ステージおきたま

無農薬百姓33年
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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

対話集会が決め手だ!

2021-12-21 11:25:25 | 世の中へ

 今朝、フェースブック開いたら、立憲民主党の街頭演説会の知らせが出てた。新橋駅SL広場でやるってよ17時から。泉党首以下、4役揃い踏みだ。どんどん街に出て行こうとしてるな、そう、いいことだぜ。ただなぁ、演説会ってのがなぁ?それも弁士?いやぁ古いなぁこの言葉!自由民権運動かよ。4人、いや、それに田名部も含めて5人、ってことはほとんど一方的に演説連射って形だよな。話し手VS聞き手、それって昔からだし、選挙中なら連日だ。これでいいのか?

 主張伝えるってだけなら、SNS とかブログとかあるよなぁ。この時代、リアルに顔出しで喋べるって、意義あんの?街ゆく人の足を止められるだけの魅力あんの?新橋なんて、暇な人たむろっちゃいないよ。みんなせかせか先を急いでる。中身面白いか、弁舌巧みか、魅力的な人柄あるか、どれか、あるいはそのいくつか兼ね備えてなきゃむりだよな。あっ、だから数で勝負!ってことなのか?

 今、それができるのは、れいわ新選組の山本太郎だ。

 衆院選が終わった後の全国回っての街宣、どこでも数百人単位で聴衆を引き寄せてた。話しも上手いし、中身も分かり易い。演壇やら大型モニターなんかの設備も整えてる。映し出されるデータ類も吟味されてて、スタッフ、ボランティア、分厚いって感じだよな。1時間や2時間、ついつい立ち聞きしてしまう。まっ、地方だとユーチューブとかだけどな。沢山聴衆がいるってことの安心感や高揚感もあるし一体感も生まれる。でも、一番の斬新さは、集まった人たちの質問聞きそれに答えて進めるって形式にあると思う。それも、反対意見やヤジや罵倒さえもマイク渡して機会を与える。それに誠実に答える。山本太郎が答えられないときには、集まった人たちの中に専門家を探す。こんな政治集会ってなかったよな。山本太郎の集会には圧倒的なワクワク感がある。終わった後のツーショット撮影会なんてやってた政治家いたか?

 意識してるかどうかわからんけど、その後を追おうとしているのが、立憲の小川淳也だ。

 青空対話集会てのを繰り返し念願の衆議院1人区を勝ち上がった。こっちも一方的な演説だけじゃない。大筋の話しを終えたら、マイクを周囲を囲う人たちに向ける。有権者の声を丁寧に聞き、メモを取る。対立する意見も退けることなく議論を続ける。この誠実で真摯な姿勢が評判となって、選挙戦には全国からボランティアが集まった。彼は今、その方法の手ごたえをさらに続け広げて行こうとしている。立憲の街頭演説会てのも、その試行錯誤の始まりなんだろう。彼自身はすでに毎週月曜日、有楽町で対話集会を続けている。

 そう、キーワードは対話なんだぜ。一方的に聞かされるのにゃもう飽きた。言いたいことはたっぷりあるんだぜ、って思いを高ぶらせてる有権者がたくさんいるんだ。いや、一言二言ならだれだってモノ申したい気持ちさ、こんな世の中の有様だもの。テレビのコメンテーターに突っ込み入れたり、ツイッターでいいねを押したり、ブーイング浴びせたり、コメント書き込みしたり、議論に加わりたいって思いはかなりの勢いで広がってるんだ。

 対話集会なんて、なんともアナログだけど、やっぱり顔つき合わせてって部分がないと、人は熱中出来ないのさ。アイドルのコンサートとか見ろよ。アメリカの大統領選挙の熱烈な集会を見ろよ。やっぱり、人が集まって来なきゃ、政治的な盛り上がりなんてできっこないのさ。だって、投票にだって来ないような人たち多数なんだぜ。政治はあんたの暮らしに直結してますよ、って教えるだけじゃ不足だ。熱で包み込まなけりゃ。評論家や上から目線のメディアなんてとっくにお役御免になってるんだぜ。

 投票以前に声を上げる、選挙でなくとも気楽に意見を出す、押しの政治家を育てる、そんな習慣を地道に作っていくのが対話集会だと思う。どぶ板の車座じゃ権力握ってる自民党に敵いっこない。地縁血縁、利益誘導が政治をつまらなくしている。一部の人たちのものにしている。

 政治の面白さを取り戻す。政治家を手の中に入れる。公けを取り戻す、それが対話集会なんだぜ!

 

 

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