始めたキッカケなんて10年も経てば必然的に変わってしまうものだと頭でわかってはいても、いつの間にか自分自身の目的が変わり、伝えたい人が変わり、懐かしみながらその変化を受け入れられてしまう自分を感じると、悲しい気持ちになってくる。その変化そのものから涙を流せるはずの自分が、いつの間にか殆ど消えてしまったことに、切なくなるのだ。
もう、あの頃の自分はすっかり死んでしまった。履歴だけを共有している自分の身体だけが、こらえきれない急激な変化に耐えかねて、言動だけを停止させる。
あの頃、話すことすら躊躇って、戦う相手を変えてしまうことで忘れようと努力していた。難しい問題を解けば解くほど、乖離していってしまう距離に、むしろどこか満足していたのかもしれない。その躊躇は正しかったと断言できる。だって、それが今に繋がっているのだから。もし、あの時に与えられた振り通りに後ろを振り返っていたら、今のあらゆる関係性を否定することになる。一人きりで迷った日々そのものが無駄じゃない。
ただ、もっともっと知りえたらと思う自分は健在で、今の俺自身を高揚させる。知ることは選択を増やすことに繋がる。そして、それが俺を、こんな遥か彼方の地にまで追いやっているのだ。悲しい自由を含みながら、ね。
終わったら死んでもいいかも。。
と、俺もあの瞬間に本当にそう思えた。そして、実際に終わってしまったのに生きていることに違和感が残る日々を感じ続けている自分が、確かに俺の一部を作っている。だからこそ、行動的になれるのかもしれない。だからこそ、恐れなくなっているのかもしれない。
今できることを!
と現実的な格言が追いかけてくる。もう少し余韻に浸りたい気分を、あらゆる社会が赦してはくれないのだ。わかっているさ、今できることを!でも、きちんと落としどころをここでつけておかないと、何かに期待してしまいそうな自分に負けそうになる。というよりも、直観的には、期待してしまう自分がすでに存在していることに気がついている。どうして?わざわざ?だから?と、あっという間に言語化が追いかけてきて、現実的な格言を追い超してゆく。
ならば、その曖昧な夢の行方と、曖昧な輪郭を、そのまま受け入れる他ないのかもしれない。お互いにお互いの世界で頑張る中で、もしまたどこかで繋がっていたら、一緒にものづくりをしよう。
ホンモノの対象は変わったのだとしても、より良くする意志は、いつまでもいつまでもカワラナイのだから。
そして、だから、俺には、この世界をより良くする義務があり、ホンモノを救い出したい気持ちに駆られているのだと自己認識する。
こっちは、まだまだ遅くはない。タイムリミットまで走りながら、できることをするよ。貴女みたいに。
もう、あの頃の自分はすっかり死んでしまった。履歴だけを共有している自分の身体だけが、こらえきれない急激な変化に耐えかねて、言動だけを停止させる。
あの頃、話すことすら躊躇って、戦う相手を変えてしまうことで忘れようと努力していた。難しい問題を解けば解くほど、乖離していってしまう距離に、むしろどこか満足していたのかもしれない。その躊躇は正しかったと断言できる。だって、それが今に繋がっているのだから。もし、あの時に与えられた振り通りに後ろを振り返っていたら、今のあらゆる関係性を否定することになる。一人きりで迷った日々そのものが無駄じゃない。
ただ、もっともっと知りえたらと思う自分は健在で、今の俺自身を高揚させる。知ることは選択を増やすことに繋がる。そして、それが俺を、こんな遥か彼方の地にまで追いやっているのだ。悲しい自由を含みながら、ね。
終わったら死んでもいいかも。。
と、俺もあの瞬間に本当にそう思えた。そして、実際に終わってしまったのに生きていることに違和感が残る日々を感じ続けている自分が、確かに俺の一部を作っている。だからこそ、行動的になれるのかもしれない。だからこそ、恐れなくなっているのかもしれない。
今できることを!
と現実的な格言が追いかけてくる。もう少し余韻に浸りたい気分を、あらゆる社会が赦してはくれないのだ。わかっているさ、今できることを!でも、きちんと落としどころをここでつけておかないと、何かに期待してしまいそうな自分に負けそうになる。というよりも、直観的には、期待してしまう自分がすでに存在していることに気がついている。どうして?わざわざ?だから?と、あっという間に言語化が追いかけてきて、現実的な格言を追い超してゆく。
ならば、その曖昧な夢の行方と、曖昧な輪郭を、そのまま受け入れる他ないのかもしれない。お互いにお互いの世界で頑張る中で、もしまたどこかで繋がっていたら、一緒にものづくりをしよう。
ホンモノの対象は変わったのだとしても、より良くする意志は、いつまでもいつまでもカワラナイのだから。
そして、だから、俺には、この世界をより良くする義務があり、ホンモノを救い出したい気持ちに駆られているのだと自己認識する。
こっちは、まだまだ遅くはない。タイムリミットまで走りながら、できることをするよ。貴女みたいに。
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