前も少し指摘したが、『Play A Love Song』のサウンドは、まずハイレゾ音源向きにミックスされ、そこから配信用にダウンコンバートされたような趣がある。根拠は無い。勘だ。
CDが出始めた頃、「CD化」という言葉(という程でもないが)が生まれた。新作をCDでリリースするだけでなく、アナログレコードしかなかった時代の旧作品を改めてCDにプレスしてリリースする事、だ。それを聴いたリスナーたちは「やはりアナログの方がよい」と思ったが、今から振り返っってみるに、それは単にアナログのサウンドをCDに落とし込む際のマスタリング技術や知識がまだ蓄積されていなかっただけだった。今や名作と呼ばれる作品は、幾度となく繰り返されたリマスタリングによって、時に驚く程のサウンドに生まれ変わっている。要は、アナログだデジタルだという区別以前に、CD世代の人の匠の技が、アナログ時代並みにまで追いついてきたという事だろう。
その話とはかなり別に、CDの規格自体がアンバランスであるという問題があったりする。何故かインターネットではそれを指摘する論が皆無だが、44.1kHzという人間の可聴領域を大きく超える高音域まで捉えておきながら16bitというのはあまりに粗すぎる。周波数が高ければ高い程高精細に音を捉えなくてはならないのだが、15kHz以上の音を16bitで描写しても、その波形はカックカクのギザギザだ。耳に優しい訳がない。よって、それくらいの高音域をごそっと削った圧縮音源の方がCD音源(16bit/44.1kHz)より耳当たりがいい場合も多い。CD音源というのは、基本的に耳障りになるように設えられているそもそもがよくわからない規格になっているのである。
実際、歳をとると15kHzなんていう高音域はまるで認識できなくなっている人が殆どなのだが、一方で、再生機器さえしっかりしたものであれば16bitと24bitの違いはかなりの人が(たとえ歳をとっていてもなっ)認識できる。音色の滑らかさや高精細度の方が美しいサウンド(の認識)の為には重要なのである。
話が大きく逸れた。ぐぐぐっと戻って。
つまり、ヒカルの新作や新曲はまずハイレゾをメインにサウンドメイキングをしていると仮定すると、その音の滑らかさを前提としたサウンドバランスになっている可能性がある訳だ。これだけだと何の事かわかりづらいが。
言い方を変えよう。ヒカルの作るサウンドは、もともとCD時代に合ったデジタル主導の(打ち込みの)サウンドだった。その音は高音域が単調で、CDに落とし込んでもあまり耳障りでないようなサウンドだった、ともいえる。CDに合わせた、高精細の必要がない、一方で高音域を活かした昔でいうドンシャリ風の音だった。
それが今は「オーガニック・デジタル」とでもいえる音になっている。高音域を活かしたデジタルならではの鋭利さと、高精細を活かしたアナログのような滑らかさの両方をもつサウンドになっている。で、驚異的なのは、そのサウンドメイキングコンセプトに合わせたアレンジをヒカルが施している事で…って話がえらくコアになってきたな(汗)。この話の続きはまたアルバムがリリースされてからにした方がよさそうですわ。
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