たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

集団の圧力

2015-07-05 03:53:01 | Weblog
 集団の圧力によって弱者1人を追い詰めていくことで成り上がることを肯定化するようなシステムは、そのシステムを構成している人間とともに必ず凋落する。
 端的に言ってしまえば、学生だって内定辞退したり無断で説明会バックレたりしてるんだから、「サイレントお祈り」は肯定化される、と考えているような企業は、必ず衰退化する。『企業は』という抽象的な書き方をしたが、企業の中にいるのだから自分は別に大丈夫、という、その思い上がりこそが破滅の始まりなのだ。

 これは完全に脅しだが、俺が実際に受けたり、直接話を訊いたりして、知っている限り、ここで書き下してもいい。企業も研究室も。まぁ、実際そういうサイトも既に存在していますが。
 っま、凋落したくないなら、今からでも、志願者1人1人に、土下座で謝れ。それでも構わないというヒエラルキーを持ち出してきて自分の行為を正当化するなら、それでいい。そんな考えは一過性。5年ももたない。

 ただ、企業や研究室などの、表面上あからさまに形式化されている集団は、まだいいのかもしれない。悪事がわかりやすいからだ。
 問題は、あからさまには観えない部分で勝手に派閥を作り、その集団の観えない圧力によって、個人を陥れようとする場合。こうなってしまうと、細かい仕草や無駄な独り言や、隣の人への極僅かな囁き声も、いっさい見逃すことなく、聞き漏らさないように努めなくてはいけない。
 こういう恐怖があるからこそ、少なくとも自分がしゃべりだす時には、すべての人間のすべての振る舞いを、いっさい見逃さないように俺は努めている。表情と身体の方向、僅かな目線のゆらぎ、感情的で無駄な、ほんの些細な独り言の声色など、すべて。

 自分の正しいことと、相手の正しいことをぶつからせることは、真相を引きずり出してくるだろう。実際に、そういう場を提供し、議論を深めている場所も存在はしている。
 ただし、仲良しとなぁなぁの差もわからないような、いじめっ子たちが、「多様性の保持」という名のもとに、ヒトを取捨選択していくとき、その顔を鏡で見てみたらいい。

 そう、、大人になっても、学歴社会などのヒエラルキーを、安易で、自分にとって都合のよい、手っ取り早いアンチテーゼなどを用いることで、その存在を闇雲に認め続けていると、、それは、あなた自身が昔々忌み嫌っていた、あなたをいじめていたAグループ(ノリの良い集団の総称)の怖い人と、同じような、醜い顔をしているのだと思う。

 Aグループが嫌いなのは構わない。でも、自分よりも年齢が下などという理由で、明らかに弱者になっている(自分から見ると)Aグループの誰かを、何らかの集団の圧力によって切り捨ててしまうことで、昔の劣等感や悔しい気持ちを払拭することはできないのだ。

 こういうことは、俺が身をもって、よく知っている。

 だから、何かでストレスを感じたなら、与えてきやがった、それ自身に対して、勇気を持って、常に返していかなくちゃいけないのだ。
コメント
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