たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

勝ち負けを冷酷に判断してしまうモノ

2012-09-08 03:07:23 | Weblog
 どんなに主張を繰り返しても、結局はカワラナイ現実を感じ取ってしまうと、変えようとすることに対してコスパーが悪すぎて、何もしないということが習慣化される。

 実は、主張する、っということそのものが現実を観ないことだったりする。
 今まで大切に築いてきた信頼関係やホンモノの気持ちを全否定するような現実を直視してしまったとき、そうじゃないんだ!、って、あっという間に崩れ去ってしまった信頼関係を慌てて立て直そうとするかのように、主張していく。
 オフェンスしまくってるようでも、本当の本当は、そうじゃないでしょ?、こう思ったんだよね?、だからこんな風に行動しちゃったんだよね?、って確認をとってるようで情けなくって、主張する勇気が年齢とともに失われていく。

 でも、そう思ってる人にいつも言いたいのは、そこまでずっと、言ってるわけじゃ無いでしょ?
 人には7回。言い続けることが大事であって、一発ガツンと言ったからって、それは何の効力も何の因子にもなれないことは、当たり前だ。

 即物的なモノや実益のある結果などを一番に望んではいないのに、俺がそのような主張の仕方を見せれば、みんな、それが欲しいのか、って勘違いしている。俺が本当に欲しいモノは、正しい方向の純粋な気持ちであって、それが露わになっていなくても、その想いさえ感じ取れれば良いのにね。

 目の前の、自分が想定していた都合のイイ現実とは、全く違う現実。ただの勘違いだったと打ち拉がれ、次にすべきことを求められる時、初めて、自分のオリジナリティーが出せるチャンスなのかもね。
 せめて実益だけを取りながら、次の選択肢の中からよりよいモノを選んで、ステップアップすればイイ。

 それが負けに観えたとしても、一見感じたとしても、その行動や主張が必勝方法であり、必ず相手の心の奥に届いている。
 どんなに強がっても、どんなに美辞麗句を並べてディフェンスしても、心は嘘をつけない。自分の、相手の心は、勝ち負けを冷酷に判断してくれるし、変えることもできないから、ある意味、残酷なのかもしれない。

 だからこそ、自分が完全に負けられるくらいのホンモノを見つけなきゃいけないのだな。
コメント
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