たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

いじめ問題の討論をもっとしっかりと。

2007-01-14 04:18:27 | Weblog
 なんだか、テレビを見ていると、いじめ問題を討論しまくってるよーで。ふむふむ、いろんな意見を聞くが、あまりピントがあってるものを見たことが無い。

 なんとなくだけど、どーもまだまだ、社会はいじめ問題の深いトコまで見れてないよーで。いや、どこが?って、いじめられてる奴のほーが、何かをしなきゃいけないってのはおかしいんだよ。いじめられてる奴があーだ、こーだって言われすぎてる気がする。なんにも悪くないのに。

 世界一受けたい授業でも、誰かが言ってたけど、「いじめられるって事は個性があるってことだ。いじめられない奴は個性が無い。それを糧にして生きろ。」んで、自殺すんじゃないって言うんだよね。まー、納得した方がいらっしゃったら悪いけど、どんなに危険な発言か、よく考えて欲しい。

 俺がいじめっ子で、今いじめてる奴がクラスにいるとしたら、ガッコで次の日にいじめられっ子に、こーやっていじめるな。「○○って奴が、テレビで言ってたぞー。『いじめられる』って事は、個性があるんだってよー。確かにおめーは個性あんよなー、ははは。だから、親切にも、いじめてやるよー」ってね。

 いじめっ子ってのは、こーいう人間の事をいうんだよ。例え、相手に強みができたとしても、その強みがあることは「人間の価値が低いから」って理由に摩り替えて、結果的にその強みをいじめのネタにする。だいたい、そいつに個性があるのは確かかもしれないけど、そいつがつらいことにはかわりねーしな。

 これらの、いじめられっ子への「お前がこーすれば良いんじゃないの?」って発言は、意味が無い。何もいじめの解決に繋がっていないし、そもそもいじめられてる奴は被害者だ。なんで、被害者がいちいち気を使わなきゃいけないんじゃいっ!
 「自分が安定的な位置にのさばっていたい」→「弱そーな奴をいじめる」→「いじめられる奴がつらい」→「いじめられる奴が自殺する」って図式なら、直前の原因だけで対処しすぎなんだよ、テレビでてる奴等!

 ニューヨークかどっかの、殺人、恐喝などの凶悪犯罪を減らすにはどーしたら良いかという会議で「街中の落書きを消すことが最短ルートである」と言った奴がいた。そいつは会議中、馬鹿にされたが、いざ落書きを消していくと、何年か後にはホントに凶悪犯罪は少なくなっていった。
 「落書きがある」→「みんなやってんだから俺も1つくらい書いちゃえって奴が増える」→「汚らしくみえるため、みんなやってるからってんで、公共の施設を壊しまくる奴も増える」→「その暴力的な風紀が、ヒトへ向けられ喧嘩が絶えなくなる」→「ここは危ないとこ、俺様のような奴がくるとこ、なんだ?あのショボイ奴?やっちまえ」ってなる図式だったのね。つまり、殺人、恐喝が増えてる原因の発端は、「落書き」なわけ。
 そこを見抜いたそいつはすげーな。

 これと「いじめ」も同じよーな毛並みをしてる(もち、それだけじゃないけど)。
 いじめが起きる原因は、発端を探れば、「グループごとでの上下関係的意識」と「周囲の人間の無関心、…というか、いじめに触れないようにしようとするスベテの行為」だ。つまり、ひとりひとりの「自分の安定した人間関係を維持するための小さな蹴落とし行為」「集団に嫌われないようにする親切にみえる自分勝手」がスベテの原因だ。

 確かに、「人間関係で、安定を求める事は、人間の本能である」と言われればそれまでだけど、そこだけは「人間の本能すら、変えなきゃいけないとこ」なんじゃないかなー。

 いじめられてる方が、いじめだーって問題にして騒ぐと、まるでいじめられてる方が意地張って悪いように見られる事すらある。それだけ、世間も教員も「人間関係で、安定を求めようとする」んだよ。それを変えなきゃ、いじめなんてなくせない。
 
 いじめ問題ってのは、もっともっと本音を言って、いじめてる奴が、どーしたらいじめないのか、どーしたらいじめる奴が生まれてこなくなるのかを、語り合わなきゃいけないと思います。

 皆さんは、最近のいじめ問題、どー考えます?
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4 コメント

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Unknown (Pノリ)
2007-01-14 15:40:08
どうも。仮名です(笑)いじめっていう言葉の定義が決められてないからいじめは無くならないのだと思う。「からかい」と「いじめ」の境界をはっきりすれば、先生もはっきり言える。「今のは友達としてちょっかいだしただけですよ~」なんて言い訳が出来ないくらいに。

…ってそれが難しいんだけどね!
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んでもさ、 (kei)
2007-01-14 16:34:44
 生徒から見れば、そーかそーじゃないかは一目瞭然じゃん?だって、「アイツとアイツは普段確実に仲良くねーし、あれは意地悪でやったんだよ、間違えなく」ってなると思うんだけど。

 愛すべきいじられキャラといじめられっ子の違いは他の生徒は確実に分るはず。

 そーいう状況の時に、「いや、○○君と△△君は普段全然仲良くないから、僕はいじめだと思います」っていう奴が、いないことが、いじめをのさばらしてるんだよね。そーいう行動が出来ずに見てみぬフリをすることも、いじめられっ子から見れば、いじめっ子と変わらないんじゃないかなー。

 だから、「いじめ」と「からかい」の境界がはっきりしないのも、「自分の安定した人間関係を維持するための小さな蹴落とし行為」や「集団に嫌われないようにする親切にみえる自分勝手」が原因なんじゃない?
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Unknown (k山)
2007-01-16 01:07:37
 自分もその番組を観て思ったのだが、いじめられている奴は個性があるからそれを糧にして生きろというのは、その個性が糧になるような個性であるという前提があるわけで、すなわち非常に限られた個性をもったいじめられっこのみしか通用しないはずだと思う。
 番組では一寸坊子の例を挙げて、彼は自分の欠点である身長が低いことを利用して鬼の腹の中に入って鬼を退治することが出来た。だから一見欠点に見える身長が小さいということも使いようによっては長所になる。したがっていじめられっこも自分の個性を伸ばせという流れだった。
 しかし、これは一寸坊子が鬼を倒すという結果を為したから言えることであって、彼がもし鬼を倒すという機会に恵まれなかったとしたら、彼は一生ただのチビということで片付けられてしまっただろう。すなわち、彼の個性は鬼を倒すという結果がなければ評価はされない。個性が個性であるだけでは誰も評価してくれないことになるはずだ。
 だから、個性が個性であればよいとされる個性(勉強が出来る等)の理由でいじめられている子はその個性を伸ばすことで糧になり得るが、しかし個性が個性であるだけではよくないとされる個性(顔が不細工等)の理由でいじめられる子の場合、その個性によって何らかの結果を出した後でないとその個性は認められない。すなわち結果をだすまではその個性は生きる上での糧になりえないはずである。
 つまり、勉強が出来ることでいじめられる子はいじめられている最中でも自分が勉強ができるということを糧にして耐えることが出来るけど、顔が不細工だからいじめられている子は顔が悪いことで何らかの評価をされる結果をださない限り、顔が悪いというその個性自体はいじめに耐える糧にはなりえないということである。
 要は自分が言いたいことは個性を糧にするのは構わないけれど、その個性が欠点とされるものであった場合、果たしてその個性によって何らかの結果を出すまでにいじめられる子が耐えつづけなければいけないのってのはどうよ?ということです。
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うーん (kei)
2007-01-17 01:38:59
 俺はお前より、もーちょっと被害者側なんだなー。

 例え、勉強ができるって理由でいじめられてて、その子が勉強できる事が糧になっていじめに耐えられるとしても、なぜ被害者側が耐えなきゃいけないの?

 被害者はなんにも悪くないのに、いじめられる側が一歩大人になって対処しなきゃいけないのは、不平等なんじゃないかなー。

 まだまだ、認識として、「上から降ってくるものはしょーがない」ってのが、俺もお前も含めて日本人だか人間だかは思いすぎてると思う。

 俺が、いじめを発動させないための、今すぐ実現可能そうな提案できる1つのマニフェストを発表するとすれば、「大学の教員はすべて、授業履修者数により給料を決めます」法案かな。なんか、番組変わったけど(笑)。
 んで将来的には「大学入試を消す」。えーっと、前に紹介した、「東大の授業本気で受けたい奴は夜からテントはって教室の前に並べ!」ってヤツですね。これにより、偏差値っていうくだらない価値観が消えるし。

 大学の話?いじめと関係ないじゃん?そんなあなたは、まだまだ、青いな(笑)。
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