たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

局在して大事だから

2010-02-11 03:24:10 | Weblog
 どうして、自分にとって大事な人にとっての準拠集団については、イイ感じを持たないのだろう??
 束縛したいから…なんていう単純な言葉のボックスに束縛したくはない。だって、本当は、いろいろな準拠集団を持っている人こそ、スゴイはずじゃん?そういう人を自分の味方だとか友達だとかにしたいんじゃないかな、普通に考えれば。
 なのに、自分との所属以外の集団で、その人が準拠集団を持っていると知っただけで、嫌悪。いくつも持っていたなら、もっと嫌悪。

 通常、人は集団の価値観や規範を、そのまま自分のモノにしていく。そのなかで、自分の規範の基準を決めていく。
 なぜかと言えば、その集団に所属していたいという想いを、同じ価値観や規範を持っているとアピールすることで、間接的に、その集団に伝えるためだ。それに伴い、自分の感情も、間接的に、コントロールすることとなる。無意識にね。

 何よりも強い所属したいという気持ちは、どんな行動だって、できるようにしてしまう。それが所属への意思だと考えている人は多い。だから、ふっ、と、遠ざかってその集団を見ている人にとっては、ありえないようなことでも、平気でしていたり、そのなかでは当然になってたりしてしまうのだ。
 そして、行動すればするほど、その人の感情は、時間変化して、急激に、その集団の価値観の平均に落ち着く。
 そんなことを、あなたの大事な人が、自分との所属集団以外の準拠集団で行っていることを、陽に知ったら、じっとしていられるだろうか?

 行動依存の感情変化を利用する方法だってある。気落ちしているときは、気落ちしていないフリをすれば、復活は早い。元気であるフリをして、行動すればするほど、本当に元気になっていってしまうのだ。
 だけど、こんなに賢く、行動によって感情をコントロールしている人は、多くはないだろう。多くの場合は、うわっつらの言葉や表現に対して、それを具現化することによって、感情が流れてしまうのを感じることもなく、感情を持っていかれる、準拠集団にも大事な人にもね。言語を出力したり、実際に表されることによって、誤魔化されているかもって思う自分の思考をも嫌悪になるほど、具現化が乱暴に自分の感情を動かしていく。

 そういう悪夢(ゆめ)から醒まさせてくれるのは、その人のさらに上位の準拠集団なのだ。しかし、そういうことをきちんと相談させてくれるような準拠集団を持っていない、哀しい人も、最近、多いけどね…。

 だから、自分にとって大事な人にとっての準拠集団は、あんまりイイ感じを持たない。
 別に、誤魔化しているんじゃなかったとしても、間違って、そう指摘されちゃったりとか、とにかく、そういう可能性がちょっとでもあるなら、なんとなくイヤになってしまう。だって、そういうことで問題になる場合は、それくらい、マクロになんとなく大事どころじゃなく、局在して大事だったりするから。

 そぅ、悪夢と夢は紙一重、偽物とホンモノも紙一重ってことなのです。
コメント
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