たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

能力が無いということの真実

2012-07-29 04:21:08 | Weblog
 みんな、系によって、極端に、自分が受け入れることばっかになったり、相手が自分に合わせて変わることを望んでばかりになったり、勝手。

 能力を向上させようとして、もしくはまだまだ足りないことを気付かせようとしたくらいで、落ち込んだり、ショックを受けたり、悔しいって思ったりするなら、能力をつけなきゃいけないし、もっと厳しいことを言うなら、そんなことくらいで泣くんだったら現時点で能力がなきゃいけない。
 なのに、それを飲み込もうともせずに、不平ばっかり言ってみたり、ただ自分が受け入れたりしてたって、何を価値観として置くのであっても、無意味なんじゃないかなって思う。

 っで、変なところ諦めていたりする。どーせこうだから、世間なんてこういうもんだから、もっと重症だと、人生なんてどーせ時間の浪費、そこまで生きてるかわかんないしねー、って、自分で頑張ってもみないのに、決めつける。
 繊細さを心の中に宿しながら、行動が図太かったり、もしくは行動をまったくしないから、そういう風な思考をして自分を安心させようとしているんでしょ?

 その繊細さを保ったままで、能力を上げ続けることは可能だ。
 でも、能力を上げることが必ずしも善とも限らなかったりする。

 ≪だから、そこは、上手くやるんでしょ。≫
 『そんなのいいの?』
 ≪イイに決まってるし、そんなのみんなやってることだよ。それが次にも繋がるかもしれないし。≫
 『えー、なんかやだな。』
 ≪なんで?≫
 『よーするにさ、別に、凄まじい能力者になることが目的じゃないんだよね。お勉強だったらEinstein、スポーツだったらウサインボルト、恋愛だったら田村淳、を目指してるわけじゃないからね。笑』
 ≪なるほどね。笑≫

 能力を上げたりしないで、偶然、向こうから舞い込んだほうが、運命的じゃない?
 ある種、自らの意志ではなく、無意識の中で、奪われていってしまった方が、

 ≪ラクなだけでしょ?≫
 『違うよ、それじゃなきゃいけない気がする、ってだけ。』

 チャンスはいつだって一回。
 物理的現象に阻まれたり、自己組織化された中で完結して仕方ないことだったりすると、余計に、ま、もうイイか、って思ってしまうのは、

 【だから、その辺が高橋さん、乙女なんですよー。】
 『だーかーらぁ、高橋慧、乙女説だしてるの、お前だけだからな。』
 <そうでもないですよ。意外と、くよくよしてますよね。>

 こんなにも短い期間でも、そう想うのかと思うと、よっぽど重症だよね。

 コレに限らず、すべてにおいて、最終的に強引に引っ張っていく力が無いし、つけようともしてないのに、不平不満を言って、自分の価値観を受け入れろ、って思ってる。ホント、俺って、勝手。

 「そうやって理詰めっていうか、考えてるってわかると、なんか冷めるんだけど?」
 『怖いんですよ。賢さくらい、せめて使わせてもらえないと。』

 最近、くだらないこと(自然科学など)で他人をオフェンスすればするほど、いつだって、能力が無いのは、やっぱり、俺なんだな、って思ったりする。
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