庄野潤三「愛撫/静物」読了
昭和24年から35年にかけて発表された7篇の短編集。最後の「静物」は18章からなる、中編といっていいくらいの小説です。
初期短編集ということで、「静物」以外の6編は、今まで自分が読んだ庄野作品とは、かなり趣を異にしたもので、正直、少々面食らいました。人が人に対する感情、それが夫婦であったり、友人であったり、会社の同僚であったりするわけですが、その感情のありようの執拗なまでの掘り下げ方が、「夕べの雲」「せきれい」等を読んできた自分には、同じ作家とは思えないような一種の違和感といっていいくらいのものを覚えたんです。
しかし、よくよく読んでみれば、その掘り下げた先に見えてくるものは、やはり庄野潤三特有の温かいまなざしであり、人間を肯定する慈愛に満ちたものであったりするわけです。
本書の最後に収められた「静物」、もうこれは5年後に発表されることになった「夕べの雲」と同じ空気感をもつもので、「あぁ庄野潤三だ」と、なにか、ほっとした気持ちで読むことができました。
庄野潤三のルーツを探る意味では非常に貴重な作品集ということができると思います。
昭和24年から35年にかけて発表された7篇の短編集。最後の「静物」は18章からなる、中編といっていいくらいの小説です。
初期短編集ということで、「静物」以外の6編は、今まで自分が読んだ庄野作品とは、かなり趣を異にしたもので、正直、少々面食らいました。人が人に対する感情、それが夫婦であったり、友人であったり、会社の同僚であったりするわけですが、その感情のありようの執拗なまでの掘り下げ方が、「夕べの雲」「せきれい」等を読んできた自分には、同じ作家とは思えないような一種の違和感といっていいくらいのものを覚えたんです。
しかし、よくよく読んでみれば、その掘り下げた先に見えてくるものは、やはり庄野潤三特有の温かいまなざしであり、人間を肯定する慈愛に満ちたものであったりするわけです。
本書の最後に収められた「静物」、もうこれは5年後に発表されることになった「夕べの雲」と同じ空気感をもつもので、「あぁ庄野潤三だ」と、なにか、ほっとした気持ちで読むことができました。
庄野潤三のルーツを探る意味では非常に貴重な作品集ということができると思います。
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