無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ツアーの話は後回し、と言いつつこの話は早い方がいいかな、と思い切り出してみる。(…こういうのがどんどん積み重なっていくんだよな…)

円盤の収録だ。今回のツアーは99%くらいの確率で記録されてDVD/Blurayがリリースされるだろう。疑う余地はほぼない。仮に抽選で落とされて、チケット代を払う気があったのに払えなかった人々が居るとするならリリースは義務であるとさえ思う。まぁそこは勝手に考えてくれりゃいいけどな。

として、十二夜のうちいつを収録すべきだろうか。今までのヒカルでオーソドックスなのは、一ヶ所の二公演を収録していい所を使う、というスタイル。アンプラとかウタユナとかインフレとか。五公演だがヒカ5も似たようなもんだな。今回もその方法をとるとして、六ヶ所のうち一体どこがいいだろう。

ウタユナは苦い思い出だ。私は見比べた訳ではないから推測或いは妄想に過ぎないが、よりによっていちばん評判のよろしくない夜を収録する事になったのだから。他にも優れた公演は沢山あったのに。

今回は、では、どうするか。全箇所で収録していいとこどりを出来るならいちばんよいが、映像の収録は金がかかる。おいそれとカメラを持ち込めるような状況ではない。こちらとしては、ダイレクトにコストをチケット代に乗せてくれていいから全公演収録して欲しいが、難しいだろうな。

で、一ヶ所を選ぶとすると、今回はわかりきっている。12月8日9日の幕張メッセだろう。デビュー20周年記念日のコンサートなのだからこれしかない。

ならまぁ決まりか、とも思うが、今回はかなりハードスケジュールだ。最後の幕張二公演に至る頃には(今までに較べれば)かなりの過密日程で歌わなければならない。正直、ちょうど幕張あたりでエネルギー切れを起こしそうな気がする…もっと信頼してやれって? それが本音なのだけど、心配の方がやや大きい。

気がかりなのは、実はこのすぐあとのスケジュールだ。6月末にアルバム発売となると、来月5月のヒカルはフル稼働間違い無しだ。そこが気にかかる。

これもまた本音を言えば、毎年5月のヒカルは完全にオフにして貰いたい。そうすりゃ、そう、恒例の「5月にたおれる」パターンが回避できる。なのに今年は5月にフル稼働だなんて過酷過ぎる。幾らツアーから半年前とはいえ、万が一体調を崩したら精神的なダメージが大きい。それを考えると実際にそのパターンになった2009〜2010年のHikaruはよくやったなぁと感慨深い。ほんにな。

そこはもう神頼みだが、さて。円盤の収録にはもうひとつの要素がありまして。演奏の充実である。ウタユナの時は3、4公演目をみてあまりの演奏の酷さに辟易したのだが、それが最終代々木公演では驚くほどタイトに生まれ変わっていた。やはり、2ヶ月もツアーをしていけばバンドメンバーもお互いの事がよくわかってくるということか。

その点を考えても、やはり今回の収録は幕張が相応しい。1ヶ月ツアーをしてきたバンドにこなれた演奏をしてもらいたく思う。それがヒカルの疲労のピークと合わないように願う。

あと幕張メッセの展示場といえば音響が芳しくない事で有名だが、円盤の収録は別に会場にマイクを立ててその音を拾う訳じゃない(聴衆の反応は別だが)。そんなに気にしなくていいと思う。しかし、客のテンションが音響によって下がってしまってその雰囲気のフィードバックが…まで考えるとそこはやや危ういポイントになりうる。が、ちとそれは杞憂が過ぎるな。

斯様な問題点・心配点を抱えて映像は収録される。まだまだ先の話だが、ヒカルの健康こそが第一。そこを違えないで欲しい。

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ツアーとアルバムに対しては、出来るだけテンションを上げないようにしている。

確かに、『遠足前夜は必ず寝不足』というように、大きなイベントというのは当日までのあれやこれやが楽しかったりする。期待に胸を膨らませて過ごす日々は…単純に楽しい。それを齎すからライブコンサート/フェスティバルは人気が高いのだ。いつでもどこでも楽しめる配信コンテンツとは対極にある「その日その場限り」に向かっていく充実。また、終わった後の語らいや新たな交流。その前後総てひっくるめて「ツアーの楽しみ」なのだ。

それは重々承知した上で言う。それでも、いやそれだからこそピークはライブ当日当晩当地であって欲しい。前後が楽しめたのだから当日の出来がまずまずでもまぁいいんじゃないのとはなりたくない。その日にいちばんの感動を与えて貰わなくては本末転倒である。故に、興奮な言動はその日までとっておきたい。感情に任せて今からヒカルのコンサートへの期待感を綴り始めると、当夜の感想を書く時に日本語が足りなくなる。これは確実、確定事項だ。

それはまさに期待の裏返しそのもの。今までの実績や目下の新曲群を聴けばライブコンサートがとんでもない出来になるのは想像に難くない。今から妄想全開で如何にヒカルの生歌声が素晴らしいか語りたてる事も出来るし実際に語るだろう(こやつなら)。でも出来るだけ抑えておきたい。まだ音は鳴っていない。歌も鳴り響いていない。宇多田ヒカルに虚像や偶像は似合わない。「グレイトな歌を歌う人」という実像を十二夜に渡って体現して欲しい。「平成を飾る初恋十二夜」を成して初めて、こちらからは最大限の賛辞を送りたい。それまでに日本語を使い切ってしまう訳にはいかない。

セーブすると言っても筆致を緩める訳ではない。既に鳴った音、今鳴っている音に対して書く割合を増やすというだけである。自分もここのいち読者として、十一月の日々へ向けての心構えを積み重ねていった方が自らの心境に合っている気がするが、そこをほんわりと制御するのがちょっと楽しみでもある。

それに、油断はしていない。死者のチケットを買った事だってある。ライブコンサートが無事開催されるとは限らない。勿論、実際の言動はより高い確率の方にベットされていくのだが、様々な可能性は視野の端にそのままある。なのでひとまず、出た歌、放たれた新曲に目を向け耳を傾けよう。それについて口にしよう。

アルバムに関しても同様だ。既出曲だけで名盤確定ではあるが、いや、だからこそ聴いてどう感じたかが大事である。リリースは嬉しいが、今から騒がなくてもいいだろう。そんな優先順位なのだ今は。

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