たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

ホンモノの存在証明

2012-12-07 01:36:05 | Weblog
 大切にしたい信頼関係であればあるほど「今」に重きを置くようになる。
 どんなに4年前仲良くしていたとしても、どんなに1年前一緒にいたとしても、そしてどんなに昨日優しい言葉をかけてくれてわかりあえたと想えたとしても、今日、今、不安な一面があれば、そこで悩んでしまう。

 些細な言葉の使い方の変化や、あえてそうしている表情を解析できてしまったときに、あの時に、こういう風に言葉を使っていれば、っと思ったりするけど、たぶん、そういう思考をしている時間はもったいない。
 過去について悔んでいる時間は、すべて、今もしくは未来にどう寄与できるか?、を考えるべき時間で、やり直せないことにいつまでも考えていても仕方ないんだから、少しでも今できることを考えなきゃね。それとも、過去に出来なかったことを無駄な賢さで悔みながら、今すべきことをしないことのイイワケにしているのかな?

 優しい気持ちの中で、今できることを一生懸命していれば、他人よりも遅くなるかもしれないけど、必ず行きつくべき、かけがえのない素晴らしいモノへ行きつく。
 それが、今は、ぐしゃって観えたり、系が安定しないように観えたりしているだけなのに、不安になって、昨日は、1年前は、4年前は、って思っても、仕方ないし。

 っと、冷静になった時に、ふっと、俺が創った言葉を使われたりして、安心して眠たくなる。
 大人になると誰もが忘れてしまう、自分がかつては子どもだったことを。この、昔からの、忘れがちでいる安心感を味わいながら、信頼関係がより深い部分へと浸潤していく。

 でも、そうなったとしても、絶対にしちゃいけない、されてはいけない、最低ラインがあったりして、なかなか難しい。
 まぁ、あえて、それをこっちがして、向こうから離れさせるように仕向ける優しさもあるけど。そこまでの優しさは、きっといつか、別の系として、報われていくと想っている。

 常に、、大義名分と確率的な振る舞いのなかに隠れている、自己矛盾している部分にこそ、ホンモノが隠れているのかもしれない。
コメント
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