ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

ファンタジック活劇で勝負だ!

2009-08-01 21:08:32 | 教育

 ようやく最後のシーンまで来た。そう、大会向け台本。『きき耳族の少女』、書いていてわくわくするから、きっとおもしろいものになってんだと思う。でも、僕のおもしろい、は他の人の詰まらないとイコールの時がよくあるから、最後の最後まで細心の注意で仕上げなくちゃならない。なのに、こんなの書いてる!ラストシーンの見通しも立ったんで、ちょっと余裕ってことかな。

 今回の作品はかなり冒険だと思っている。高校演劇に馴染みの薄い作りになりそうなんだ。まず、高校生は登場しない。学校でもない。身近な話題ね出てこない。ファンタジーだから当たり前か。時代はヨーロッパ中世かな?的にはっきりしない。つまり、設定も登場人物もリアリティがない。要するに劇画風って言うかな、要するにあちらの世界の物語なんだよ。ストーリーはおもしろいし、キャラクターもかっこいい。話の展開もスムーズ、でも、わかりやす過ぎ。深くない。そうそう、今稽古中の演歌とか大衆演劇に近いって言えば当たってるかな。ああ、もちろん、頭にあったのは劇団☆新感線ね。

 演歌とか大衆演劇てのは、人々のごくごくまっとうな、って言うか、ありきたりのって言うか、共感しやすい情緒に沿うように作られているでしょ。親子の情愛とか、義理人情とか、自己犠牲とか、悲恋とか、もう誰だって涙涙は当たり前っていうの。。だから泣ける、感動できる。それなんだよ、今回の作品は、もちろんそれを意識して作ったわけだけど。そう、大衆的で何が悪い?わかりやすくて何が悪い?ありきたりで何が悪い?って何回も開き直って書いたんだ。

 だって考えて見ると、高校演劇の定番、いじめとか、若者の反抗心とか、大人のずるさとか、若者のひたむきさとか、親子の行き違いとか、こういうのだって、ちょっと考え見れば、演歌的なわけよ。高校生の演歌だよ。だってわかりやすいでしょ。いじめ!って言えばあらかたのことわかっちゃうもの。共感する素地ができちゃうもの。つまり、平均的人々の平均的感覚にフィットする作り方ってことね。

 だから、今回の『きき耳族の少女』だって同じことよ。ただ、高校生には見慣れない世界だってことだ。そこがどう評価されるかってことだろうね。高校演劇見慣れてきている人たちが審査するわけだから、かなりの苦戦は覚悟しなくちゃなんないだろうね。

 だから、狙いはまず観客の高校生、こいつらを圧倒的に、おもしれぇぇぇ!って言わせることだ。舞台でこんなことできたんかぁぁぁ!って口をあんぐり開けさせることだ。高校生がここまでできるんかぁぁぁぁぁってぶちのめしまくることだ。物語ってすげぇぇぇぇ!って目から分厚い鱗を落としてやることだ。

 かなり気合い入ってるね。そう、簡単に言っちゃうと、定期公演『LOST SEVEN』の世界をバババーンとぶつけてやるぜ!ってことなんだ。でも、心配は、長いこと!きっちり演じれば2時間の世界、これを半分凝縮するわけだから、もう、中身盛り込み過ぎって批評は今から見えてるね。これは1時間の舞台じゃない、とかね。それを1時間で見せる技量を評価してほしいと思うわけだけど、無理かなぁぁぁ?1時間という限られた時間で、どこまで世界を大きく広げることができるか、やっぱりこれは大きな勝負なんだよ。

コメント
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