌が生まれ姐さんだのパイセンだのと呼ばれるペルソナが徐々に形成されていくのだが、今回の「シン・エヴァ」に楽曲を提供するに当たってこの『Brautiful World』からどうやって点を描き線を引いていくかが課題となった筈だ。震災後という特殊な状況も背景にした『桜流し』と共に、過去との連携無しに「シンジ・エヴァ」の曲は書けなかっただろう。…っていやまだ何も決まってないからそう言うのは拙速なのだけど。

そこらへんを振り返りながらまた次回、かな。

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