たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

気持ちに自信を持ちましょう

2015-07-09 01:12:10 | Weblog
 最近の若者は、みんなの前で自らの間違いや誤魔化しを露呈されると、本当に自分が間違ってたり誤魔化していたりするのにも拘わらず、露呈してきた人間に怒りの矛先を向ける傾向がある。よーするに、叩かれ慣れていないのだ。

 なぁなぁな集団に慣れてしまえば、そりゃそうなる。ほんのちょっと(本当の意味での)外の風を感じただけで、最終ラインのディフェンスが「分野が違うから」「この分野では!」と自らのレゾンデートルを主張するだけの思考力しか持ち合わせていない、ある種の向上心の無さを、恥も外聞もなく平気で怒りとともに露呈させてしまうのだ。
 我々が追っているのは、自然科学ではなく、自然現象である。分野など関係ない、(理想的にではなく)現実的に。

 閉鎖された社会にい続けることで、そこに胡坐をかいてしまうことを、一番に考えてしまうその心は、どうにかしなくちゃね。
 まぁ、単純に仕事として、その事実にキングが不満を持っており、それを壊すためのポテンシャルを俺に課している限り、俺はジョーカーとしての職務を全うするだけのことである。もちろん、奉仕することもあるけどね。

 そもそも、自信がある、ということを、何かの能力があるということについて落とし込んでいれば、そりゃ矛盾だらけの生き方になってしまう。
 自らの心持ち、自らの向上心や達成するための使命感、より良くしたいという優しい気持ちにこそ、自信を持つべきことである。

 あなたが、(全国の同級生の中で上位10人とかのレベルで)どんなに数学ができたとしても、どんなに数々の知識を持っているのだとしても、論理性が高く表情を読む能力に長けているのだとしても、決して、それらの能力そのものに一番の自信を持ってはいけない。
 あなたの心やその表現系だけに自信を持つべきであり、何かの成果があるとか、結果があるとか、知識があるとか、論理性があるとか、行動力があるだとか、数的処理が得意だとか、そんなこたー、どうだっていい。だって、どんなに素晴らしい能力だって、一過性であるのだから。

 有能(能が有る)であろうとするのではなく、優秀(優しさが秀でる)であろうとすること。

 ただそれだけを直向きに追いかけていれば、いつかきっと、あらゆる物事と、あらゆる人物に対して、まっすぐに笑いあえる日がくるはずである。
コメント
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