たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

明るい時代に

2014-07-21 00:18:06 | Weblog
 聖人君子になるにはタイミングと運が最も大切なのではないかと、今になってそう思う。
 生きた時代という点でもあまりにも恵まれていないし、学においても私自身の能力だったらもっと高みを目指せた。だが、天命はあまりにも不運だったと言わざるをえない。

 陶冶を受け、修養を積み、教養や知識をつければつけるほど、身のまわりに褒めてくれる人が現れる。私が満足行くほどの言葉を得られなかったのは私の能力ではなくタイミングと少しの運が無かったためなのに、多くの人はそんなことを考慮してくれるほど甘くない。

 だからこそ私は、無償の愛を常に求め続けた。思い返してみると、私が選んだ人はすべて言葉を求めず、ただひたすらに自分を信じて邁進し、自分自身が楽しむことに重点を置いていたような気がする。
 そのような人が私という存在をただ無償に求めてくれるからこそ、私は嬉々たる気持ちを抱き、私も求めていた。そして、それを失うことは、何よりも何よりも、恐怖であった。

 あの子はそれをわかってくれているのかしら?と、そう言ったとしたら、どんなに叱責されるか想像もつかない。ただ自分勝手に生き、そのせいでどれほどの人生を狂わせたのか!と言われるに違いない。
 しかしそれが事実であり、あなたには私がその分に無償に愛したじゃない、と思うのだけど、どれほど伝わっているか。。

 この先の時代は、今よりもきっと明るい。冥い時代を私たちは生き抜き、その先の未来にあなたたちがいるのだから、あなたたちは全員、きっと明るくなってほしいと心からそう願っている。
 そして、私自身が残せなかった言葉を、その先の世代で取り戻している。実際にそうなったのだが、私が欲しかったものはこんな程度の言葉であったのか、、それよりももっともっと、かけがえのない日常の中にありふれた幸せが何よりも大切なのではないか、と最期にそう思う。

 無償とは何か?それは、どんな生き方をしようとも、どのような学歴でどんな職業につこうとも、どのような人を選ぼうとも、その人を愛せることではないか?

 それをあの子たちは体現してくれている、と胸に刻みこみ、安らかに眠ろうと思う。


さよなら 大好きな人 / 花*花
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