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たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

『研究したいの?論文書きたいの?』

2015-05-30 00:55:36 | 自然科学の研究
 理系のアカデミックの世界で生きていきたい全ての人に訊きたい。
 一つひとつ、自分の心に訊いてみて欲しい。

 1.『研究がしたいの?論文を書きたいの?どっち?』

 2.『何かを主張するときに、論文によって既に示されているから、というイイワケを使わない約束ができる?』

 3.『大学院で大学院生が何を習得すべきか、一言で教えて』

 4.『政治と実験的事実の違いが、明確にわかる?』

 5.『学会は誰のためにあると思ってる?』

 6.『再現性がとれるデータだけを扱う?それとも、再現性がとれないことを前提とした論理を構築する勇気がある?』

 7.『自分では明らかに実現不可能な研究計画を、自分よりも学歴と業績が劣る、自分よりも若い人間が持ってきた時に、正しく評価できる自信がある?』

 8.『あなたの分野の研究は、人類にとって絶対に必要だと思っている?それとも、本当は世界中の誰一人として、この研究分野になんか興味はないけど、いつか何かの役に立つかもしれない、という偶然性に賭ける気持ちで取り組んでいて、研究なんて所詮そんなもんだ、と思っている?』

 9.『あなたの研究内容における価値観が、枚挙的でないことを、論理的に示せる?』

 10.『知識の集積を目指す?それとも自分の理解を高める?どちらかなら、どっち?』

 11.『数学と、物理学と、化学と、生物学と、地学。要らない順で消してみて』

 12.『ピペドやIT土方と、博士の違いを教えて下さい』

 13.『研究を進捗させる上で、具体的に、もっとも必要なことはなんですか?』

 14.『科研費も政治も履歴も世間体も、いっさい関係無く、自由に、好きな研究対象を、好きなだけできるとしたら、何を研究しますか?それは、今やってる研究と、どれだけ離れている?』

 すべてに答えてくれるコメント募集(笑)。

「論文を読んでますか?」

2015-05-11 01:48:41 | 自然科学の研究
 ココだけの話、俺は論文を読むの嫌いです。
 博士号取得者がこんなこと言うと問題かもしれないけど、だって論文読んで、すげー面白かったわ―、って経験、殆どないんだもん。

 もちろん、色々話知ってて論文読んで、やっぱおもろいやー、ってのは全然あるし、2chとかに載ってて、原著読んで、おー、ってなるのはあるんだけど、、それでも一番多いのは、実際に原著論文読むと、『だから?』とか『いやいや、こりゃただ言葉で言ってるだけだろ』とか『捏造に近い』とか、そういうのばっかり。

 今の時代、インターネットに含まれているコンテンツの95%はゴミです。情報は有用でなくては意味がありません。
 原著論文も今やインターネットのものですから、まぁ確かに、感覚的には9割以上はゴミ、読んでも意味が無い文書ですね。

 知識を集積していくという作業は、何か文章を読んでいても、それだけでは決して得られない。
 自らの思考力のレベル、理解するスピード、応用を想定しながら、自分(の価値観)にとって何が必要で何が要らないかを考究しながら、新しい能力をつけていくという気持ちが無いのなら、文章をいくら読んでも仕方ない。

 そもそも、論文を読む、って簡単に言うけど、みんな、どれくらい、ちゃんと読んでるわけ??
 アブストしか読まずに論文を読んだ気になってたりして。

 背景をきちんと理解し(リファのアブストくらいは殆ど全部読む)、論文の目的をしっかりと把握した上で、当然すべてのresultsについて理解・考察し、(数・化学)式の意味を理解し、その導出を原理原則から手計算で追い、実験であれば、試薬と装置さえあれば明日から開始できる、というほど読みこんでいる人は、むしろ稀だろう。
 っで、それくらいしないと本来意味が無いと思うのだが、、これくらい読みこむと、9割以上の論文で、『ウソじゃん』『なんで、この条件無いの?この条件の結果によって、根底から覆るんだけど?』『高級な積み木してるだけじゃん』『当然の帰結で意味無いじゃん』みたいな感想を持つわけです。なので俺は論文を読むのは嫌いです。

 っま、とはいえ、2chのまとめを読むくらいの、つまり、ゴミをあさる気持ちで論文を読む、ってんなら、それでいいと思う。
 ただ、それをやっていることで、「勉強している!」と思わないほうが良い。論文読むのは、2chのまとめ読んでるのと変わりません。

 もし本当に勉強したいのなら、数学・物理系以外の人は、まずは高校の数学と物理の問題集でも買ってきて、きちんと解き直してみたほうが、遥かに勉強になります。知識量で思考力の低さを補おうとしても、ゴミでは論理性に敵わないです。

 だからといって、数学・物理を専門としている人が、それだけでお勉強しているとは思いませんが、統計的に、そうである確率は高いです。彼らは彼らで、統計的に、俺が嫌いな部分は沢山あるけどね。
 「どっかしら、なにかしら、文句があるんだね?」『はい!そりゃもう、ここに書けないほどに』

 バカみたいに言葉で誤魔化して、研究っぽさを演出してないで、、多くの研究会やゼミでは、高校の数学と理科の範囲をきちんとおさらいする、ってほうが、よっぽど意欲があると、俺は思います。

研究の心得

2015-02-01 04:06:15 | 自然科学の研究
 自分の一言一言が、自分の評価に繋がっていることを決して忘れてはいけない。
 くだらないゼミのくだらないオフェンス一つとってみても、どんなにクズだと思ってしまってるヤツと喋るんでも、明らかに自分のほうが優位に立てると思って発する言葉も、発言の仕方には細心の注意を払った方が良い。

 これは、だから無口でいることが一番良い、と言ってるわけではない。無口でいれば、こういう場でこういう時には話さないんだ、という評価になるし、それが良いことであることもあるし、悪いことになることもある、というだけだ。
 人生はいつだってオーディション。言葉が未来を創っていく。

 言葉といえば、昨日までアクセス解析が見れる期間だったんだけど、みんな、このブログにネガティブな言葉で入ってきすぎ(笑)。まぁ、それは俺がネガティブな言葉を使っているせいかもしれない、と思って少し反省したりもしていた。
 「研究 やめたい」とかで入ってくるのが多くて、研究室の選び方のほうで入ってくる人も、「研究室 コアタイム」とか「生物系 ラク」とかで入ってきます。なんと夢も希望も無い世の中なのでしょう。

 研究をしている人たち、それを志す人たちが、あまりに元気が無いのは良くないですね。みんな忘れているのは、理系で研究している人というのは、ノーベル賞取れる可能性があるってことです。
 いいですか、一般の他の人、ってのは、いっさいノーベル賞取る可能性は無いんです。0%です。みんながマララじゃないんですから。でも、研究してる人、論文が読める状況にある人ってのは、超可能性は低いけど、ノーベル賞をとるかもしれない。だから、暗い顔して、意地悪な顔して、眉間にしわを寄せて難しい顔をしてないで、もっともっと楽しく、みんなで楽しく、そしてそれが続くように、研究を進捗させなくちゃ。
 無理に誰かにアジャストしなくて良いし、学生のくせに学問そっちのけで政治力学を重視する必要もないし、誰かを蹴落としてまで何かを得る必要はありません。どのような立場でも、どのような惨めな状況でも、素晴らしい研究になりえるのですから。

 こういうことを言うと、生活がー、とか、この研究社会で生き残るためにはー、とかみんな言ってきますが、だったら、今からでもふつーに就職すりゃーいいじゃねーか。生き続けることの醜さを、胸を張って、したり顔で語るな、うっとーしい。研究は、俺の認識では、賭け、ギャンブルです。ギャンブルをする前に、負けても大丈夫なだけの資格や能力を得ていない、お前が悪い。
 もちろん、世に言う研究遂行能力とは、思考力や論理性や行動力に依存はしますが、それはギャンブルだって同じこと。研究はそもそもが高尚なことじゃありません。その程度なんです。その賭けをし続けられる限り、あなたは大成功する確率がある、そのリスクはとても大きいけれど、ってことを忘れないで、と、あらゆる非人道的な行為に近いシーンで感じます。

 「賭け」程度のことをし続けるために、人を(精神的にor肉体的に)殺すようなことをしたり、誰かを蔑んだり、バカにしまくったり、罵倒したり、理不尽にしたり、誰かに媚びへつらったり、追いやったり、見せしめにしたり、そんなくだらない、自分勝手なことをしているのは、非常にバカバカしい。そんなことをするくらいなら、賭けから降りればいいのに。

 生き続けるために、という気持ちが全面に表現されてしまえば、いじめになってしまうことは明らかだ。それは幻想でもなければ妄想でもなく、ただの原理であり、世界でも典型的に観られる至極ありきたりな現象。そうやって、人は人を殺す、という構造をきちんと理解していなけりゃいけない。賭けをする以上はね。

 俺の最も尊敬する理論研究者の一人の最後の言葉が響く。
 「我々は、物理や、サイエンスをやる前に、所詮一人の人間だということを絶対に忘れてはいけない。そうでなければ、いつかは崩れ去る」

 やはり、言葉、ということに、細心の注意を払わねばならないよね。

 賭けに勝つヤツがいれば、その数十倍以上、賭けに負けるヤツもいる。ただし、不当に賭けさせないような手段を講じて、他人を故意に蹴落として這い上がり、正当な勝負をせずに、「研究の世界は厳しいのだから」などという言葉を使うなら、それはただの傲慢だ。

 その傲慢さこそが、研究は高尚なものである、という勘違いである。
 自然科学は、自然現象と人との勝負であり、確かにそれは厳しい。人と人とが争う意味で厳しいわけじゃないのだと俺は思っている。

 …と、今日の記事(の言葉)は、大丈夫かな?笑

理系博士号取得者を教員免許無しで教員にする制度

2014-12-03 00:26:42 | 自然科学の研究
 今日、研究室の後輩から教えてもらったんだけど、理系の博士号所持者は一部の地域で高校の教員に教員免許なしでなれるらしい。今回新しく和歌山県で導入された制度では、採用されたのち特別免許状が発行される。
 県立高校の採用試験に教員免許不要 来年度から理系博士号取得者

 これは、このブログにやってくる色々な人にとって朗報なのではないだろうか。俺が知らなかったのは問題なんだけど。。

 そもそも、教員というのは、色々な人がやったほうが、生徒にとってイイと思うのだ。
 色々な人ってのは、マジで色々な人ね。博士号なんて取得しちゃうような、どCグループの人やコミュニケーション下手な人、Aグループでノリノリな人、障害を持った人、元ヤン、おじいちゃんおばあちゃん、(英語を教えるだけじゃなくて)外国人や起業家など、様々な人を先生として迎えたほうが、生徒はきっと楽しいはずだ。
 なによりも、生徒本人が、その色々な先生のなかに、自分が目指すべき成功のイイ例を見出しやすくなる。

 博士号もってるヤツ、博士課程にいるヤツ、博士課程に行こうとしてるヤツなんて、世間からみたら、ただのモノ好きの変態ですから、そういう人で教育に携わりたい人が、SSHなどに行って、熱心に高校生に向き合ったら、たぶん楽しい。
 SSHなら学会発表とかもするみたいだし、これからのサイエンスは、もっともっと、常識にとらわれない自由な発想が大切だと思うので、このキャリアパスも、ほんの少しだけでも、心に留めておくと良いだろう。

 っま、数学も理科も免許持ってる俺には関係無いんですけどね。。
 あれ?でも、更新性の賞味期限を気にしなくて良いってことか?、やったー!!...一部の地域だけどね。笑

科学にロマンはあるか? -科学好きな若者へ-

2014-10-27 01:12:11 | 自然科学の研究
 自然科学は夢を現実にするのに十分すぎるほどの手段を持っている。
 誰もが自然現象のなかで生活をしていて、そこで生じる不思議な現象やそれらを論理的に成り立たせるための理屈に興味を持っている人はきっと多いだろう。

 あらゆる自然現象はそれだけで人の心を動かす。科学のことを考えるだけでも胸がワクワクするし、楽しくなることができる。
 宇宙、細胞、昆虫、火山、化学変化、超伝導、数論、素粒子、生態、大気、地層、原子分子、、あらゆる自然科学のキーワードを聴くだけで楽しくなるし、それらを観てるだけでめちゃくちゃ楽しい。

 それなのにどうして、多くの研究者は目が死んでしまい、やる気のある大学院生ほど研究の現場を去ってしまうのだろうか?
 どうして繫文縟礼のために研究者とその卵たちが(実質的に)死んでいかなくちゃいけないのだろうか?

 いつしか自然科学は、自分を強く見せるために相手をバカにしたり、結果が無ければ夢も語れない潮流になってしまったがゆえに、目標がきちんと定まっておらず分野に依存した形式的な作業を研究行為だと偽り続け、「(論文や科研費の申請に)書ける」ということが口癖になり、クソつまらない内容を面白いと讃えることが習慣化されてしまった。
 そして、まだ夢を持ち目が輝いている、新しいM1や卒研生が入ると、みんなでそれをバカにして、「現実をみせる」という大義名分のもと、みんなでその気持ちを殺し、殺してしまった現実を観ないで「あの程度でやめてしまうんだから、彼(女)は研究者には向いていなかった」と決めつける。

 嗚呼、楽しい科学がどんどん楽しくなくなっていく。

 「お前なんかに、そんなこと、無理に決まってんだろうが!だから、どうでもいいことを巧く誤魔化して、とにかく当たり前のことを書け!」ということを教えることが大学院教育の場なのだ。

 しかし、本当に科学が大好きな、そしてそれを志す若者(特に理系の大学院生)は、よーく考えてみよう。
 50代、60代のクズたちだって、本当は、夢を観ていたいのだ。本気でフェルミのパラドックスに挑みたいし、本当の本当に生命とは何かを知りたいし、ロマンを持って研究を進捗できる科学式を知りたいのだ。

 確かに彼らは最低であり、ほっておいても(本当に)すぐに死んでしまうから、無視し続けても良いかもしれない。だけど、無駄な時間を過ごしてしまったから、相手にもそういう時間を過ごさせなければならないと考えているクズをも、正しく楽しく科学を進捗させる術に巻き込むほどのまっすぐさが、これからを創る我々に必要なんじゃないだろうか?

 だとしたら、すべきことは何か、もうわかるはずだ。

ラーメンズ 「科学の子」 part1


ラーメンズ 「科学の子」 part2

好きな研究をできるのは誰か?

2014-10-19 04:00:37 | 自然科学の研究
 ハッキリ言ってしまえば、理学の研究は何の役にも立たないし、生産性も何も無い。
 そのわりに、実験検証をしなくてはいけないため、お金はものすごくかかってしまう。(少なくとも緊急的には)何の需要もないわりに、下手なベンチャーよりもがっつりお金だけは必要であるという矛盾した点を抱えている。

 そこで、カネにならない多くの研究は国の税金に頼っているわけだ。直近で必要が無いからと言って、理学が必要じゃないわけじゃない。理学は多くの人の幼心に宿る根源的な知的好奇心を満たすとともに、それを利用して未来の生産性を高めるものだからだ。であるので、その遠い未来への投資として、みんなから少しずつお金を頂いて研究をしているわけである。

 しかし、身の周りを観ていると、どうも、みんな、自分自身が本当に(理学にとって、もしくは、自分にとって)必要だと感じられる研究ができていないように思う。簡単に言ってしまえば、好きな研究をすることができないどころか、与えられた研究のなかで好きなやり方で研究することさえ困難なようだ。

 極端な二点を取ってみると、、卒研生は右も左も何もわからないから、とりあえず選んだ研究室にアジャストするべきであり、自分が好き勝手に研究できるような状況ではとてもない、というのが殆どだろうと思う。
 かといって、教授職についているおっさん連中も、学生のうちは好きな研究がまだできますからイイですよね、と漏らしているのを何度か訊いたことがある。

 では、一体全体、誰が好きな研究が好きなようにできるのだろうか?

 その中間である、大学院の学生やポスドクや若手研究者ができるか、というと残念ながらそんなこともない。
 何かを純粋に知ろうと想い、多角的に動こうとしても、上に立つ偉そうにコントロールしたがってる連中が、寄ってたかってめちゃくちゃにしてしまうし、何よりも自分で自由に使えるお金が無いのだ。もちろん、若手独自の科研費もあるが、大抵の場合は、先生あってこその研究費。だから、一度、理論研に入ってしまえば、突然実験したくなっても実験することは難しいし、かといって実験をする研究室の人が、すぐ隣の他の研究室にある実験装置をすぐに使えるかと言ったら、そんなこともない。
 そこには、明確にお金と、それを使う為の大義名分で溢れているからだ。

 そもそも、いまや理学は、難しすぎるか、複雑すぎるかの二択。一般の人がある研究の重要度を自力で算出することはほぼ不可能に等しいし、たぶん俺は、普通の大学院生よりは、遥かに様々な範囲を見聞きさせてもらっているけれど、それだって、価値の判断がすぐにはつかないことが多い。さらにひどいことに、研究の世界では「その研究の本当の価値」を喋ることはタブーとされている。「理系は自然現象そのものだけを考究すべき!」というラクな逃げ方を理系はよくしてしまうのだ。

 だから、知ってる人間が評価すればイイ!、相互評価すればイイよね、っとなるわけだ。
 というわけで、政治力学が生まれ、民主主義だから数の論理で、他の物事をまったく何も考えていない専門バカな今の50代60代の量産系クソ研究者どもが、研究を上から勝手に評価するわけだ。専門バカと言えば聞こえはいいが、よーするに、評価と称して自分の立場を主張しているに過ぎない。よくゼミで、優秀な雰囲気を「あえて本当のところは何も語らない」感のみで醸し出しているクズな若手が、質問と称して自分の意見を述べていることがあるが、代案なき批判をしてしまうところが若手も老害も物理現象として何もカワラナイなぁと思う。

 かといって、50代60代の人達も、相互評価に苦労している。なので、ベテラン研究者は、科研費の申請に書いたとおり、もしくは報告書に書きやすいような、実験をすること、色んな意味でコスパーの良い論文が書けるようなテーマを、若手や学生に強要するし、そこに耐えていける人こそが研究に向いているのだ、と心底思ってしまうわけだ。

 問題の根本をもう少し考えてみよう。

 「あの先生はおカネをとってくるのが上手い」
 とよく訊くが、それがイコール優秀な先生ではないし、不正確なコメントだ。正確に言えば、「あの先生は、多数決を利用して、ただおカネを貰ってくることだけは長けている」とかかなぁ。

 よーするに、テストでイイ点数をとった子どもが、お母さんに褒められて、お金を貰っているのと、何もカワラナイのだ。
 そして、その貰ったお金(科研費)で、新しい参考書(実験装置)を買ったり、塾に行ったりして(学会に行ったりして)、もっとレベルの高いテスト(学術雑誌)でさらにイイ点数を取る。だから、またお金(科研費)がお母さん(国)から貰えるが、それをまたもっともっとレベルの高いテスト(学術雑誌)でイイ点数を取るためだけに使ってしまっているわけだ。テストは、絶対に正しいことがはっきりしているから、まだ良い。しかし、研究はそうもいかない。研究が上手くいくかどうかは賭けだからだ。だからこそ、不正が起こる。本末転倒も甚だしいが…。(ちなみに、研究費の殆どを大義名分に使い、余ったお金で自分のやりたいことをできそうな気もするが、報告書がある以上、そうもいかないだろう。だいたい、年末になるとやたらめったら試薬を買ったり、余ったお金をどうしようか、というのは、研究室に限らず、どこの世界でもあることだよね。)

 誰かからお金を貰っている限りは、自由に好きなテーマを好きなやり方で研究できるわけがない。カネを大義名分で貰っている限り、理系は全員、文系(主に役人)の奴隷だ。理系に比べて、バカがマジョリティをどうしようもなく占めてはいるが、数が多いのだから、、民主主義に従えば、まぁ、当たり前のことだよね。

 だけど、忘れないで欲しいのは、俺ら学生は違う。本来的には自由に研究できるはずなのだ。
 学生は大学にカネを支払って研究させてもらっている立場だ。研究にしか使えないカネである研究費と完全フリーなポケットマネーである学費を、対等に扱ってはいけないことは、市場の論理から考えれば普通のことだと思うが、こうした当たり前の論理に対しても、理系は自然科学に専念すべし!という宗教を信じ切って、経済を何も考えたことが無い理系からすると、「君の学費は試薬代に消えてるからね?」などと平気で言ってしまうのだ。
 まぁ、だから、俺らよりも下の世代、特に修士課程の学生には、自ら自由に研究している姿を、俺は実はめちゃくちゃ期待していたりする。もちろん、小中高と奴隷気質を染み込ませる日本の教育システムのなかで育っている現状を考慮すると、すごく難しいとは思うけどさ。

 そう、、というわけで、おそらく、少なくともこの日本では、好きな研究テーマを好きな方法で研究している人なんて誰1人としておらず、、今後、自然科学、特に理学は、独自の経済体系を確立せねば、いずれは崩壊してしまうだろう。

 代案なき批判は嫌いだ、と言っていながら、俺はこれについて代案をあまり思いつけていない(ここで公開できないくらいフワフワしたものはあるけれど、そんなものでは意味が無い)。もう少し考え抜いてみないと、たぶん解は見えてこないだろう。。もっともっと、頑張らないとなぁ。

 でもまぁ、大丈夫。今の20代と40代(と50代のすごく前半)は、まだ、期待できるから。

何が人を自殺まで追い込むのか? -STAP細胞の報道について-

2014-08-06 01:16:30 | 自然科学の研究
 今日の理研CDBの笹井芳樹氏自殺のニュースを初めて見た時、冗談かと思ったのが正直な感想だ。
 そうか、なかなか事態が悪くなる一方だなっと思う。

 メディアの報道の仕方が悪い、誰か一人が彼を自殺まで追い込んだのだ、などの意見は的外れだ。(そういう部分も確かにあるのかもしれないが根本は)そうではなく、自然科学の研究世界の暗黙のルールが、一人の人間を自殺にまで追い込んだのだと俺は思う。研究を相互評価しあうことで生じてしまう政治力学が、何よりも問題だ。

 冷静になって考えてみれば、この国での年間自殺者は約3万人。なんでもかんでも「心不全です」の一言で済む死因不明社会である日本は、リアルな数字で自殺者は年間10万人を優に超えるとも言われている。そのなかで、俺は、研究に従事したために死んでいる若手・学生の数は、結構多いんじゃないかと思っている(実際に俺が知ってる数を考えてみても)。むしろ、こういう世間に知られていない、ひっそりと(自殺だけでなく)消えていってる優秀な若い世代のほうが、考慮すべきかもしれない。

 笹井先生は、自身が若いことでのツラさは無かったわけだし。
 ただ、やっぱり、こういう形で死ぬってのは、後味が悪いもんだよね。

 特に、これから生命系を目指す人、今現在、生命の分野に身を置いているや生命をフォーカスしている研究者や学生に、はっきり言っておきたいのだが、『生命現象を扱っているのだから、決して自殺するな!』
 生命系を志す人は、少なからず自分の研究が医療にも関連があることを自覚してもらいたい。だから、自身の生命に対して「自殺する」という物理現象を選ぶことは生命をまったく理解するだけの基礎ができていない、ということになっちまうし、医系の心からしてもまったく違うじゃないか?何で自分は数ある分野から生命を選んだのか?それを想い出してもらいたいのだ。

 とにかく、これからの俺らの若い世代で、研究の世界を絶対に変える!そうしなければならない!!

 追記2014/8/7
 なんか多くの理系がメディアを叩くことで納得しようとしている感じがするんですが、そんなんでいいのかなぁ。もちろん、メディアの報道の仕方が悪い部分は大きいんだけど、それと同等に研究世界がオカシイと思うんだけど、誰も、自分たちはこうしよう!みたいなのが出ないのが、ちょっと残念です。
 一部、本当にごく一部、ちゃんと意見を言ってくれてる理系はいるんですが、なかなか難しいもんですね。

科学と政治とお金

2014-07-31 02:27:49 | 自然科学の研究
 今日は「科学と政治とお金」について話します。頭文字とって「KSO(クソ)」です。
 あ、一部の方へ、、パクってごめなさい。。笑

 何をするんでも、まず必要になるのは予算、つまりは「お金」だ。それが理学の研究ともなればお金はめちゃくちゃかかる。
 研究室を廻すのに、最低いくらかかるのか、なんて、分野によるし研究機関にもよるので、わからないが、まぁキリの良いところで1000万円/年くらいだと考えてくれればいい。どんなに小さいことをするんでも、かなりの額が必要になってくる。文系でも20万円/年が最低でも必要だとか言ってるし、いくら理論研で、まったくお金要らないって言っても、あらゆる原著論文をフリーで読むために、大学はおそらく数十億円かけているはずなので、本質的にはお金が必要だということは例外では無い(これから話すことや図からは例外になってしまう部分があるけど)。



 つまり、殆どの場合、税金を使って研究をしていることになる。
 ここで上の図1を観て欲しい。これは理想的な状態での、自然科学におけるお金の使われ方だ。国民は、本質的な自然科学の進捗や教育発展を願って、研究従事者に(強制的に)投資をしている(させられてる?)。ならば、お金をかけただけ自然科学が進捗したら良いわけで、その理想が図1というシンプルな形だ。

 しかし実際には違う。なぜなら、研究は必ず人を介して行うものだからだ。
 だから、現実的には以下の図2のようになる。



 予算はまず研究従事者に分配されるようになっている。その分配の仕方を決めるのは、カネを払っている国民ではなく(国民は研究の価値や実力が判断できないと見做されている)、研究者同士、相互評価しあうことで決まる。だから、政治力学が発生するのだ。そして、そんなことをしているから、いつまでも本質的な自然科学の進捗が成されない。

 例えばこの図を大きなプロジェクトの予算配分だと考えてみよう。新学術でも「さきがけ」でもその他ビッグプロジェクトの共同・連携研究者同士の組織図でも何でもいい。
 そのプロジェクトの中には、必ず領域代表者やプロジェクトリーダーが存在している(図では研究者A)。よーするに一番偉い人で、そのプロジェクトの最高責任者で、音頭をとる人だ。その人からさらに別の何人かの研究者に分配することを考えてみよう。すると、図にあるような政治力学的作用反作用が成り立ってしまうので、政治力学の中で予算が分散してしまう。しかもここに実験装置を売る「業者」が入ってくるので、むしろ予算が有ればあるほど、ただ単純に政治に使われるだけで、まったくもって必要な実験装置やシステム作り、自然科学(理学)の本質的な進捗にカネが回っていかないのだ(最近、俺はこの現象を、政治力学ぐるぐる、と名付けた笑)。
 大学には一定数、必ず、何のために使ってるの?、っというくらい、これまでにまったく使われていない実験装置やハイスペックすぎる技術や(それだけなら"まだ"いいが)無駄に高級なソファーや生活品や部屋そのものなどが存在する。もちろん、ある程度は仕方ないし、意味の無いことに埋もれたカタチで研究進捗がされるわけだが、それにしても数が多いのが目立つことも多々あると俺は想っている。
 そして、みんな、予算をとってきてる先生が偉いと思ってしまっている。いやいや、それを言うんなら、偉いのはポケットマネーから税金を容赦なく支払わされている国民1人ひとりであり、学費を払っている学生であるのに、そんな社会の常識、市場の論理は、研究世界では通じない。とにかく、権威がもっとも大事で、不正があれば若手研究者や学生の責任。

 まぁ、この論理が間違っているなら本当に幸せで、むしろ間違いを正確に正して欲しい。そんな嘘をブログに書くな!もっと純粋に自然科学がちゃんと進捗するように研究社会は成り立っているぞ!、と考えられる考え方があるなら、本当に本当に幸せだと想う(ので俺に教えて欲しい)。この記事が完全に間違っている方が希望が持てるのだから。

 みんな心のどこかで、そんなん「普通」だよ、どこの世界でもそうだよ、っとなるんじゃないだろうか、と残念ながら思う。
 確かに「普通」なのだが、それを「普通」として対応しておこう、「普通」だと思おうとしてしまうことこそが、健常ではないかもしれない、と少しは考えてみないのだろうか?
 本当にこれほど腐っていて、クソで、それを持続させようとするのなら、日本の科学は一度、さっさと凋落してしまった方が良い。

 だけどね、俺らの世代が創るであろう未来では、この状態は保持されない。それは、今の段階でもすでに、本当に素晴らしい研究者が僅かながらも、日々邁進している姿を、俺は良く知っているからだ。世界に、じゃなくて、日本だけでもね。

 環境や業績やお金の算段は関係無い。本当に本当に能力があれば、ほんのちょっとのお金で、新しい分野を切り開き、自分のできることを精一杯やることで、論文を書き続けることだって、原理的にはできるのだ。
 すべての研究従事者が、その点を、少しだけでも想い出せてもらえれば、わざわざ図を作ってまでこの記事を書いた意味があるもんだ笑

信用できる物理と夢見な物理

2014-05-04 04:31:31 | 自然科学の研究
 自然科学の世界に限らず、何事も単に信じてはいけない。
 じゃぁ、お前が信じているモノで疑わしいものはないのかよ?っと言われるとそんなことは無い、疑わしいモノだらけだ。じっくり考えてみると、疑わしいことを既知として信じていることも多い。

 物理学は理系の学問の中でも、かなり信用してイイ部類だと思う。
 しかし、理論研の人達が専門書を手に取りながら「この人は信用できるの?」っと会話しているのをよく見かけるんだけど、がっつりの物理学でも「人」を基準にして信用度合を考えているケースが意外と多い(理論研なんだからテメーで読んで理屈で考えろよっと思ってしまうが、暇そうにみえる彼らも忙しいのである)。ってことは実は、あんまりみんなちゃんと考えていないんじゃないの?って不安になってきたので、今日はどこまでが確実に信用できるのかを少しだけ考えてみようかと思う(がっつりやるといつまでも公開できないので、精緻じゃなくても勘弁してね)。

 自分で実際に(実験して)観たことがあって、それに対して確かだと俺が思えている、ってのが審査基準ね。

 確実にこれは正しいだろ、って思える学問体系の一つはニュートン力学です。これは自分で実験もしてるし、明瞭に正しいと思える。モンキーハンティングの実験で加速度の式は確実にあたってることはよくわかったし、振り子の周期(高校生が"リンゴ"で覚えてる周期の式ね)とか何回もやってるから絶対大丈夫。

 

 上の動画に挙げときますが、MITのOpenCourseWareで有名なWalter Lewin先生の最終講義でやってる振り子の実験が、面白くて実感できます(後半の光の散乱実験も面白い)。英語が得意な人は観てみてね(5:25くらいから見るとイイかも)。13:38からはLewin先生が過激なパフォーマンスをします、おもろいですよ。
 剛体についても、学部の一年生の時の実験したし、その慣性モーメントの加算性や回転半径との関係性などイヤというほど理解させられたわけで、信用できる(っていうか、なつい)。非線形現象についても、力学については納得してるつもりです。振動論でヒステリシスも実際に体感させられたし、そういうことがあるって、うむ信用出来る。

 電磁気学も信用出来る。このLewin先生のOpenCourseWareの電磁気学の授業でも、(何回目かは全然覚えていないけど)その中で出てくる実験によって色んなものが体現できたし、電磁気学は学部の実験も充実してるしね。
 ただ、実験では真空中の電磁気学ではないので、物質中の電磁気学は信用してるってほーが強いのかもね。測定量だとEやHは測定できるけどDやBは測定できないわけだし。まぁ、その基盤となってるのが真空中の電磁気学なわけだからイイのか。エレベーターでスマホ使えないと、いま導体中に入ってるからGaussian Surfaceを中で描いてみりゃそりゃそうだよねーっとかよく思います。うむ信用できる。
 ちなみに、シルバーシートでケータイ使っちゃいけないってのは、電磁気学をちゃんと理解してるとマジでアホみたいだよね。ペースメーカーをつけてる人をダシにしてる鉄道会社もサイテーだと思うし、ケータイ使ってる人に文句言ってるペースメーカーつけてる(特に)老人も、自分がペースメーカーつけてるんだからもっとちゃんと電磁気を勉強しろよ、って思うことが多いです。日本以外だと車内でふつーに電話かけてる光景も多いですよ。そーやって新しいモノを排除するような傾向だから、日本はいつまでも発展しねーんだっつーの。まさにこういうただ言われたことを信用しているってのは、本当に怖いです。

 さて、熱力学になると、ちょっとあやしくなります。拡散方程式とアインシュタインの関係式によって、ボルツマン定数が求められるので、Langevinのブラウン運動の実験をして確認してますから、とりあえず気体分子運動論と原子論は受け入れられます。
 でも、自由エネルギーとかエンタルピーとかのあの辺って、どうやって納得すればいいんだろうね?導入としてはわかるし、各熱力学函数とそれらの変数がルジャンドル変換で結びつけられることは、論理的な手順としては久保先生の本とかを読めばわかるけど(俺がどの程度ちゃんとわかってるかは別として)、本当に実際そうなってんの?って言われると、俺は自信ないっす。誰か教えて。

 量子論についてはプランク定数を光電効果の実験から求めたことがあるのでOK。かと思うけど、シュレディンガー方程式とか微妙かも。当然一粒子で観たことないし、あれ、ホントか?光電効果だけ信じられれば、シュレディンガー方程式が完璧おっけーなわけじゃ全然ないだろと思うんだけど。うーん、正直わからん。(実験やってる人間としては失格だな笑。までも俺はふだん基礎物理の実験をしてるわけじゃないんで許してけれ)
 まぁ、超伝導はマイスナー効果の実験や電気伝導測定で確認してるから、BCS理論などのマクロな量子論としてはある程度OKではあるんだけど、まぁでも第二量子化して場の演算子使ってるし、基礎的な量子論を信用するかしないかって点では、別枠であつかったほーがいいんかな。
 まぁでも、バンド理論とか、半導体や金属や半金属については実験してるわけだし、エネルギーバンドの存在って意味では、シュレディンガー方程式から導かれるわけだから、イイのかな。とすると、ボルツマン公式において状態数が定義できるから、、うーんでもやっぱり、エントロピーをああ書けるってのは体感できない。言葉や論理で遊ぶのはいくらでもできるけど、実を伴ってない感じがしちゃうんだよね、この辺はもう少し考えておくことにしよう。
 ってなわけで、これと上のブラウン運動のケースと電磁気を合わせると、これで有機化学はほぼオッケーだね。安心してNMRがとれるね(笑)。スピンについては磁性体の実験ををちゃんとしてないと言えないけどね(磁性体の実験は当時の俺がめちゃくちゃ嫌いでとらなかったんだよなぁ)。

 となると、一番あやしいのって、相対論だな。まぁ、なかなか実験がしにくいのか、ネットでも信用できないって人が結構いるよね。
 マイケルソン・モーリーの実験って簡単にできないのかな?できそうなもんだけど、でも確かに俺もした覚えは無い。一般相対論については、俺に至ってはその論理展開もよく知らないので、なんにもわかりません。ただ確か、水星の近日点移動が太陽の重力場によって光が曲げられていることの観測証明だったと記憶していますが、実際に俺が測ったわけじゃないので、やっぱりなんとも言えませんね。

 まぁ、でも反粒子の存在について、めちゃくちゃ信用してる友達が実験してますので、話も何回か訊いてるし、特殊相対論とディラック方程式は信用してよさそう。
 え?信用してイイ最初の定義からズレているって??実験してるとこ何回も観てるし、、うーん。ダメか?!

 そもそも、そういう誰も人を信用しないようなCグループ(ノリが悪い集団の総称)が研究してっから、理系は冥いんだよ。っと逆ギレしてみる笑。ここまで学問が成熟しちゃうと、全部が全部、独りで実験できるわけじゃないからね。

 破れた対称性の数だけ南部ゴールドストンボソンが出現するように、破れた人間関係の数だけ個の能力が上がる。でも場の量子論と違って、より強固な自己組織化をしている生命体である人間関係では、そもそも自発的には対称性を破りたくない力が働いてしまうわけで、それこそがなんの保証も無いのに信用してるかのような幻想が働く正体なのである。
 っで、彼とはそんな夢見な幻想を抱くような相手じゃないから大丈夫。だから特殊相対論は信用出来るさ(笑)。

 …いま残ってる関係性は、そんな薄っぺらいもんじゃないよね?っと問いかけて、終わっておこう。

ポスター発表で成功するコツ -知り合いの研究者を増やそう-

2014-04-25 00:06:43 | 自然科学の研究
 学会発表をするときに、学生がとりあえずよくやるのが「ポスター発表」。今日はポスター発表で知り合いを増やす方法を語ってみようと思う。
 ちなみに、ポスター賞や若手奨励賞をとる方法は知りませんが、一部参考になるかもしれません。

 学会で知り合いを増やす、ってのはその後のキャリアパスを考えるときにまぁまぁ必要な行為なわけだけど、なかなかいきなり話しかけたりするのは難しい。だけど、学会のポスター会場では発表していると自然と会話になるし、割とコスパーはイイのです。
 でも、何も対策をせずに発表すれば、発表時間に誰もまともに訊いてくれず終わり、ということもよくあります。確かにそれでも業績としては変わりませんが(これはこれで研究評価のやり方が大問題なのだけど)、せっかく発表させてもらってるんですから有意義な時間にした方がいいでしょう。

 これは経験的な感覚ですが、1時間で10人以上は捌かないと、その後の人脈として意味のある発表にはなりません
 手っ取り早く、たくさん(自分にとって価値のある)人が来て、人脈作りをするためにはどうしたらイイか?今日は考えてみましょう。ちなみに今回は国内学会に限ります。


 1.タイトルは短く

 要旨を見て重要な研究のポスターを訊こうとしてる人からすると、クソ長いタイトルは即座に対象外になってしまいます。あなたにとって価値ある研究者は、数百、時に数千のなかから、限られた時間のなかで、何を観るか?を考えています。なので、タイトルは出来る限り短くしましょう。

 タイトルのつけ方は「目的+キーワード」です。ディテールを書きゃいいってもんじゃないです、これは守って下さい。このブログでもそうですが、長いタイトルの記事は決してバズりません。
 「そんなこと言われても指導教員や上の人達からタイトルも修正が来てしまう」と思われるかもしれませんが、長いタイトルで修正されてきたら、またその修正を受けて、出来る限り短いタイトルで送り返しましょう。

 2.サイズはA0で仕上げる

 これは当然過ぎて言うまでもないことですが、たくさんの人に観て欲しかったら、ポスターは必ずA0で作りましょう。持っていくのがめんどくさいなら布で作れ。紙でも布でも、最近はあんまり質が変わらないですから。

 あなたはA4で口頭発表のスライドを貼り合わせただけのポスターに目を留めますか?
 PIの先生でもそれは同じことです。

 3.色は青を基調としない

 パワポで作るにしてもイラレで作るにしても、日本人は青を基調としすぎです。ポスター会場はいつも真っ青です。
 青を基調にしたポスターは目立ちません

 どうしても青がイイのであっても、デフォルトの色を使用するのではなく、色空間で座標指定した色を使いましょう。
 色のセンスに自信が無いなら、パワポなどに入ってる座標指定のやり方と同じ色の座標が組み込まれている色彩学の本を一冊持っておくといいかもしれません。[CMYK]というインクに合わせた座標指定の仕方がありますので、それが書いてある色彩の本は持っていて損はありません。

 4.ポスターにメールアドレスを書き、ポスターを小さくA4に印刷した用紙を15枚以上持っていく

 これをやってないヤツはバカです。だって、これをしなかったら、この先あなたとどう連絡を取ったらいいのでしょう?
 名刺だけではダメです。あなたの名前と顔なんて、あなたがよっぽどキモいか可愛くなければ、すぐに忘れちゃいますから。

 必ずメアドを載せたポスターを作成しそれのミニ版(A4)を持っていきましょう。展示しているだけのときは画鋲にまとめて刺しておき、発表が始まったら持っておきましょう。
 自分の研究に特に興味を持ってくれた人に対してだけ、ポスターのミニ版をどうぞと差し出して、「あなたは特別です!」感を出しましょう。

 これでほぼ間違いなく名刺交換、アドレスゲットです。名刺には日付と印象を(他人にみられない範囲で)すぐに書きこみましょう(ちなみに記憶力が恐ろしいほど卓越していて、他人が言った事を一字一句覚えている俺でも、日付だけは書き込む)。学会が終わって、相手が通常の研究業務に戻ったなっと思った頃(学会終了後2~3日以内)に、メールを出しましょう。
 別に何か特別なことをメールする必要はありません。「私の研究に興味を持っていただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いします」的なことを書けば良い。

 海外の学会や国際学会では、QRコードでポスターをいつでもダウンロードできるようにしている人も多くいます。日本でも奉仕の心を大切にしましょう。

 5.短く話す

 よく、一人をトラップしてだらだらだらだら15分以上も研究内容を話す人がいますが、はっきり言って迷惑です。
 ポスターは意外と文字をたくさん書いて問題ないですが、それをダラダラ喋らんで欲しいのです。

 説明時間は3~5分くらいがベスト。相手が訊きたそうにしていたら10分程度話しても良いけど、ある程度数打ちゃ当たる。
 一人の人にものすごく懇切丁寧に教えてあげる人がいますが、これもそれ以外の人をよりつかせなくなってしまいます。
 「私、忙しいんすよ。人気者で(テヘ)。あなたにかまってあげたいし、説明たくさんしたいんだけど、たくさん人が来ちゃってるから、ごめんね。またあとで詳しく話しますよ。なんやったら、ここにメールして」感がイイと思う。

 そのためには、途中から来た人が訊いても楽しめるようなストーリー作りが必要です。スキームを大きく真ん中に持ってきて、大事なことはスキームに戻って何回も言うとか、とっても大事ですよ。

 6.冗談を言う

 冗談を言うことも人をたくさん配置させるためには必要です。
 暗いのが通常の学会において、笑顔は一縷の光です。すべっても構いません、必ず意味がある行為になります。

 途中から来た人を上手く取り入れることができれば、必ず脚光を浴びることが出来ます。そのためには冗談を少しでも良いので取り入れましょう。

 7.服装と笑顔

 まず服装ですが、ポスターの色を意識して服を選びましょう。そんなに深刻に考えることはありませんが、例えば緑を基調としてるポスターの前で赤い服を着たりしたら完全にクリスマスですね(笑)。季節外れのクリスマスを平然とできてしまうセンスの持ち主の研究には興味を抱きません。
 それくらいの心持ちはしときましょう。

 笑顔はとっても大事です。ノリが良くて元気が良いことは重要です。
 たいして面白くも無い研究内容に人がたくさん集まってるなー、って思うときは、たいてい発表者がカワイイ子のときです。Cグループのキモい男や気持ち悪いオヤジが半方針円状に集まっているクラスターには近づきたくもありませんが(同族嫌悪です笑)、、それほど観た目は大事なのですよ。
 なので、笑顔。とにかく、ニコニコ笑ってましょう。

 ただ、人がまったく来てない時に、誰か訊きに来ないかなーってみんなを見つめても、誰も来ませんよ?誰も来てないときは、ポスターの前でぼけーっとケータイでも見ときましょう。
 そして、自分のポスターを30秒以上見つめてくれたら、「軽く説明しましょか?」って声をかけたらいいと思います。


 とりあえず7項目挙げてみました。
 これからまた夏に向けて学会の要旨を書いたりするシーズン。このページを読んでくれた皆さんの研究活動がさらに発展することを祈ってます。

 はぁ、っていうか、こういうのも立派な研究活動なわけだから、誰か評価して(マジで)。
 研究室の選び方 - 『このラボだっ!』と決めるその前に -(昨日一部更新しました!)なんて、「研究室 選び方」「研究室選び」なんかでググった人のほとんどが見てるわけだから、今度なんか申請するとき、マジで業績に書いてやろうかな(笑)

理想の研究スタイル

2014-04-19 01:41:13 | 自然科学の研究
 俺は、たぶん同世代からすると、数多くの分野の研究者を見てきたと思う。物理、化学、生物、地学、数学と、理論と実験、理学と工学、ほぼすべての自然科学の分野について多くの研究者と議論させてもらってきたし、議論させてもらった研究者の幅の広さとその数で言ったら日本で上位だと思う。

 しかし正直言うと、残念な人ばかり。殆どの人は権威主義で、尊敬できるかもと思える人は極端に少ないし、そのなかでもよく知るとダメな部分ばかり見えてくる。
 じゃぁ、どういうスタイルだったらいいんだよ?っと訊かれることが多いので、ここにわずか6分以内で、俺が理想とする研究のスタイルがパフォーマンスされている動画があるので紹介しよう。


#01 塩と砂糖を同じ量混ぜると味は無くなるんですか? 【淳の休日「Bar KUEBICO」】

 いやぁ、田村淳ってホント性格悪いけど、能力尊敬できるんだよね。笑
 論理がしっかりしていて、次やるべき実験がすぐに思いつき、重箱の隅に行きすぎず、知識自慢するわけでもないから、研究を進捗させていく能力が高い。
 やる気の無い権威主義な日本の大学教職員を100人解雇して、そのぶん彼一人を研究者として雇ったほーが日本の科学は発展するんじゃないか、マジで。っま、日本の国立大学の教授の年収は1600万円。年間16億円なら田村淳が研究者になってくれるか?

 この動画のもっとも素晴らしい点は、本来の目的である「塩と砂糖を同じ量混ぜると味は無くなるんですか?」という研究計画からズレて、研究進捗過程のなかで彼ら独自の価値観である「水に溶かした時に一番美味しくなる塩と砂糖の割合は?」が創発され、それが見事に達成された点にある。相方の泥沼さんが「もうよくね?」っと言っているのは、本来の目的からずれているからだ。それは確かにそうだけれども、研究は、進捗途中で興味が変わって重要な価値観に気がついたなら、そっち側にシフトしていったほうがイイのだ。
 こういうことはイイ研究にはよくあることだと思うし、最初の研究計画に固執しすぎていたら決して得られなかった結果だ。たかが芸人が、こんな高等テクを自然とできてしまっているところに怖さを感じる。

 しかも、いきなり論理に走ったりする不器用さ、いきなり濃度を沢山ふるようなクソ真面目感を出さず、実験しては論を考え、を彼らは繰り返している
 実際には何もできないから仕方なく理論固めばかりしている研究者や、逆に論理は苦手だからとにかくデータ量を多く出せば良いと考えている研究者よりも、俺はこういう実を伴った論理を重視するスタイルが好きなのだ。

 ちなみに彼らの実験報告によると塩0.5g砂糖10gを100mlに溶かすと美味いということだ。ヒトの舌におけるレセプターは、質量ではなくモルで規定されるはずだから、ちょっと計算してみると、

 塩化ナトリウム0.5 g = 8.6 mmol, 100 mlに溶かすと86 mM
 ショ糖10 g = 29 mmol, 100 mlに溶かすと290 mM

 がベストの美味しさだということだ。塩が86 mMというのは生理食塩水(150 mM NaCl)よりもちょい少ないくらいで(100 mlに0.5-1 gで150 mMになるわけで、1 gの場合は心地イイと淳は言ってる)、ヒトの舌と親和性があるのも確かに頷ける。砂糖も300 mMくらいだから、これはサイダーに含まれる砂糖の濃度に近い値で、飲み慣れているからってところもあるのかなぁ。
 アホに実験してるわりに、意外と彼らは重要な帰結に到達できているのだ。モル比で考えると、塩:ショ糖=3:10くらいだと美味しいのだね。

 独特のワードを創って使ったり、楽しんでる感じもあるし、価値観を研いだ上での自分たちの興味にこだわって諦めない
 こういうことこそ、本来の研究なのではないだろうか。

 俺たち、本当に自然科学の研究に関わる者は、その点をきちんと抑えなければいけないのだと俺は想う。

理学の構造 - 物理 vs 化学 vs 生物 -

2014-04-04 02:24:29 | 自然科学の研究
 今日は中高生で理学部がイイかも?って思っている人やそのなかでどんな分野に進もうか迷っている人に向けて、「物理」と「化学」と「生物」の各分野を比較をしてみます。僕は理学系なので、工学部の価値観は僕にはわかりません。 
 これから理系になる方、これから理系の専門分野に進まれる方、必見です。

 まず、図1を観て欲しい。みんなに色々怒られそうですが、ロンドンハーツの「格付けしあう何たら」と一緒で、あくまでイメージです笑。



 学問分野の丸の大きさは、対象とする自然現象の広さをそのまま表します。そして、そこにこの軸において書けるものだけ、さらに細分化された研究分野も載せてみました。ここには書けない細分化された分野も多くあります(ex. 生物情報学、生物物理学など)。

 左の軸は単純に言うと「賢さ」。これについては特に異論が無いと思う。
 まぁ、高校理科の選択からしても明らかだよね。高校だと確かに物理よりも生物の方が簡単だけど…、って思うかもしれませんが、研究レベルもしくはその直前になってもこれは同じです。対数計算もまともにできないのが生物系で、物理系は暗記が苦手なので常用漢字もまともに書けなかったりします。
 特に左の軸は、今現在知られている事実を学ぶのに「思考力必須」「暗記でOK」ってことね。

 右の軸は、おそらく多くの人が初見で思うであろう「価値観」です。
 人は自分勝手な生き物ですので、自分が「わかりにくい」なって思ったら「無価値」だと決めつける人が多いです。同様に「わかりやすい」ものは「価値」があるように感じます。この軸は女子の比率でも成り立つかもしれません(数学だけ別ですが)。



 ここで図2に移ろう。
 左の軸より、たとえば、物理は思考力が必須であり、従って一人でじっくり考える時間が長いので、研究レベルになったときに、どうしてもクソ真面目になってしまいがちだ。まぁ、賢い人が多いとも言えるのだが、とにかく活気が無い。こいつら本当に生きてて楽しいのか?と思うヤツばかりになってしまう。
 そして、逆に生物系はきちんと沢山暗記すればイイ点数が取れるため、自分でモノを考えてきていないので、与えられた作業をただ繰り返す、ノリの良いピペット土方(通称ピペド)が量産化される。しかも、高校生は「価値がある」と勝手に思ってくれるので、大学側も商売がしやすく生物系の学部がものすごく増えたために、近年、大量にこの無意味なピペドが増えてしまっている。

 しかし、自然科学のすべての理屈は繋がるものとして仮定すれば(この仮定はそんなに悪くないと俺は思っている)、学問の本質的な観点から言って、例えば平衡統計力学の基本法則を知ることよりも、不老不死になるための方法を探る方が、遥かに難しい。
 そこで右の軸をつけた。本質的に難しいか易しいかは、最終目的を考えた時の話である。高校生にはまだわからないかもしれないが、統計力学がきちんとわからなければ不老不死の方法だってわかりようがないのだ(理学的にはね)。

 そして、ここでの丸の大きさは、その分野の権力の大きさの度合いを示している。

 つまり、「賢い人」が一般的には「無価値」に思われてしまう「本質的には易しい」ことをしていて、「ピペド」が一般的に「価値」があると思われる「本質的には難しい」ことをしている。これが今の研究の本質的な問題点だと俺は思う。

 これら2つの図が反映されて図3ができあがる。



 図3は、研究社会の潮流を示している。縦軸では最終的な決定としての価値を示しており、横軸は文字通り主義の度合いを示している。丸の大きさは人数です。
 図にしてみて思ったけど、ホント日本って(少なくとも理学については)終わってるね。理学の面白さやチャレンジングな部分にカネをかける国ではないのよね。世界がどうなんか知らんけどさ。笑

 ちなみに図の中のコメントは分野ごとの大義名分や性質を書いてみました。もちろん、もっと色んな事が書けると思います。

 なんかありきたりな量産系バイオ批判になってしまったかもしれませんが[*]、これらの図が参考になれば幸いです。

 まぁ、どんな分野であれ自分の興味ある分野であれば、こんな図は当然関係無いですよ。みんな、理系を楽しもうぜ!
 最後に注意しとくけど、ただ統計的にこういう感じですよ、っという、あくまで俺のめっちゃ勝手なイメージね笑。

 (このブログではじめて図を使ってみました。うーん、もう少し上手く説明したかったな。っま、賢い皆さんなら、読みほどけるよね?)

参考
[*]たとえ死んだとしても生命科学の研究者を志してはいけない

自己責任って言うな! -STAP細胞の報道について-

2014-04-03 03:02:30 | 自然科学の研究
 たった一人の人間に責任を押し付けて責任逃れをしていけば全体として確かにラクだ。

 子供の頃は、Aグループ(ノリがイイ集団)がCグループ(ノリが悪い集団)に責任を押し付けて、その中で大人からのフィードバックがかかると、一番ノリがイイ人である出る杭を打つ構造を覚える。
 大人になると、年長者が若い世代に自己責任だと押し付けて、様々なイイワケを言いながら、責任逃れをすることが正当化されている。

 真実は常にシンプルだ。

 人生とは、リスクをかけてベネフィットを得るシステム、常に賭けである。その中でも研究は「誰もやっていないこと」をやり抜くことなわけで賭けそのものなのに、PIやシニア研究者が常にリスクを若手に背負わせて自らはリスクなしで賭けをできる構造を、理研に限らず多くの研究者が当たり前のように行っている。
 本当の意味でのハイローラーは、少なくとも日本では生きていけないのかもしれない。
 ということならば、日本には研究者はいないのだ。

 『ならば日本では、隙間産業か後追いの研究しかできないということですか?』
 「その点はその通りかもしれないし、僕にもわからない。僕自身もそこから抜け出そうと模索中だし、時間がかかると思う」

 俺の身の回りの人はたぶんみんな分かっていることだと思うけど、今回のSTAP騒動について、本当に研究の世界ってクソなんだな、っと思う。
 普段俺が何かの価値の意義づけをしようとするときや研究潮流の何かを批判するとき、心のどこかで『俺が間違っているんじゃないか?』という気持ちがあったのだけど、今はそういう気持ちがあまり無い。俺が普段言ってるようなことが、次々と公けの場で疑義を呈していくし、誰か一人の弱い者に自己責任だと押し付けて平然としている人が上に立ちやすい性質も明らかになってしまった。
 めんどくさくなれば、みんな責任逃れをする。意見を持っていても、公けになれば知らん顔したり、ね。ズルい人が得をする構造。どんなにそれは違うと口で言っても、行動で示してくれなくちゃ。

 「これは僕の先輩の意見ですが、PIや研究者は必ずしも人格者ではない、って」
 『いえ、俺はもっと強い意見を言います。人格者でないほうがPIや研究者に相応しい構造になっている』

 もちろん、一縷の望みが無いわけではない。人格者で素晴らしい研究者はすでに俺も何名か知っているし、世界にはきっともっと存在しているのだろう。
 ただ最近、研究の世界に身を置いているときよりも、子供を観ているときのほうが、俺が心から尊敬するシーンが圧倒的に多いのだ。

 どんな子だって、Aグループのノリの良さと、Cグループの真面目さを、両方手にしたい。
 でもそんなに器用にはなれなくて、ノリがイイことを大事にすれば上からの指示に対応できなくなっていくし、真面目に勉強に取り組んでいれば一人の時間を持たなくちゃいけなくなる。
 どちらかに極端に傾けば、どちらも夜に沈んでいくようになる。夜遊び、夜のお勉強が増える(どちらも等しく良くない)。Bグループが最強か?って、話はそこまで単純じゃなくて、どちらも突出していないことに悩んでいる子も多いのだ。
 どんな子だって、昼の太陽のもと、元気にみんなで楽しく自分が好きなことをやり続けたいだけなのにね。

 大人だってそれは同じ。夢や希望を先延ばしにして、今はまだ、って思いながら、下の世代を蹴落とさなくちゃ自分たちが生きていられないと勘違いしている。
 だから保身することが当たり前で、自己責任に追いこむことがまるでいいことのように、なってしまっているのだ。こうやってまとめ書いてても普通に思うけど、ホントクソだな笑。

 そういうことに、俺の身のまわりにいる自称研究者たちは、気がついているのかな?
 たぶん無理だろうな、とどうしても思ってしまう。だって、挽回のチャンスをどれほど与えたと思っているのか。

 俺はもう、自分たちの世代(20代後半)以下にしか、期待しません。
 そして、そうじゃないやつら、、お前ら、自己責任って言うな!

ちなみに、

が理研の最終報告会見を受けて、一番まともな意見だと思いました。

研究室をやめたい理由-『このラボで我慢しよう!』と決めるその前に-

2014-03-30 03:16:54 | 自然科学の研究
(2016.8.10 更新)
 「後悔しないように生きろ!」
 あらゆる場面でこの言葉を聞くが、先人達が後輩にむけてメッセージを送っている訳だから、それは実際にはかなりの後悔をしながら死んでいく人間が圧倒的多数を占めていることの証だと思う。今はできない、もっと力をつけてから、まだ自分には難しい、確かに理想はこれをやりたいし、それに向けて努力したいが、自分にはそんな時間はない、という「やらない」理由を常に沢山並べて、後悔してそのまま死んでいく人間がこの世の中の多くを占めていることを物語っている。[1]

 いつかきっと。
 いやいや、今までだって忙しかったんだから、そんなんじゃ、これからも絶対に無理だ。未来に「いきなり」を期待してんじゃねーよ、いつ人生は始まるんだってーの。

 時間が無かったり、状況として難しいならば、何かを「やめる」しかない。
 みんなが大学に行くから大学に行き、理系はみんな修士までは行くから大学院に行き、親族や環境下が博士に行く空気だから博士に行き、一方でみんな修士で就職するからなるべく有名な企業に就職していく、というように、周囲に「反応」だけして生きていくことからきちんと脱さなきゃ、成功なんてできやしない。すべての人を等しく縛っている世間体やリスクを超えて、自分がやりたいことを後悔なくやって楽しんで生きていくためには、率先して、まずは何かを「やめる」ことを考えないといけない。[1]

 そんな背景を受けまして、今日は、理系の研究室において、その研究室を辞める理由リスト、研究室を辞めるにあたって大事なこと、を述べてみようと思う。
 まぁ、研究室の選び方 -『このラボだっ!』と決めるその前に-では始まりを述べましたが、今日は逆、離れる理由、今いる研究室を辞めるに値する理由を述べてみようと思います。そうすると、またアクセス数が上がる。笑

 このページを参考にして実際に研究室をやめることになっても責任は一切負いませんが、研究室の選び方 -『このラボだっ!』と決めるその前に-は御覧になってみてください。[2]

 
 今の研究室をやめたい人、必見!
 では、スタート。


 1.よそに行くアテが2つ以上存在している。

 お前が今、このページを観ている理由は、すでに今の研究室に何らかの不満があるからだろ?

 何かがやりたい!と思ったり、だからそれをやってる研究室に行く!、ってのは個人の勝手なのだが、本気になれば、いま所属している研究室の中で何でもできるはずだ。指導教員にアピールするんでも、何かの申請書を書いて実験器具をそろえようとしてみるんでも、テーマを自分で持って来てみるとかでも。それでもそれを本気でやってみることをしないってことは、新しい場所に向けてのことだって本当にやりたいわけじゃない可能性が高い。

 だとしたら、あなたがやりたいこと、ってのは、(どーせ大したことじゃないんだから)とりあえず置いておいて、とにかくその研究室をきちんと確実に抜け出し、よそのどこかへ行く、ってことを考えたほうがイイ。やりたいことを見つけるために、色々なラボに行ってみることは悪いことじゃないし、特に学生なら、こういうことを沢山しようとするべきだと思う。

 日本で博士号をとる多くの人は、卒研からD論提出まで、同じ研究室に所属している。だから研究分野のネットワークや現状がどうなっているのかよくわからないのに、6年間も同じ研究室にいて、その研究室もしくは同じ研究分野や専門分野しか知らないくせに、「研究はこんなもんなのだ!」とか偉そうなことを言ってるヤツがほとんど。
 そんなんで、まだ確立されていない新しい分野を創るようなこと=:研究、ができるわけないじゃん。

 だから、研究室を変えたり、研究室じゃなくてもよその場所に行こうとするのはいいことだと思いますが、、ただ、青春時代の大切な1年以上を棒に振ることは避けなくてはいけないですから、その場所が嫌だなぁって思って離れたいかもと思ったら、まずは「行くアテ」をとにかく2つ以上探すことが最も重要です。1つではダメです。これは俺の経験的なところが大きいですが、とにかく2つ以上は他に行くアテがないと、何事も「離れる」理由までに値しないんです。
 別にあなたの「やりたいこと」にこだわる必要はありません(どーせお前の「やりたいこと」なんて長続きしねーんだから)。僕なんて、今いる場所はもともと「俺がその分野はめちゃくちゃ苦手だから」で選んでいます。

 そうだとすると、不安になるかもしれません。そこでずっとやっていけるのだろうか?ってね。
 でも、「そこでずっとやっていけるのだろうか?」という不安そのものが「他人任せ」なのです。本当の実力をつけられなくても、誰かに何か助けてもらおうという現れなのです。だって、俺はここではやっていけないなって思ったら、また変わればいいだけなんですから。
 そして、他人任せである限り、今の場所にいようが、どこか別の場所にいようが、状況はまったく変わりません

 具体的によそに2つ以上アテがあると、意識だけでは変わらなかった部分が、心にフィードバックしてきて、自分で主体的に何かを成し遂げようという気持ちが湧いてくるもんですよ。

 2.指導教員が自分の研究のストーリーや進路を決めつけてくる

 上下関係で上の者がきちんと意識しなきゃいけないのは、下の者が成功したら下の者の手柄、下の者が失敗したら上の者の責任、ということだ。
 言いかえれば、研究が上手く行かないのは教員の責任、上手く行ったら学生の手柄。これがポケットマネーから学費を支払っている学生の立場としての当然の市場の論理だと思う(受験指導している自分の生徒に俺はこう思ってきたし、俺の現在の指導教員も俺のこういった考えを納得していると思う。というか俺は偉そうレベルがマックスなので笑、俺自身が「上の者」であって、研究や教員に対して、こう思っているけどね)。上司と部下、司会者とひな壇、にもこういったことが言える。主旨から外れますが、こういった教育における当然の考え方が理解できない権威主義者の大学の教員は、税金と学費の無駄だから、国民のためにもさっさと大学を去って下さい。学生はカネを払っているわけで、学生はあなたのコスパーの良い作業員ではありませんので、心からお願いします(笑)。

 っで、そんな前提からすると、その研究のストーリーや、まして学生の行く先の未来を、上から抑えつけるように、こうでなければ絶対に認めん!なんて言うヤツのもとで、あなたの人生にとって有意義な研究生活が送れるわけがないと思うんですよ。
 そんな環境下で、お前、成功できると思ってんの?間違いなく無理だって。

 よく「こんなレベルでは話がまとまらない。許せない」とか「修士で卒業するなんて大学院重点化はうんたらかんたら」って言う教員がいますが、それは「これだと僕ちんがバカにされるかも。こんなストーリーで発表したこと無いから、これだと世間体的に大丈夫かよくわかんないし、不安だから、それだとイヤなんだよーぉ」という言い換えです。
 まぁ、同じ分野しか研究していなくて、ストーリーが決まりきっていて頭が凝り固まって、「他のストーリーで話をまとめる論理性が僕にはありませぇーん」ということの言い換えだったりもします。

 それでは本質的に研究をしていませんから、そんな研究室は研究室ではなく、ただの「作業室」です。そのストーリー通りに研究を行ったフリをして、高級な積み木をして、捏造まがいのことをする可能性が高いです。
 研究をする前からストーリーが決まっていて、研究計画書の通りに、データが出たり論理が明らかにならなくちゃいけないって決めつけているなら、それは研究ではありませんよね?むしろ予測とは異なる結果が出たときに、どうしたらまとまるかを考えることが研究者の腕の見せどころです。

 なのに、しかもテメーが実際に実験をしているわけでもないのに、ただ上からストーリーを圧しつけてきたり、学生をコントロールしようとする、自称研究者の「作業者」が運営する「作業室」は、そもそも「研究室」ではありませんから、さっさと出ていくのが得策です。
 研究室だと騙されて学費を取られていたのですから、さっさとその偽研究室から脱出しましょう。

 誰もお前の心までは奪えないものさ。出ていくことを妨害されまくっても、出ていくことはできるはずですよ。

 3.自分が本質的だと思うテーマがこのままでは原理的にできない

 冒頭でも言いましたが、人生は短く一回きりなのにも拘らず、後悔なく生きることはとても難しいです。
 自分が今、本質的なことはできていないな、っと思ったら、まずはその場所・環境を離れていく決心をしたほうがイイです。

 この理由だけなら別に今すぐ今の研究室を離れようと努力しなくてもいいですが、日々の研究生活から自由時間を多くとって、一日一日を、外部に意識を働きかけるのは大事です。
 全然違う分野の研究会や学会に出かけたり、いろんな理由をつけて、全然違う分野の研究室へ訪問をさせてもらってもいいかもしれません。多くの大学の先生は外部からのムーブメントをどこかで待っていますし、、あなたとまったく同じ理由でね。

 研究そのものに疑問を持ったなら、習い事の体験入学に行ってみても良いし、昔の友達と会って現状と夢を語ってみるのも良いし、朝活や街コンに行くんでも良いかもしれません。
 違う!と思ったならば、そこに対して、今何ができているのかを、きちんと把握しながら、一日一日を大切に行動していくべき。だって、お前の人生なんか、短いんだから。

 4.放任主義or管理主義な研究室

 こういう具体的なことをみんな求めているんでしょうが、これは当たり前すぎて書かなくても良いレベルだと思うんだけどなぁ。。
 放任主義と言えば聞こえはいいですが、よーするに放任とは「研究・教育を一切放棄している指導教員が運営している研究室」ということです。管理主義は「命令に従順な作業員養成所」です。カネまで払って、洗脳されにいく。洗脳されて、カネを払う。それじゃ「Sエムク○ブ」と変わりません笑。

 究極の放任主義や管理主義になれば、その両者はまったくの同値です。
 放任にみせておいて、論文や学会発表のときは、めちゃくちゃ管理してきたりする。大学院は、そんな変な場所なんですよ。

 お前、研究したいんだろ?研究で成功したいんだろ?
 研究は(少なくとも初めは)1人じゃできないからさ、バカでだらしない男が「Sエムク○ブ」に巨額のカネをつぎ込んでるような人生で成功できるわけねーだろ?

 早く味方を見つけて、早く同士を見つけて、研究の環境をきちんと確立しなきゃね。

 5.今の研究室のせいで精神状態がヤバい

 っま、これが一番の理由になってしまうでしょうね。
 具体的に言えば、「そんなん言うなら辞めます」と言えない環境はヤバいっす。そんなことを強要してくるなら、俺は絶対にイヤだから辞めてやる!、っとカネを払っている側が言えないなんて、ヤバすぎです。[3]

 ただ、この極みまでなってしまっていたら、辞めたらもっとヤバい精神状態になる可能性も高いです。
 そういう場合は、助けをいたるところに求めてください。なんやったら、このページのコメント欄で助けを求めてもイイです。俺もできる限りのベストはつくせます。

 たとえば、相談所や誰か教員に相談したときに、「もっとこういう風に我慢してみたらいいんじゃない?」「こういうことだったんじゃないの?」なんて言ってきたら無視しましょう。そんなヤツらは敵です。
 少なくとも我々悟り世代は、こういったことに敏感ですので、みんな優しく助けてくれることが多いと思います。ネット上でも、SNSでも、思い悩んでないで発信しちゃいましょう。発信する前よりは、状況が改善されるはずです。


 私に直接相談したいと思ってくださる場合は、相談内容を明記の上、こちらにメールしてください(_attoma-ku_を@に変えて送信してください)。基本的にどんな方のどんな相談もお受け致します。匿名で構いませんが、所属や名前を仰ってくださったほうが、相談にはのりやすいです。相談内容は決して口外しませんのでご安心ください。
soudan.atamanonaka.2.718_attoma-ku_gmail.com


相談メールについて詳しく知りたい場合はこちらをご覧ください。相談を受ける上で俺が守るべきルールを書きました。

スカイプでの相談もはじめました!ネットでは絶対に書けない裏事情を含め、スカイプであれば、無料で真摯に迅速かつ最大限論理的に、あなたの相談にのります!!私がこれまで実際に接してきた研究分野(物理学、化学、生物学、情報など)や見聞きしている領域、内情を知っている研究室についても、できる限り詳しく回答します。ご希望してくださる方はお気軽に上のアドレスまで、あなたの本名をお書きの上、メールしてください。私から相談可能時間とスカイプIDを送ります。皆さんの相談をお待ちしております。


 成功したいんならわかるだろ?
 訊くは一時の恥。でも、そのまま自分の胸に留めておいたら、一生恥のままで、そのまま死ぬんだぜ?


 かなり長くなっちゃいましたね。まぁ、こんなリストを全部信用しちゃったら、誰もが研究室を辞めなきゃいけないかもしれません。

 でもそれは当然のことです。だって俺は、今の「指導教員というシステム」そのものがダメだと思っているんですから。
 俺みたいに、それを指導教員に話しても何も変わらずに指導してくれるくらいの信頼関係があるなら別ですけど、ね。

 基本的に、我慢に未来はありません。
 研究をしているすべての皆さんが、それぞれの人生にとって、楽しく有意義に研究ができることを、心から願っています。

参考
[1]夢をかなえるゾウ
[2]研究室の選び方 -『このラボだっ!』と決めるその前に-
[3]デマこいてんじゃねえ!「そんなん言うなら辞めます」と言えない社会

「研究室をやめたい理由」解説 動画part1


「研究室をやめたい理由」解説 動画part2

学位の価値

2014-03-20 02:50:08 | 自然科学の研究
 戦後の日本のすべての博士論文、修士論文、卒業論文を精密にチェックしたら、真っ当な学位はどれくらい残るのかな?
 たぶん、分野によるバラつきはでると思うけど、半分も残らないんじゃないかな。理系に関しては。

 マテメソは別として、イントロダクションをまるまるコピペしちゃうって、それは引用をつけるとかつけないとかじゃなくて、研究として成り立っていない、ということなんじゃないかなと俺は思うんだけど。

 っま、日本の研究者・大学教員は、学位に値するかどうかの判定や、他の研究者や学生を正しく評価することができないことは、明らかなのだけど。
 だって、博士号の取得に原著論文の出版が必須って研究科が多いけど、それって、欧米に評価を任せます、ってことでしょ?笑

 日本の研究社会が、バカがバカを量産するシステム、無法地帯、と思われても仕方ないよね。
 学位の価値はその程度でしかないのかもしれない。