たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

みんなで気持ちを大切にするための大義名分

2012-12-09 04:24:34 | Weblog
 集団の中で、特に気持ちに関わる問題点を発見した時に、その根幹に対してストレートに改善させられるように動けなければ、良い「モノづくり」はできない。
 一番の敵は「努力したのに報われない」残酷な物理現象であるけど、誰かがココに対して理路整然と思考し、気持ちの方向性が間違っていないのにも拘らず、表現方法についての気持ちが間違っているから、別の弱い誰かが傷ついてしまうことはよくあることだけど、相手が誰であれ、そんな手法、絶対に変えなければ、絶対に変えさせなければならない。想いを守るために、そして、良い成果を全員で上げるために。

 じゃなきゃ「普通」じゃん。逆に言えば、「普通」で満足できるような一般ピーポーとは俺は組まない、ってことだけどね(笑)。

 問題点を持つ人に対して俺がストレートに行動する時、誰々さんに対してだと、危険なんじゃない?、とわざわざ心配してくれる人よりも、いつも、一人でリスクについて遥かに深く思考している。こういう行為を沢山してきた、してこさせられた俺なんだから、当たり前だけど、生半可な思考力ではこの域に至れないし、かなり多くの変数と函数について考え抜いて実行する。
 だから、ほぼ誰にも手出しできない領域になってきている。自然科学については特段の思考力がある人でさえも、その部分について、いくらなんでも思考が甘すぎるな、って俺が思う率もココ最近グッと上がっている。

 いかにして未来を創っていくか?
 それを想像していかなきゃいけないし、今から未来までが自己矛盾なく想像できれば、それは実現したもカワラナイのだと思う。

 まだ修論の最終データが出てない昨年の6月、FCMの部屋で、
 『もしかしたら、2年後くらいには、最初っから、この場所にいた、って錯覚するほどになっているんじゃないかな?』
 って想像していたことがキレイにそのまま現実になっている。ま、計算よりも若干早かったけど。

 そうそ、俺が意見を言うってことは、見込みがまだあるってこと。何も言わなくなったなら、そいつは向上の可能性ゼロだって判断したってことだから、自分でも少し冷酷だと思うけど、それでもそれまでに、十分に貢献したと言える自信があることの方が多い。
 まぁ、それとは別に、話しにくくなっちゃった、ってのもあるけどね。

 いつだって、「努力したのに報われない」って敵の存在をみんなに教え、その敵とストレートに戦ってきた。
 無難を追究している大抵の人は、いつだって、そんな敵なんていないって自らに言い聞かせがちだけど、優しさを押し殺したんだとしても、本当に良いモノづくりを実質的にもしようと思うのなら、この敵を倒さなきゃダメだ。

 実は、俺は、、努力しているその姿を間近に観ているなかで、どうかその努力が報われるようにと思いながら、繰り返しのなかで「どーせ」って学習してしまっている、明らかに辛そうなその表情を観たくない、っという無難さを持っているだけかもしれないし、局在して誰かを大切にしたいと想っているだけかもしれないんだけどね。
コメント
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