たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

不条理のレゾンデートル

2016-05-05 02:04:53 | Weblog
 みんな、単純な力の相互作用だけで、人間関係の様々な出来事を説明したがる。
 だから、空気や前例、権威…、こういったものを掌握している者は、比較してこれらを持っていない者に対して、何をしてもイイ、と言う風に考えがちだ。

 労働者は雇用者の奴隷ではないのだけど、自分は立場が上だからどんなことを言っても相手は断れない、自分は立場が弱いからどんなことを言われても断ってはならず命令に背いてはいけない、という方程式を頭に抱えていたりする。日本人は上司や先生を神とした宗教を信じている人が多いので、この論理はものすごく当たり前のこととして前提としている人すらいる。
 そして、数少ないまともな人の中にも、「この方程式に背いたら不利益が生じるのは当然だろ?」という人ばかりだ。

 上の例は権威を中心にしているが、これが空気や前例だと、抗議しなければいけない人すらあやふやになるから、もっともっと難しい。
 多くの人が抱いている悪習的な当たり前を、ほんのちょっと是正するだけでも、かなりの力を要する。そのためなら殺される覚悟がなくてはいけないことも少なくない。だって、保育士の給与を2%だけでも上げようと思ったら、日本死ね!、まで言わなきゃいけないんだぜ(笑)。

 もちろん、前提を疑いまくると、われ思うゆえにわれあり、まで戻るし、生命現象と物理現象のアノマリーはないと思ってしまえば、それさえも疑えてしまう。だから、ある程度のところまでで論理を止めてしまうのは大事なことではあるのだけど、せめて、誰かが深刻な顔をしていたり、誰かが声をあげていたら、それにはきちんと耳を傾けるだけの心の余裕を持っていたいと思うのだ。

 事実や正しさを獲得するのは、考えないで教科書の丸写しをしていたことをベースとして、ほんのちょっとの思考力だけで可能だ。それは普通に生きていれば身につくこと(受験勉強ばかりに注力していると逆に身につかないかもしれないけどね笑)。
 問題はそのあと。それをいかにして伝えるか。それを変えてしまうだけの勇気と根気があるか?自分に降りかかってくる、ほんの少しの不利益(そのときは、ほんの少し、とは感じれないけど)を享受できるか?

 でも、それは楽しいことでもある。
 だって、不条理がなけりゃ、みんな、頑張らないじゃない?
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