たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

君色想いなheat beats

2008-07-19 03:06:14 | Weblog
 『好きな人の行動パターンやクセというのは真似してしまうものである』
 そんなことを大学のなんかの講義で聴いたとき、「そうかっ」っと初めて気がつかされた気さえした。

 実験ノートや板書などで小見出しにニンジンマーク、大見出しで渦巻きを使うのも、高音域で地声を張らないで裏声へいくのも、クラップを刻むとき腕を横へずらすのも、ドラクエが好きなのも、数学の解答の書き方があんなんなのも、このブログの書き方がこんなんなのも、そのせーか。マジか。
 だけど、そんなん言ったら、かなり俺のオリジナルってのは、少なくなるな。っていうか、無いかも。
 でも、好きになる人種ってのは様々だし、みんながみんな、俺が好きな連中が好きなわけじゃないだろ-から、っま、その辺が、オリジナリティーなんだろうけど。

 生化学の見解によれば、人間というだけで、遺伝子の99.9%以上が同じらしい。なのに、こんなに多様に見える事が不思議で、俺が大好きな誰かと俺が大嫌いな誰かの遺伝子も99.9%以上一致するってのは、マジで??っと純粋に疑問に思う。
 使われないゲノムのなかの非コード領域に何かがあるのか?それとも、やっぱり、これ(生化学)だけでは、人間の気質や性格、クセや行動パターンは読めないと言う事なのだろうか。

 よく、「周りの環境がその人をすべて決めている」っと言う事があるが、俺はそれは信じたくない。それよりは、ゲノムのなかに気質があって、それにも依るでしょっと思いたい。だけど、そうじゃなくて、そんな決まってるもんじゃなくて、学問以外の何かが、理屈じゃないその想いが、その人を、uniqueにでなくても、決めている一変数であってほしい。
 例えば、勉強ができるか否かということに関して言うなら、遺伝的であってほしくない。頑張れる気質、頑張れる才能、頑張れる才能になるための環境は、あってもいいかもしれないが、基本的には『想い』や『努力』に依ってほしい。
 現状、『運』は最大の要因になっている。先進国に生まれない限り、深い知を獲得することは難しくなっている。

 生化学というのは、案外、意味のない学問なのかもしれない。だって、そこにあるのに、それで存在できているのに、自分自身なのに、わざわざ理解しにいくなんて。
 多くの人は生体内の化学式や酵素反応を理解していないが、関係なしに、人間の身体は、きちんと代謝をするし、きちんと複製や転写や翻訳をするし、セックスをすれば新しい生体である子供ができる。
 それでいいじゃないか。どこへ向かうんだ。
 だけど、俺は、この面白すぎる生化学という仕事をやめるつもりはない。ただの好奇心以上に、倫理的にも、理屈で示せない事があると、示しにいきたいからなのかもしれない。

 そして、科学を生半可に理解しているつもりの俺は、まるでそんな事とは関係のないかのように、日々、好きな人の真似をし、好きな仕草をして、好きな音楽を聴き、弾き、歌い、好きな科学を嗜み、誰か色に染まる事もあれば、独特のオーラをだすこともある。
 それが、0.01%の遺伝子の違いでも、非コード領域でも、それ以外の何か「想い」的なものが作用しているとしても、人間同士の相互作用が影響しているとしても、こんなにも多様な人間がいることは事実で、それらをすべて尊重しなければならない。
 まったく、大変な世界ですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする