ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

『ウェディングベルを鳴らせ!』

2009-08-19 23:05:31 | 映画

 運がよかったぁぁぁ!クストリッツァの新作『ウェディングベルを鳴らせ!』ほんと、偶然だったんだ。先週、久しぶりに時間があって山形市フォーラムに出かけた。お目当ては『劔岳』だったんだけど、これがお恥ずかしい!時間見間違えてて終わってた。うーん、どうする?帰る?ええーっ!山形まで来たっていうのに?それはあまりに癪でっしょ、ってことで、『アマルフィ』を見たんだ。まっ、これはこれで、楽しめた。感想としては、ヨーロッパの町並みってどうしてこうも味わい深いんだろ、ってことと、日本でも、中年男がかっこいいアクション映画ができるようになったんだ!ってこと。織田裕二、佐藤浩一、ねっ、おじさんでしょ、もう。で、そのとき、もらったフォーラムたより(上演案内)を見たら、な、な、な、なんと!クストリッツァの新作やるって書いてあんじゃないの!しかもたった1日1回1週間だけ!!これは見なくちゃよ、ってことで、夜8時50分開始ってのに出かけてきた。

 クストリッツァは、ユーゴスラビアの歴史を風刺的に描いた『アンダーグラウンド』でこてんぱんに叩きのめしてくれた監督さん。僕の「感動・感激この一本」のうちの一本なんだな、この作品。地上ではとっくに終わってしまった戦争を、地下に潜った人たちはずっと続いていると騙されて戦時体制で地下生活しているってストーリー。内容も驚天動地だったけど、音楽がねぇぇぇぇ、これたま凄い!この映画、東欧のジプシー(今はジプシーって言わない。ロマって言う)音楽の魅力をこれまたとことんたたき込んでくれた作品でもある。だいたい、クストリッツァ自身が一緒に音楽やってるんだよ、良いわけだ。

 次に見たのが『白猫・黒猫』。これは、『アンダーグラウンド』がボスニア内戦のどさくさで厳しく批判されたのに嫌気がさして作った作品。だから、極力政治性や風刺を押さえた作品だったけど、彼の才気が縦横に張り巡らされた素晴らしい作品だった。この作品については、ちよっとした思い出があって、実はこの作品がクストリッツァの作品とはまるで知らなかったんだ、映画の途中まで。たまたま、予告編見て、これ面白そ!って見に行った作品だった。もちろんフォーラムじゃなくて、今は昔の小さな映画館だった。観客は僕たち夫婦の他に一組だけ。大丈夫かい、この映画?ってちょっぴり不安だった。映画始まって、むむっ!これは、ややや、凄いぞ!おもしぇぞ!なんだこりゃ!!あれっ、なんか見た雰囲気だ、ええーっ、これってもしかして、クストリッツァじゃあんめえか?あたりぃぃぃ!この出会いは衝撃的だったね。だから、僕は熱狂的なクストリッツァ教信者。

 見ないわけにいかんでしょ。で、『ウェディングベルを鳴らせ!』楽しかったね。人間大砲で大空に打ち出された人間は、映画の最後まで空を飛んでいたしね。主人公の少年を手助けする凸凹兄弟は、バスに住んでたり、頭で建物の壁にぶちこわしたりね。主人公のおじいさんは、大の仕掛けマニアでそこいら中に機械仕掛けの落とし穴作って恋敵を撃退したりね。もう、めちゃめちゃシュール!とんでもなく、いい加減!おじいさんの受け身の恋と、孫の少年の怖いもの知らずの求愛が、巧みに併行して進んでいく。そして、最後は銃撃戦の中でドラム缶爺(なんのこっちゃ?見てちょうだいよ、もうこうとしか言えないんだから)が、ウェディングベルを鳴らすって趣向、いやあ、凝ってていいねえ。まさに、通好み!よっ!座布団一枚って世界だね。

 でも、このタイトルが気になって見に来た若い女性なんかは、きっと、なに?これ、下品!かっこわりぃ!って幻滅したろうけどね。このはちゃめちゃな世界がいい。このエロさがいい。それと、この農村の長閑さがいい。都会の薄っぺらさに完全と立ち向かう農民たちのユーモラスな姿。そして、存在感豊かに飛び回る動物たち。このエネルギー、グロテスク、開けっぴろげの性、クストリッツァの憧れなんだよな。クストリッツァは近代化を突き進むセルビアの今が気に入らない。ウィキペデイァ見たら、農村一つ買い取って映画学校作っちゃったって出てたくらいだもの。

 このヴァィタリティ!いいなぁぁぁ!!こんな素晴らし作品が1日1回一週間!!ありえねぇぇ!でも、わかるよな。日本で映画見に来るお上品な人たちには毛嫌いされる世界だもの。そうそう、宮藤官九郎の『メリケンザップ』あれにつながる下品さだ。あの作品も受けなかったでしょ。って言ってみて、やっぱり違う。クストリッツァには農村の長閑さが救いなんだよ。

 そして、最後はやっぱり、音楽!この映画でも、最初から最後まで音楽がなりっぱなし。それがまた、実に心地よく、うきうきと映画の世界を盛り上げていた。久しぶりにサウンドトラック、買っちゃおうかなって思ったものね。

 家に帰って夜中の11時59分。体はくたくた、目なんかしょぼしょぼ、でも、心の方は元気いっぱい!これが映画ってもんだよね。

 

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台本選びの難しさ

2009-08-16 19:20:57 | 演劇

 夏休みも残り1日、9月になれば菜の花座の稽古を再開しなくちゃなんない。となると、台本選びだ、問題は!いつまでも、優雅に読書に勤しんでいるってわけにゃあいかない。ということで、昨日から次回公演のための台本探しに入った。

 まず、これまで買いためて読んでいなかったものから手を着けた。土田英生『相対的浮世絵』の中の『燕のいる駅』を読んだ。まず、このタイトルの付け方!いかにも長閑でゆったりとした田舎の駅舎が浮かんでくるじゃないか。そう、木造のね、駅員が一人しかいなかっりする。ほとんど技巧を廃して、目についた光景をタイトルにしたって感じ。そう、たしかにそんな駅が舞台になている。ところが、その駅てのは、なんか古きよき日本を造形したテーマパークの一部うなんだ。しかも、描かれる1日はどうやら地球滅亡の日。どうすです、このギャップ!そうなんだ、ぎりぎりの状況の中でのんびりと時間をやり過ごしていく人々の日常、そこに時折かいま見える焦り、いらだち、諦念、募る思い、などなどが、ほんと、たんたんと描かれる。世界の終末なんてのは、ハリウッド映画でおなじみの泣き叫び右往左往する群衆なんかじゃなくて、こんな静謐の中にすぎていくのかもしれない、そんなことを感じさせる劇世界だった。これはこれで魅力的だ。

 でも、キャストのバランスが菜の花座には合っていない。男が多い。若者が中心。そうなんだ!これが実に実に大きい壁なんだ。菜の花座ただ今、60台女性2名、50台男性2名、20台後半男性1名、残りは20台前半と10代の女多数、ってどうよ、このめちゃくちゃな構成!!このとてつもないアンバランスをやりくりしながら、菜の花座の公演は成り立っている。この劇団員に合わせた作品を見つける、どうですか?自信ある人います?オリジナル書くのだって大変だけど、でも、まだはるかにましだね。書ける世界も登場人物も、大いに限られるけど、それはそれで、よっしゃ、超えてやろうじゃないの!って障害物競走みたいなやる気もわき上がって来るってもの。

 ところが、既成の作品となると、これはもう、こっちで勝手に役柄変えるってわけにゃいかない。以前やった宮沢彰夫の『14歳の国』のように、作者があらかじめ、どう変えてもいいですよ、男の役を女がやってもいいですよ、って言ってくれてると、助かるんだけど、そんな作品ほとんどないしね。だいたい僕がやりたいと思う小劇場の若手作品てのは、その劇団に合わせて書かれてるから、登場人物ほとんどが若い人だけなんだよ。しかも、男女の比率は1対1、どころか、男の方がやや多いって場合がひじょーーに多い。ここがまず第一の壁。

 次に内容。もちろんやりたい作品、絶対嫌!って作品、いろいろあるわけだから、これはって本を探すってのも容易でない。あと、舞台設定って言うか、装置や道具、あっ、これ無理!ってのも少なくないし。この点、高校生のほうがどんだけ楽か!女が男やったって全然かまわないし、下手でも装置・衣装はとことん作れるし。

 ということで、今、候補として何が残っているかって言うと、本谷有希子『幸せ最高ありがとう、マジで!』と、春口洋『Zenmai』なんだけどね、どちらも一長一短なんだ。本谷の作品はすごくおもしろいけど、2年前に『遭難、』やってるしね。同じ作者の作品2度はやるかい!って突っ張りもあるから。後者は、中盤までとてもいいんだけど、後半、やけに理屈っぽくなっちゃって、読んでるだけでも眠くなる、これを観客に生き生き伝えられるだろうか?って問題がある。そうそう、春口作品はやたら登場人物が多いので、米沢の劇団に助っ人頼まなくちゃならない。これも、壁って言えば壁だ。で゜も、久しぶりに劇団『ぬーぼー』の元気な男たちと一緒に作るのも悪くないとは思うんだ。

 まっ、もう少し時間がある。『せりふの時代』のバックナンバーなんかひっくり返しながら、ああだこうだ悩んでみようか。ああ、書く方がよっぽど楽だよ、なんてこと言ってしまっていいのかなぁぁぁぁ?

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読書週間報告第2弾

2009-08-13 17:10:20 | 暮らし

 去年の東北大会出場記念公演『Let's Dance 1946』のビデオを部員分ダビングしたり(これ思いがけず難敵だった。地元ケーブル局が撮ってくれたVHSテープを家庭用レコーダーでHDDに取り込んで、これをDVD-Rに焼いてからパソコンに持ち込もうとしたんだけど、何故かめちゃめちゃたくさんのクリップに分かれていて、それを編集ソフトでつないでみたら、つなぎ目の画面がゆがんでいて、録画方法の問題か?って何度か方法変えてみたけどね結局変わらず、諦めてレコーダーから一枚一枚焼くという操作を繰り替えしながら、今、これを書いている)、16日の小松夏祭りに出品する紅大豆利用新製品『紅大豆ヘルシーワッフル』『紅大豆ヘルシーばぁ』のラベルデザインしたり、(そう、そんなこともやってるんだよ、学校では。ね、演劇部だけやってるわけじゃないから)、なんやかんやと忙しい。とは言ってもね、休みですよ、時間ありますよ。

 昨日から今日にかけて、二冊の本を読んだ。一冊は荻上チキ『ウェブ炎上』。ブログ書いてると、突如入ってくるコメントなんかに喜んだり動揺したり、慣れない僕なんかにはけっこうドギドキのことがある。だから、一度に大量の非難コメントが殺到する「炎上」なんて、聞くだけで怖!せめてその実態をそっとかいま見ておかなくちゃ、って手にしたわけだ。それと、数は少ないけど、なんだぁ!?このコメント??って読んでて不快になる罵詈雑言、悪質な読み違いなんかもあって、なんだか、ウェブ上だと、人は無神経になるんじゃないか?なんてそんな疑問もかねてからあった。

 で、この本を読んでみて、いやあ、いろいろあるんだね、歴史的な「炎上」事件が。しかも、それは、世間で取りざたされているような眉をひそめたくなる類のものばかりでもないってことを教えられた。例えば、中越地震災害に対する援助キャンペーンとか、一方的な政治動向に反対するまとめブログとか、炎上を意図する人も、それを支える人もおもしろ半分なんかでなく、まともな感覚で動いてる場合も少なくないってこと。一つの意見に多くの人がどっとなだれ込む現象、これをカスケード(小さな滝)って言ってるけど、これは何もウェブに固有のことじゃない、ウェブ以前にもあったし、これからも形を変えて続くだろうって指摘はまったくその通りだと思った。中世の魔女裁判しかり、つい数十年前の神国日本だってそれだものね。だからと言って、著者も心配している通り、過剰な道徳感情から私刑(リンチ)まがいの「祭り」が見過ごしていいってわけじゃない。そんな悲惨な事件が繰り返される恐れは、これからも多分にある。これに対しては、使い手の教育も大切だろうけど、それには限界があり、アーキテクチャ=環境技術的な手法(例えばタバコ自販機のタスポとか飲酒運転をさせない「インターロック」みたいな)の導入に可能性を見いだしているようだ。その主張の是非は僕なんかには判断できないが、教育で人間性が飛躍的に向上するって可能性なんて信じられないし、かといって、ウェブそのものを制限しろなんて後ろ向きになるのも現実的でないから、まあ、そんなところなのかな、ってほとんど思考放棄だね。「炎上」を恐れてばかりじゃダメ。そこに大きな可能性もあるんだってことは納得できた。それにしても、彼はごく少数だって言ってるけど、嫌韓、親日、右翼的人たちの殺到や、一部書き込み言葉のトゲトゲ感は、やっぱり気になるなぁ。

 さて、次なる一冊は、おもしろかったぁぁぁ!『エスケープ』渡部建。この人、お笑い系の人なんだってね、テレビほとんどみないのでまったく知らない。内容は、これはもうネタバレしたらこの本の価値90パーセント、いやいや100パーセントなくなるから、絶対言えない。ともかくアイディアの勝利なんだな。超過激にしたシチュエーションコメディってところかな。勘違いのすれ違い、途中で読者はその構造に気がついて、次の展開も、ははーんって読めないわけじゃないんだけど、さて、その展開をどう転がすか、どう落とすか、これが実に意外性があり、かつ、決まっていていいんだね。特に第4章なんて、もの書く立場としては、設定はわかった、さあ、どうするどうするってつっこみいれながら読んだけど、最後まで裏切られなかった、いや、裏切られ続けたか?もちろん、こういうものだから、設定の強引さは当然ある。でも、それを言っちゃおしめえよ、ってことで、ともかく、著者の騙しのテクニックにうかうかと乗せられながら、よしよし、うんうん、で終末にだとりつく。それでいいんだと思う。で、最後にはちょこっとほろりとさせられて、なるほどこう来たか、と思っていたら、なんと、も一つ強烈に突き落としが待っていた。で、突き落とされて、にやり!

 さて、報告第2弾書き終えたので、次は何読もうかなぁぁぁ。

 

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読書週間報告一号

2009-08-10 21:19:15 | 教育

 菜の花座の公演が終わって、大会台本を書き終えて、演歌ショーもどうやら仕上げて、ようやく自分の時間が持てるようになった。夜八時前パソコンに向かえるなんて、なんていう幸せ。日曜日、1日家に居られるなんて、なんていう余裕。まっ、後2週間の猶予だけどね。学校が始まればまた、部活は19時まで、帰ってきて食事すませば、9時過ぎって生活が始まる。もちろん、菜の花座もあるしね。

 この短いゆとりの日々、まずは勉強だよ。溜めていた本を次から次と読破、って行きたいところだけど、目がねぇぇぇ、年取ると辛いんだよ、夜は。かといって昼は農作業があるしね、まあ、ちょぼちょぼとお勉強を続けている。

 小説で読んだのは、原宏一『姥捨てバス』。白バスで一攫千金を狙う二人組が、姥捨てツアーって企画を思いつき、それが参加の婆さんたちの子捨て独立運動へて転がっていくってお話。年寄りが、山奥にこもって自分たちだけの爺婆ユートピアを作るって筋立ては、僕も以前に書いたことがあったので興味深く読んだ。ストーリーは上手くできてるって感じた。でも、全体に説明的でね、なんか、あらすじ読まされているようで、小説としては、ちょっと、ってところかな。ただ、観光業界、旅行業者の裏話なんかはかなり丁寧に書かれていて、これはなかなかおもしろかった。

 次が昨日読み終えた『ヤイトスエッド』村上萬壱。芥川賞作家なんだってね。どうも純文学って奴は肌に合わないのでとんと疎いんだけど、いやぁぁぁ、不思議な作品だ。ともかくとてつもなく変な女が続々と登場するんだ。おっと、短編集だから。自分を魔女だと思いこみ、次から次と男に身を任せる女。母親に躾けられた清潔症から抜け出すためについにスカトロジスト(糞尿嗜好者)にまで行き着いてしまう女。中でもおもしろかったのは、タイトル作『ヤイトスエッド』。これなんの意味かわかる?僕は読む前にわかったね、ってちょっと自慢しちまおう。ヤイトってのは、お灸のことなんだ。で、スエッドは、・・・・これはネタばれしちゃうから、ここでは言わない。いや、ばれっこないな、こんな話。この主人公は、やたら正しい行いを目指しているって女。まったく車の通らない横断歩道でも赤信号なら絶対渡らないとか、自販機のコーヒーは一種類であるべきだ、なんて考えてる。そんな女を壊してやりたいと企んだ同僚に天罰が下るってもう、なんだかナンセンスの極みで、そのそこはかとないユーモア感覚には、やられたーっ!って感じだった。ともかくおもしろいのでお奨めだ。

 そして、昨日からようやく次回菜の花座公演の候補作選びに入った。で、最初に開いたのが本谷有希子『幸せ最高ありがとうマジで!』。おもしろい!!前々回上演した『遭難、』以上のできばえだ。まるで関係のない家庭に乗り込んでいちゃもん付けまくりの、家族のほころびをずたずたに引き裂きの、この不可解なエネルギーの爆発、もう、爽快の一言!またまた本谷作品やりたくなってしまったよ。でも、同じ劇作家の作品は上演しないって、僕なりのルールあるので、もう少し他の作家を当たってみたいと思っている。でも、やりたいなぁぁぁ。やっちゃうかも・・・・・・ってことで読書週間特集第一回のおしまいです。

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中学生とワークショップ

2009-08-08 20:20:16 | 教育

 今日はねぇ、中学生とのワークショップ。昨夏の吉野中学についで、今回は同じ南陽市の中川中学。全校生徒40数名。良い学校だ。このくらいの規模って、なんかとってもアットホームで、落ち着く。ぐるっと見回せば、全員の顔がくっきり見渡せるしね。きっと先生たちも十分に目が届くんだろう、生徒誰一人としてはすに構えてる奴なんていないもの。で、昨年同様、この学校も今年で閉校!うーん、なんとももったいない話だ。設備だって立派なのに。こうやって地域の拠点を次々抹殺して行っていいんだろうか?たしかに、鳥上げ坂一つ下れば赤湯の町には違いないけど、この標高差はけっこう大きいんじゃないのかな、地区民の意識としては。

 閉校・統合の理由は、生徒数が減って効率が悪いからってこと。でも、そんな効率一辺倒、規制緩和路線が今大いに見直されようとしてるところだろ。どうして教育については、方針の転換が始まらないのかねぇ。教育なんて、そこら中ムダがあって当然のものだと思うんだけど。だって、人間が生きてること自体、ムダの極地じゃないか。何でもかんでも役に立つか、金になるか、で判断してたら、教育の本質の部分は間違いなく見失われるって思う。

 たとえば、演劇ね。これなんて、まさしく、「役立つ教育」なんてもん考えてる人たちには、無用の長物、って言うより、端から頭に引っかかって来っこないもんだよ。そんなことより、試験の点数、そんなことより理科教育、そんなことより有名校への進学率。そう、だから、そんな上を向いてカリカリやってる学校からは、お声がかからないのが置農演劇部ってわけなんだね。

 「無くなる学校に思いを馳せるなんて、どうでもいい、次の環境で頑張ればいいんだ」これが効率主義、合理主義の考え方なわけ。でも、今日の中川中の場合、先生方の意識はまるで違う。母校が無くなっても、母校に自信と誇りを持って歩いて行ってほしいって心から願っている。人が新しい環境で頑張るためには、生い立ちに自負心を持ってなけりゃ、ってしっかりわかってる先生方なんだ。その思い出と自信を作るために、最後の文化祭をこれまでで最高のものにしようって生徒も先生方も燃えている。

 で、置農演劇部の出番だったわけだ。ああ、長くかかった!そう、そんな生徒たちだから、わずか3時間のワークショップだったけど、かなり充実した楽しいものになった。保護者の方たちも見ていてくれた。ダンスなんかお父さん、お母さんも一緒に踊ったしね。作ったコントはたわいないものだったし、出来も納得いくものじゃなかったけど、中学生みんなしっかり顔を上げて、目を輝かして取り組んでいた。つまり、心の扉をちょっぴり開いたってこと。これが大切なことなんだよ。技術なんてどうでもいい、心が開けば心が伝わる。母校への熱い思いがあって、それを伝えようとする心が開かれているなら、きっといい記念舞台になる!

 もちろん、置農演劇部にとっても素晴らしい経験だった。ダンスを教える、コントをまとめる、舞台をリードする、こういったことを先生方や保護者の方たちの見守る中で堂々とこなしてくれた。しかも、中学生が主役だっていう意識をしっかりと持ちつつ、リードできた点は、大きな成長の徴だ。最後に中学校の先生が言ってくれた言葉、「高校に入ってこんなにも成長するってことを保護者の皆さんは感じ取ってもらえたと思う。」これって最大限の賛辞だよ、君たち!

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