たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

好きな人には気持ちのままに

2013-06-13 00:32:52 | Weblog
 嫌いな人と仲良くなることができれば、自分の幅も広がるし、まったく異なる価値観を手に入れられる可能性も高い。
 その嫌いな相手だって初期段階で自分のことを嫌ってるわけだから、ちょっと助けてあげたり、相手のことを深く認めるようなそぶりをするだけで、相手は「勘違いしていたんだ!」っと勘違いしてくれて、信頼関係を掴みやすくなる。

 こういうことを繰り返していくと、表面上では本当に誰とでも仲良くなれるし、その中からホンモノすら期待するようになる。嫌いだった相手が、好きになってくれて、自分も好きになっていく。それこそ勝ちっしょ?!ってね。笑
 色んな人と仲良くなるために、価値観を認め合おう!って、道徳の教科書みたいな結論に行きつく。

 でもね、こういうのって、たいていは、能力における多様性が広がるだけで、どこかで本当の部分が隠せなくなってくる。距離を詰めれば詰めるほど、どんどん最初の想いが湧いてきて、やっぱり俺とは合わないなって思いながらも、得意な愛想笑いで即物的な満足ポイントを探す。
 だから、楽しそうに笑ったあとに、『だりーぃ、マジめんどくせー。っていうか、眠いわー。』ってなる。

 っそ、俺が普段よく言ってることだけど、『最初に思ったことほど本当のこと』なんだよ。

 今まで、最初から、この人とはきっと上手くやっていける、お互いに高め合っていける、信頼関係を結べるだろうな、って思う人とは、やっぱりそうなってるし、たぶんコイツとは合わないだろう、って最初に思ったヤツとは、本当の感情の次元にまで落とし込んだときに、この世の果てまで上手く行かない。
 っま、一概には言えないけど、こういう傾向は強い。

 信頼関係を特別結びたくもない人に対して振り撒く笑わない笑顔を造るのに、信頼している人、好きな人、今後ずっと付き合っていきたい人に対して、『実は、だりーし。めんどくせー。眠いし、だるい!あとそれから、眠いわー。』ってやっていたら、迷惑だし、ウザいよね。

 信頼関係を結ぶべき人をないがしろにしてまで、博愛主義にはなりたくないから、その部分のパラメータを少しずつ自分よがりに変えていったら、少しラクになってきました。
 ただ、人間いきなりは変われないから、まだまだまだまだ変化の途中だけど、こういうほうが、結局、自分もやる気を出せるし、系(全体)をより良くすることに貢献できると思う。

 確かに、嫌いなヤツにまで優しくできなきゃダメだとは、今でも思うのだ。
 でも、無理にそれをして、大切な人との大切なモノを失いたくは無いし、そういう風になってしまうと、結局続かない。

 だとしたら、嫌いな人やどーでもいい人には、より良くできることをするだけに留めて、それ以上、めんどくさいことに踏み込まなくても良い。好きな人には、その気持ちのままに、楽しくインタラクションしながら、感謝を忘れず、困っていたら出来る限り限界まで助けて、きちんと認め合っていけたら良い、って結論。
 …のが、道徳の教科書には載せられないけど、現実的でしょ?笑

 好きな人には、気持ちのままに。
 本当に好きなんだったら、自然と優しくなるはずなのだから。
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