ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

台本読みの恐怖

2007-08-06 22:13:48 | 演劇

 何がおっかないって、書き上げた台本を初めて読んでもらう時くらい怖いものはない。部員たちに面白いと思ってもらえるか?いえいえ、そんなこっちゃない。だいたい、部員達は最初は、なんやこれ?!だから。そう、そのなんやこれなんだよ、問題は!

 本読みってのは、本来作者が、こんな調子ですよ、って読んで聞かせることだったようだが、今は、出演者が一堂に会してそれぞれのセリフを読むって形が多いんじゃないだろうか。違ってたらゴメン!少なくとも置農演劇部と菜の花座ではそうやっている。で、今回も出来たばかりの台本『ドンガラ山奇譚』をみんなで読み通したんだ。

 舞監がト書きを読み、それぞれが自分の役のセリフを読む。スタッフはじっと聞く。僕も、何も言わずじっと最後まで聞き通す。そして、愕然!なんで、なんで、この本そんなにつまらないの!!僕の頭の中では、面白く、凄く面白くできていた台本なのに、部員達が読むと、どうして?まるっきりつまらない!!あーぁ!どうしてよ?

 以前はそこでめげていた。落ち込んでいた。でも、さすがに20本近くも自分の作品を上演してきていると、やっぱりな、って受け流すこともできるようになった。なぁに、今に面白くしてやるよ!そのために演出がいるんじゃないか。

 どうして、そんなギャップが生まれるのか?それは話し言葉を記述するセリフ=台本ってものの宿命なんだな。台本って奴には、小説と違って、そのセリフがどういう感情で語られるかなんてことは、ほとんど書かれていない。セリフが語られる状況だって、シーンの最初にト書きで最小限度触れられているだけだ。人物の設定だって、登場人物の関係だって、全体を読み通してつかみ取るしかない。これが、たった一度ざっと読みした高校生にできるか?できるわけないじゃない。

 さらに、僕の書く作品は、彼ら高校生の日常とはおよそかけ離れた世界であることが多い。となれば、彼らの最初の読みがとんちんかんなものになるってのは、当然のことじゃないか。だから、僕の場合、台本読みに徹底して時間をかける。一つのセリフに何度でもダメを出す。しつこく執拗にやり直しを命ずる。時に部員は煮詰まる。時に泣く。時に切れる、ことはないか。でも、諦めない。うそっ!妥協はするよ。でも、とことんやり抜くことはたしか。たった1ページで2時間なんてこともざらだ。稽古時間の半分、いや、1/3が本読みで消える。

 そんなことして立ち稽古は大丈夫?それが不思議なもので、台本読みにたっぷり時間を掛けて、セリフ回しが自分のものになると、立ち居振る舞いや動きや表情も自然とそれらしくなってくるものなんだ。それはそうだろう。セリフのダメだしを受けながら、その人物の性格やら、その時の感情やら、時には時代背景やら、そのセリフの持つ意味やらをとことんたたき込まれるわけだから。謂わばセリフを通して、自分の演ずる役柄を生きた人間として造形していくってことなんだ。

 たった一つのセリフに四苦八苦しながら、生徒達は、今まで縁遠かった人間を身近につかむ。年寄りの知恵やゆとりを学び、大人の苦悩や悲哀を知る。歴史を学び、社会の構造を感じ取る。野心に翻弄され献身の愛に身を捧げる。演技を通したそんな数々の体験が、高校生たちを豊かな感性へと導き、広く深い世界認識へと誘う。

 これって、間違いなく演劇の力の一つなんだよな。

  

コメント (2)
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