ステージおきたま

無農薬百姓33年
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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

くせになる!角野志ん生

2007-08-19 22:03:27 | 演劇

 こまつ座公演『円生と志ん生』。二回目だ。何がなんでも見なくっちゃってわけの2回目じゃあない、こまつ座の皆さんごめんなさい。井上先生、ごめんなさい。フレンドリープラザにかかった芝居はすべて見るってスタンスだから、当然今回も見た。理由はそればかりじゃない。うちの高校生(置農演劇部)に料金安くしてくれたのでね、そりゃ絶対行かなくちゃ、で、全員で見に行ったってこと。いくらにまけてもらった?それは言えません。本当は、特別料金のことだって書いちゃいけないんだけどね。こまつ座さんにしろフレンドリープラザさんにしろ、ほんと地元高校演劇部にはよくして下さってありがとう。きっと、将来の大切なお客様になりますから、なか~い目で見てください。

 さて、2回目だから、飽きた、眠った、なんてことは少しもなかった。知ってる分だけ、照明やら装置やらにきょろきょろ目を走らせることもできたし、ギャグの一つ一つについて、間合いやら表情やらをこまめに観察することができたから、ある意味とっても勉強になった。まっ、舞台や演劇の勉強のためには、二度も三度も見る必要があるってことだろう。

 今回装置で特に気に入ったの、途中でがくんと片側が落ちて斜めになる吊りものと、電飾のアーチだ。中でも電飾アーチだね。別に新しいものじゃない。ブロードウェーなんかじゃよくある奴、ほら、宮本亜門の『アイ ガット マーマン』で使ってたあれですよ。舞台の間口をぐるっと囲んで赤、青、黄色の豆電球が様々に点滅するあれ。あのアーチ見ると、ああ、ミュージカルだよなぁってつくづく感じる。今回もあのアーチを情景に合わせて、時には音楽に合わせて、点滅させて華やかなステージ効果を上げていた。その煌めきのなかだと、おじさん二人の歌と踊りも、なんかとっても洒落た味わいになるから不思議だ。ああ、ぜひ一度、あの仕掛けで舞台を作ってみたいもんだなぁ!

 芝居の中身では、そりゃもう、角野さんの志ん生でしょう。辻萬長さんの円生も頑張ってますよ、頑張って。でもね、根本的に違うんだよね。どうしても、萬長さんは僕の知ってる円生に結びつかないんだ。まっ、僕が知ってるのはもう、名人として芸風も人柄も確立された時期の円生師匠だから、まだ駆け出し時代は、あるいは萬長さん演じる円生風だったのかもしれない。いいや、違う。きっと違うな。駆け出しだろうと、ぺえぺえだろうと、噺家には、噺家の風情ってものがあるんだよ。語り口とか表情とか仕草とかね。どちらの名人も江戸落語の大家だからね、粋ってもんがあるんだ、本物には。いや、あったんだ。志ん生の粋は職人や貧乏長屋の大家の粋で、円生の方は、大店の旦那さんとか吉原の粋って違いあったけど、どっちも、いやー、粋なんだよ。

 その粋が、残念ながら萬長さんにはない。円生のきざったらしさがない。円生のきどりがない。誠実そのもの素朴ありのまま、ってことなんだ萬長さんは。そこいくと、角野さんの志ん生はもう、そのものずばり、江戸の噺家なんだよね。志ん生なんだよ。あのお調子者の軽さといい、面倒ごとからは「受付交代」ってすぐに投げだしちゃういい加減さといい、ああだったんだよ、志ん生って。野暮は嫌だぜ、面倒くせえのはでえきれえだ、って雰囲気、角野さんは見事再現してくれていた。

 でも、これはお二人の演技力とかの差ではないと思う。きっと角野さんには、江戸っ子の血が流れているに違いない・・・って思って、ウィキペディアで調べてみたら、・・・・なんと、広島県議会議員の父と医者の母からの東京生まれの大阪育ちと来た。う~ん、なんとしたことか。まあ、生まれや血の中にあのいなせぶりを見つけることはできなかったけど、でも、きっとあるよ、彼の人生の中にその源泉が。僕はどうしてもそう感じるんだ。ほんと、そのくらい志ん生なんだもの。

 だから、今回も楽しませてもらいました、角野志ん生。もう!あの人のしゃべり、あの人のそぶり、あの人の表情、見ているだけで、嬉しくなってしまう。ああ、こういう人が生きていてほしいんだよ、身近でなくともいいから、居てほしいんだよ。筋なんてどうでもいい、あの調子であることないことしゃべくってくれてたら、それでいい。それが、きっと、噺家ってものの存在感ってものなんだろうね。

 角野志ん生はほんと、くせになる!

 

 

コメント
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