たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

能力が無いということ

2012-02-10 01:52:05 | Weblog
 上を見ても下を見てもキリが無いけど、下を見てちゃダメ、ってのは良く言われることだ。確かに、能力を向上させようと思い、上を目指すために、上しか見ない、ってのは、とっても大事。

 っでさ、その、「上」と「下」って、どんな判定基準で決めてるの?
 点数?偏差値?数?ネームバリュー?、そんな思考不足な表面的なことだけで「上」とか「下」とか考えがちになっちゃったら、ちょっと立ち止まって考えた方がイイかも。

 杜撰な評価によって優劣が決められてしまって、世間がそんな風に評価してしまっているのは仕方ないとしても、各々の気持ちの中までも、そんなくだらない価値観が浸透しているんだとしたら、未来は暗そうだよね。
 一つひとつ、長い時間のなかで得られる能力の高さについて、ちゃーんと思考して、それで優劣を決めるんなら良いかもしれないけど、手っ取り早いからって、点数の分かりやすさだけを目指した評価基準に縋り続けても、楽しくはない。

 自分の能力そのものと他人の能力を見抜く能力に、絶対的な自信があったなら、即物的な評価ばかり追いかけずに済むはずだ。
 数や結果、言葉に点数、そういう即物的なものにばっかり魅了されて、本当の能力を得ることを怠っていると、薄っぺらいことしか、教科書に書いてあることしか、言えなくなってしまい、それをそのまま表現してしまえば、幼い子供から疎まれるようになり、社会を楽しくなくす原因を創ってしまう。

 まぁ、こんなことを自信を持って言うためには、即物的な言葉が必要だったりするから、難しいとこだよな。

 スゴイ言葉を持っていたり、点数が高かったり、経験が沢山あることは、能力があることとイコールではない。経験があっても、能力が無い人達は沢山いる。
 でもね、、能力が無いっということは、逆に言えば、(少なくとも)無害であるし、可能性が多分にあるんだってことを、忘れてはいけない。

 俺は、能力があることも、能力が無いことも、評価には含めない。
 即物的な言葉や点数に自らが縋ってしまうんだとしても、自分よりも弱い誰かを即物的な圧力で押し潰すことで、本当の能力に対する羨望を満たすようなことをしないなら、希望はある。それこそが、未来を見据えて投資するということであると思う。

 大切なのは、どこでどう作用するかわからない自分の種々の力を、なるべく人のために使うようにする気持ちだと思う。自分が助けられることも含めての助ける準備が数多くできているなら、本当だろうが表面的だろうが能力なんてどうでもいいことで、それこそが非常に稀少なことであるし、一番スゴイことなんじゃね?

 っで、だからこそ、自分や信頼している人には、もう一歩高いレベルの意味での「能力」をつけようとする気持ちを持っていて欲しいと思っているのだと思う。
 あくまで、かなり先の理想なんだけど、想像できるってことは、ホンモノがそれほど遠くはないのかな、って思います。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 目がピクピク | トップ | 不調の原因 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事