ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

プロならガーンと一発!『十一ぴきのネコ』

2012-02-06 11:06:40 | 劇評
 こまつ座・ホリプロ制作『十一ぴきのネコ』、楽しかった。休憩含め3時間強、あっという間に過ぎた。
 
 じゃあ、大絶賛?そうはいかないんだよな。悪くはないが期待は外れた。

 この作品、置農演劇部で演ったことがある。どうしても自分で作ったことのある作品だと、見方が厳しくなってしまうんだ。もちろん、高校生の舞台とプロを比較しようなんて大それた考えはない。雲泥の差があって当然だ。

 今回のネコだって、急傾斜の八百屋舞台(舞台奧から客席側に傾斜している舞台作り)といい、役者一つ一つの力量といい、照明といい、見るべきものは多々あった。公演後のばらしで、持ち込みの袖の大がかりなこと照明の機材の多さ、吊りものの見事さ、金掛かってるねぇ、さすがプロだね、って感嘆しきり。

 でもね、うぉーっ!すげぇぇ!とか、そんな手があったかぁ!とか、えっ、そんな芝居だったの?みたいなさすがプロ!!まいりました!!!って迫力はなかったんだよな。

 ホリプロだし、こまつ座だし、北村有起哉出てるし、山内圭哉出てるし、何より演出は長塚圭史だもの、こりゃ期待しちゃうじゃないの。おっと、チケット6000円ってこともあるしね。

 大根畑を長い布袋で出したり、小屋を折りたたみできる素材で作ったり、骨だけになった魚の釣りものが見事だったりと、見所はないわけじゃないんだが、筏の帆船もニャン太郎の飛行機もアイディアは置農と同じだったり、大きな魚に飲み込まれたニャン十一のシーンなんか、えっこの程度?、って感じだった。ちなみに、置農版では大きな魚を作った。搬入口から入りきれないくらいの奴を作った。中にニャン十一も入った。今回斜面を転がすなんてことでお茶を濁した速達瓶が飲み込まれるシーンも工夫した。あっ、飛行機は途中でひっかかって墜落したけど。

 開演前からネコたちがロビーや客席を歩き回って客あしらいをするって演出も悪くはないが成功してなかったなぁ。なんか役者たちがどこまでやっていいのか戸惑っているような感じで、客席との一体感は生まれなかった。こういう演出が初めてのお客さんには、役者が近くにいてそれなりにどきどき体験はあったかもしれないが、かつて上杉祥三が『夏の夜の夢』(シェークスピア)でやった途中休憩時の客あしらいの大爆笑や、シルクドソレイユのピエロ?たちの巧みさを経験している身としては、しらける気持ちの方が強かった。やるならもっと思い切ってだよ。

 物足りない!の一番はキャスティングとネコたちの役作りかな?全員中年男性!衣装はあまり代わり映えせず、見終わって誰が何の役だったか、数匹を除いて、記憶に残らなかった。野良ネコだって黒もいれば三毛もトラも白も灰色もいろいろいる訳だし、若いのも年寄りも、雄も雌もいるだろ、もっと一目で一匹一匹が焼き付くような役作りをしてほしかった。

 今回の作品は、井上さんが書き直す前の台本を使用していると思うんだけど、どうしてそっちの本を使ったのか、ずーっと考えながら見ていた。置農版は改訂後のものを使用したってこともあってね。劇中歌もにいくつか違っているが、一番の相違は、ラストシーン。今回上演の台本では、大きな魚を食べて元気になったネコたちが、たどり着いた湖畔に一大ユートピアを築くものの、かつての仲間たちはそれぞれに権力の座に着き、ついには理想を追い求めるニャン太郎ほを邪魔者として圧殺してしまう、という人間の権力欲や名誉欲のおぞましさの提示で終わる。殺されたニャン太郎を一人密やかに看取った外れ者のニャン十一が、仲間たちの変節に憤りを込めて「十一ぴきのネコが旅に出た」をはき出すように歌いつつ客席を通ってはけていく。今回の舞台で一番グッとくるシーンだった。

 一方、改訂版は、大きな魚は湖に流れ込んだ様々な毒をため込んでいて、瀕死の状態でとらえられる。そのことを知らないネコたちが魚をむさぼり食い、十一匹全員が野たれ死ぬ。こういうさらに目も当てられぬ悲惨さの中で幕を閉じる。どちらも救いがない幕切れだが、改訂版では自然を食いつぶす人間の度し難さへの井上さんの絶望を読み取ることができる。ネコたちの苦しくはあってもどこか楽しい旅の果てに、こんな終末を準備せざるを得なかった井上さんの闇を見つめるまなざし。

 3/11を今も生きる時代って、まさに改訂版で井上さんが見据えた近未来だったんじゃないか。原発は今なお、大きな魚を追い詰める。人間の豊かさを求める強欲の果てに今がある。どうだろう?こっちの本の方が、時代にふさわしい気がしてならないんだけど。多分、演出家には彼なりの見つめるものがあったんだろう。

 一度演ったことがある芝居にはどうしても辛口になる。なんたって、お初の新鮮さがまったくないから仕方がない。自分たちが手かげたものへの愛着の現れかも知れない。過ぎてしまえば、大きな失敗でも無い限り、良い思い出として残るのがアマチュアの公演だ。苦心して演出すれば、イメージもしっかり固まっている。そんな尊大?野郎を、ばしっ!と叩きのめすような舞台を、プロなら創ってくれよなってこれもまたそんぴん(この地で傲慢、生意気、へそ曲がりの意)のたわ言だ。

コメント (3)
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