たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

残酷な物理現象の時空間的制御

2012-09-13 02:40:23 | Weblog
 不器用で損している人を助け続けることが指針。基本的に、それさえしていれば、遥か昔に約束したことを果たすための、今できることは、できている。

 不器用で一生懸命であるということは、スカラーは大きいけど方向性が定まっていないために、即物的な結果がだせずにいるってことが必然的に多くなる。結果に寄与できる力はベクトル量であることを忘れてはいけない。方向性をきちんと定めずにがむしゃらに言われたことをしてたって結果がでるわけがないのだ。
 それよりも、力の抜き方が上手かったり、ある特別な抜け道を知っていたり、コスパーよく働くことにばかり執着している人間のほうが、上の人が望む結果がでる。

 そうではいけない。
 不器用で一生懸命で、それでいて、人のことを考えてしまうために、損をしている人が、きちんとした形で評価されるように、様々なパラメータを変えて、よりよく系を変形できなくちゃいけない。
 正直者がバカをみないような環境創り。それこそが、結局は、全部を救う手立てであって、俺が自然科学を理解し尽したい理由はそこにある。
 それは、この真面目な世界を知って以来、ずっと取り組んできている課題だし、必ず解決しなくちゃいけない、本研究の最終目標だ。

 そして、その想いについてマジメに取り組むほど、ちゃんと俺自身にも、即物的な結果が返ってくる。
 有益な結果の中に想いが内在していて、だからこそ、また次に頑張ろうって想えるのだ。

 時間を逆に遡ることはもう簡単だ。そのほとんどについて、もうすでに、できるようになれている。
 問題は、正の方向へ時間に打ち勝ち、理詰めのみで解決すること。それができなければ、つまり、理論が実験に対して先立つことを実践できなければ、物理学を軸においている人間としては不十分だし、何より、時間がかかりすぎちゃう。

 すでに何問も演習したことのある、理想環境下についての簡単な基礎問題を、時間をかけてゆっくり解くことで得られることは沢山ある。その、習得したばかりの道具を観察していると、本来解かなければいけなかった、逃げ出してしまった問題を目の当たりにすることになる。

 微笑されることによって揺らいでしまいそうになっている心の中で、その認知すらできず、もっともっとバカであれば、、っと、矛盾したことを想いながらも、今できることを探ってみたりしていた。
 すると問題点が浮き彫りになり、「環境と時間」、たったそれだけの違いで、他のパラメータが殆ど一緒でも、解ける問題と解けない問題が、かなりはっきり分かれてしまう物理現象と、戦うべきなのだと着想した。

 だって、どんな状況でも、どんな環境でも、どんな時間帯でも、どんな年齢であったとしても、不器用で一生懸命で何故か損をしている「残酷な物理現象」は、絶対に許せないから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする