たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

ヒトナミの経験

2008-07-18 01:47:56 | Weblog
 昨日、バイト先の個別指導で、初めて、浪人生に出会った。

 あれ以来(2006.4以前の過去記事参照)、生の浪人生と直接喋る機会がなくって、ちょっと想いだすところがあった。彼も、この予備校の中では、浪人経験者と触れ合う機会が少ないのではないかっと思って、強引に喋ったところがあったかもしれない。

 レベルはどうであれ、浪人生というのは、どこか寂しい。まだ、4月くらいの段階だと、高校生っぽい顔をしてるんだけど、このくらいの時期というのは、楽しそうな大学生じゃないし、高校生じゃないし、独特の雰囲気を醸し出してくる。っま、経験者としては、面白いんですけど(笑)。
 日本の教育レールは殆ど一本道。高2か高3で、二つの道(俺は三つだと思っている)文理に分かれるが、それ以外は一本道。それゆえ、途中下車して、駅でふらふらするのに、慣れていないのだ。彼にも言ったが「レールから落っこちたら不幸になると、よく言われたけど、レールから一回落っこちてしまった俺等からみれば、レールに乗っかり過ぎて降りられなくなってしまうほうが、よっぽど怖い」っと思わない??

 あの一年がなければ、俺は、今のような文章力は無かっただろう。少なくとも、文を書くことが苦痛でないのは、確かだ。テキトウに済ますモノはそりゃーテキトウだけど、書こうと思えば、いくらでも書けてしまうほどの自信すらある。
 あの一年がなければ、俺は、授業がエンターテインメントであるという事に気がつかなかった。代ゼミはスゴイところだった。講師にとって過酷なところだった。ただ単にパフォーマンスだけでは、生徒はついてこない…。「受からせ、満足させ、板書してるだけである程度頭良くなる」事が揃ってないと、講師として、残れない。そういえば、ある先生から、「君等が大学生になってバイトで塾講や家庭教師をやれば、人より上手いのは当然だ」っと言ってたが、確かに。だけど、今、俺はそうではないような…(笑)。
 あの一年がなければ、俺は、今以上に大抵の人間をナめきっていただろう。努力すれば、なんでもできると思っていただろう。努力だけでは、人生は動かない。高校の先生が、「自分の夢を叶えるためには人の3~5倍の努力が必要」と言っていたが、あれは数学的に「必要」なのであって、「必要十分」ではないのだ。努力だけがファクターではない。運、感情、努力の方向によっても変わり、それによって、どうしようもない人たちのことを、考慮できなかっただろう。
 あの一年がなければ、俺は、レールから飛び出す勇気を持てなかっただろう。浪人したからこそ、大学に入ってからも、偏差値を上げ、場所と3年間のムダな時間を縮めたのだ。
 あの一年がなければ、俺は…っ!

 浪人は良い事ではない。だけど、俺にとっては、不可欠な経験だった。そして、多くの日本人にとっても、そうだと思う。それだけだ。これは俺の願いであるのかもしれないし、3年経った今も、少なからず引け目を感じているからなのかもしれないが、このように思わせてくれ。いや、そうなんだ。

 何もできないけど、きっと彼に伝わったと信じたい。「一浪と書いて、『ヒトナミ』」。天才にはなれないけど、賢くはなれるはず。いや、ひょっとしたら、天才にもなれるかもしれない。
 あのEinsteinだって、浪人生だったんだから。

 大学受験が終わって、俺に「本当に、この大学のこの学部でイイんだね??」っと尋ねる恩師に、「イイんです、院入試がありますし」と答えた。彼は親切にも院試の事を教えてくれたが、大学受験が終わって一週間も経っていないのに、3年半も先の院試のことを考えていた自分に気がつき、あきれた。
 そう、勝負はまだ、終わっていないのだ。最高峰へ、全開のパワーで向かおう。その前に、それにつづく、定期試験を頑張んなきゃな。
コメント
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