goo blog サービス終了のお知らせ 

たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

図示することの意義 -自然科学としての図示を中心に-

2017-06-23 00:25:18 | 自然科学の研究
 「文章で10行書くよりも、ひとつ図示してみることが重要である」
 というのは、自然科学の中でよく言われることである。人が何かを認識するとき言語だけで頭の中で構築するのは難しいことが多い。例えば、読者の中で何人が、小説など(挿絵の少ない本)を読んでいて、登場人物などの相関を図示してみたことがあるだろうか?みんな日本語がわかっていると言うのは大いなる勘違いで、「わかった」と仮定して先を読み進めているだけ、ということも多々あるのだ。

 1つの数式から物理現象をイメージすることは、慣れてしまえばそんなに難しいことではない。しかし、2つの互いに依存しあった式を同時に頭の中だけでイメージすることは一気に難しくなり(俺程度の思考力レベルでは多くの場合、不可能)、3つ以上の式になればどんなに簡単で平衡状態で時間に依存しなかったとしても数値計算でself-consistentに解いてパソコンに図示させてみなければ、そのイメージすらわからない場合が殆どだ。
 人間が言語化によって得られる情報は意外と少なく、「図示する」という行為によって視覚化することで、思わぬ自然法則が明らかになることは多い。

 それほどに「図示する」という行為は自然科学にとって重要なのだが、これは単純に「リアルな絵を描く」という行為とは違う。
 「図示」というのは、抽象化を含み、不要な部分を排除するということである。よく「抽象化(abstraction)」というと「曖昧にすること」と読み替えている人がいるが、必要な骨格だけを「抽」出するというのが本来の意味である。芸術に詳しくはないが、具象絵画が現実に忠実に書こうとするのに対して、抽象絵画というのは具象から骨格や本質を「抽」出してきた際のモデルを描くという理解を(俺は)していて、(おそらく)共通だと思う。
 つまり、俺は、(あくまで)サイエンスにおいて(は)、何らかの理論的予測や価値観や興味対象を持って「図示する」行為には意味があるが、ただ単純に具象を正確に記述することの意義はかなり低くなると考えている。

 この違いを明確に持つと、今の時代に大学の学部教育の中でケント紙に細胞をスケッチさせる価値は殆ど無い、ということが明らかだと思う。
 勘違いしないでほしいのは、一度くらいはきちんと細胞小器官別に(もしくは他の価値観で)抽象化して自分で図示することにはそれなりの価値があると思うし(顕微鏡で細胞を観ながら描くと良い)、顕微鏡画像をデジタルに処理してイメージングすることにももちろん価値があるが、学部生全員に具象として「ケント紙に細胞を輪郭線以外は点描させる」という行為は旧世代の先生方の自己満足である(つまり、わざわざ習うことではない)。それこそ、今の時代、Z-Stackがキレイにとれるので、三次元に図示させてみるような課題を作ってもいいかもしれない(PC上でも、実際でも、どっちでも良い)。どの種類の細胞かにも依るが、細胞は生命の最小単位である。非常に価値がある、、かもしれない。

 だが、やはり、どんな崇高な価値観を持って、細胞を抽象化させて精緻にスケッチ・工作・イメージングしてみたとしても、細胞の機序が完全にわかっていないうちは、還元主義の枠からでないことは認めなければならないだろう。生物学が物理学からスタートしている公理系に接続していない以上、仕方ない(化学は20世紀でだいたい接続しているから、まぁまだ良かったよね)。
 俺が大学で教職をとっていたとき、偏差値が低く授業中に席に座っていられないような高校の生物の授業モデルとして、「細胞を色塗りさせるのが効果的」という内容を扱った。資料集にある細胞を白黒にクラス全員分印刷して、「好きな色で塗りましょう」と言うと、不思議なくらい皆集中して席に座っていられるとのこと。この手法は、生物に興味がなくても、還元的に細胞を扱う価値観が得られ有用だと、確かに俺も思う。
 もちろん、図示することと色塗りはかなり違うが、「ケント紙に細胞の各器官の輪郭線を描き、他の濃淡は点描する」という行為は、レベルとしては高校の(しかも底辺)レベルに近いことを認識すべきだろうと思う。

 それに、本当に「ケント紙に細胞をスケッチすること」に何らかの価値があると思うなら、教授もポスドクも大学院生も、1年にいっぺんくらいはそれをやってなきゃ、あかん。生物系の人全員に「一度は」やらせることに価値があると思っているような行為について、自らは「一度やったからそれでいい」というのは成り立たないと思う。

 一方、電気力線やファインマンダイアグラムなど、物理学には一見すると複雑にみえる自然現象を、図示と数式を重ねることで理解しようとする取り組みがある。これは、図示による理解を数式として表すこと、さらに数式の一部を図示してしまうという武器で、端的にいえばヤバい笑。細胞を具象として描くなんてことよりも、遥かに有用性(応用性)の高い武器であり、得られる価値観も新鮮なはずだ。描いたGaussian SurfaceやAmperian Loopを貫く力線についてガウスの法則やアンペールの法則の積分系を立式する、という発想も素晴らしいし、摂動展開のそれぞれの項をファインマンルールに従って相互作用を描くという発想も、素晴らしい。これらをマスターするには、まともな教科書を読んだり、信用あるプロに習わなければ理解不可能だ。
 
 抽象化して図示するというのは、現状をより正しく把握しようということである。
 複雑な世界を単純化して理解するのが自然科学の1つの目標だが、そのやり方として単純な還元主義のもとに描くことと、最低限の要請事項だけで構成され、しかもそれら理論体系が(少なくともある程度は)正しく接続されている公理系のもとに描くことには、かなり違いが生じるということである。

 自然科学に限らず、何かの対立関係や人間関係や政治力学も図示することで見えてくることもある。
 わからなかったら、わかっていることを図示!コレは、論理展開において、基本中の基本である。

 さしあたり、今、あなたが所属している集団の、人間関係の図示をしてみてはいかがだろうか?「好き」「嫌い」「どうでもいい」の矢印で各人を結んでみるだけで、かなりの理解が深まるはずだ。ちなみに、(一部の皆さんご存知のように)俺は、毎年この時期、必ずやっている笑。(縦軸をABCグループにすることがポイント。かなり新しいことが沢山理解できてくる)
 めっちゃ楽しいぞ!笑

新・研究室の選び方 - 学生もポスドクも海外でも『このラボだっ!』と決めるその前に -

2017-05-25 00:35:29 | 自然科学の研究
 私のページで初めて「研究室の選び方 -『このラボだっ!』と決めるその前に-」を書いてから5年弱が過ぎました。
 これまでに5万PV以上は稼いでいるこの文章ですが、5年も経つと、時代の変化や私の経験などから、全面的に変えたくなってきまして、今回、改めて、研究室の選び方について書いてみようと思います。以前のものも参考になるとは思いますので、そのまま残しておきます。是非ご覧ください。

 今回は、理系の、学生とポスドクを対象としたいと思います。さらに、国内外問わず、研究室選びについて成り立つであろうことを書いていこうと思います。

 私自身は、以下のような分野の研究室を選び、研究室を変えてきました。正式に所属した研究室は5つです。

 卒業研究・・・物性理論(量子多体系の理論)
 修士課程・・・生物物理学
 博士課程 ・・・生物有機合成化学
 博士号取得後1(特任研究員)・・・脂質生化学
 博士号取得後2(ポスドク、海外、現在)・・・Protobiology

 物理2つ、化学1つ、生物1つで、現在のところが化学と生物のちょうど間くらいです。それから物理学科的に分けると、理論1つ、実験3つ、修士のところが実験と理論が半々くらいのイメージでした。この他に、共同研究などでは、生き物を使った生物物理の研究室とかなりの時間関わっていました。どの研究室も、今となっては所属して良かった、と心から思っていますが、、実際には本当に色々ありました(現在進行形?笑)。
 実体験としてですが、私以上に幅広い範囲の研究室を(実際にちゃんと所属して)見てきた人を私は知らないので、以下、役に立つ内容があるかと思います。また、2015年の秋から、研究室関連の相談メールも一般に募集していまして、主に大学院生・学部3,4年生の皆様から計150件以上のメールを受け取っております。そのすべてを考慮して以下を書きます。では、前置きが長くなりましたが、スタート。


 1. 流行を追うな!流行は作れ!

 今回、これを書直そうと思った一番の理由は、この一言を絶対に言わなくちゃいけないと思ったから。今の時代、この視点がとても大事です。
 現在、研究社会では、(完全に正しくはないけれど)キャッチーな言葉を使うことで、研究費を獲得したり、NatureやScienceなどのインパクトファクターの高いジャーナルで論文を出版したり、ホームページでアピールしたりすることが横行していて、サイエンスの本質が見失われつつあります。

 そんなキャッチーな言葉が輝かしすぎて、飛びつきたい気持ちはわかりますが、流行にのってはいけません。実際にそのような色が強い研究室に入ってみると、ただ同じ作業をひたすら繰り返させられるだけ、ということはよくあります。先生が(学内や学外で)かなりの有名人で、実情は、その先生の手となり足となる可能性が高いわりに、学生にもポスドクにも人気だったりします。でも、研究室やめたい関連の相談メールでも、必ず一定数あるのが、有名っぽい先生の研究室の方からです。

 あなたが研究者志望なのだとしたら、流行は自ら作ろうとしましょうよ。そこの研究室に行って、そこの研究室のPI(Principal Investigator、研究室のトップ)を超えられる自信がありますか?流行にのって、他人任せにして、ゆくゆくは自分で研究者としてやっていけると思っているのだとしたら、それは少し甘いと思います
 あなたが修士で卒業して就職するのだとしても、大して興味が無いのに流行りの分野を選んでしまうと、有能な(いや、とにかく作業だけはやたらにこなせる)ライバルがめちゃくちゃ多く、研究室へのモチベーションが下がっていってしまい、就職に有利とは言えないかと思います。

 5年すれば、いえ、今の時代、1年でも、流行は変わってしまう可能性が高いものです。
 自分にとって、何が学びになるのか?を考えながら、研究において流行りを追うのはやめましょう。(どうしても超人気の流行の研究室に行きたい場合は、最低限、その分野がどのようにして発生したのか?という歴史を調べてみてくださいね)

 2. その後の可能性が広い研究室を選べ!

 実はこれは1を逆に言っただけ。
 つまり、まだ流行ってはいないけど、これから自分が参入することによって流行らせることができる分野に行け!ということです。そのためにはベースとなる研究スキルを身につける必要がありますので、(特にはじめは)より可能性が広い研究室を選ぶことをおすすめします。

 具体的に言います。
 たとえば、あなたが最初に研究室を選ぶ場合で、実験と理論で迷っているなら、理論研に行くことをおすすめします。理論から実験には行けるけど、実験から理論には(なかなか)行きにくいからです。すでに理論の経験があり、理論研と実験研で迷ったなら、理論研よりも実験研に行きましょう。理論は極論PCがあればできますが、実験は高額な実験装置が無いとできないからです。だって、理論の経験がすでにあるんでしょう??
 さらに、たとえば、卒研か修士で、物理と化学の研究室で迷ったら、物理の研究室に行くことをおすすめします。同様に、化学と生物の研究室で迷ったら、化学の研究室に行くことをおすすめします。これらも、物理→化学→生物は移動として可能ですが、逆は(ほぼ絶対に)不可能だからです。
 はっきり言いますが、要求される思考力レベルが高い順で行くと、素粒子理論>物性理論>素粒子実験>物性実験>>情報科学>>>無機化学>有機合成化学>>生化学>分子生物学です(もちろん、各分野によって多少違いはでてきますが、このイメージはそんなに外してはいないはずです)。思考力さえあれば、あとは"慣れ"の問題ですから、あとから下にいく分には大丈夫ですが、上にいくのは大変です。気をつけてください。

 なるべく、その後の自分にとって、可能性が広い研究室に行きましょう。
 特に研究者志望の方はご注意ください。今後、大学の分野編成は驚くほど急速に変わってしまうことが予想されます。ですから、いきなり最初から「私はある生物種だけしか扱えない」というよりは「私は多体系なら扱える」のほうが良いと思います。

 3. 海外でも、正式所属前に、必ず一度は研究室を訪問しよう!

 百聞は一見にしかず。Seeing is believing。
 日本の文化と西洋の文化は違いますが、この2つは同じことを言っています。そして、これほど善く言った名文句もないでしょう。

 訪問しても研究室選びに失敗したぁというのは、それなりによく聴く話です。ですが、これはマズったなぁという研究室選びをしてしまった人は、かなりの高確率で事前に研究室を訪問していません。コネがあっても、知ってる先生でも、必ず一度は所属前に、その研究室を訪問してください

 私は、海外でも、行く可能性が高い研究室には実際に行くことを強く勧めます。私自身、行く可能性がかなり高い海外研究室に、見学のためだけに行きました(2つも)。海外でも、と書きましたが、逆で、海外だからこそ絶対に事前に一度は訪問しろ!というのが正しい。だって、ただでさえ知らない土地ですよ?絶対に行ったほうが良いです。
 いま所属しているミネソタへは、1週間の滞在で10万円(航空券(アメリカン航空)往復5万円+ホテル5万円)くらい。むこうは「事前にinterviewに来なくても良いですよ、もう採用するから」と言っていましたが、私から「いや、事前に絶対見たいから見せてくれ」と言いました。情報化社会になって、工夫して旅行会社に訊きまくれば、航空券はかなり安くすることができます。さらに、Airbnbを利用すれば宿泊代もかなり抑えられます。現地での移動もUbarを使って安く効率的に動きましょう。自分が1年以上はいる環境を選ぶのにあたって、悪くないコスパだと思います。決してコスパが良くはないですが笑、まぁ半分は旅行だと思って。

 狙っている研究室がかなり遠い場合は、旅費を半分出して貰うのを打診してみるのも良いです。が、実際見てみたら微妙だったけど、半分出してもらったから、ぜったい行かなきゃなぁーとなっちゃうかもなぁと予想するくらいだったら、全額自己負担で行ったほうがいいですよ。まぁ、半分は旅行だと思ってください(2回目笑)。

 4. 若すぎる先生、年寄りすぎる先生に注意しましょう

 これは、どうしても、統計的にとしか言いようがないのですが、若すぎたり、年寄りすぎたりする先生が主宰する研究室からのトラブルをよく聴きます。もちろん、これだけで、その研究室に入るのはやめる!と決めるのはもったいないですが、、若くして研究室をもたれている理由、定年後も何らかのカタチで研究室をもたれている理由は、単純に「超有能だから」とも言えないのが現状だと思います(当然、そういう人もいますが少数だと思います)。それなりに、理由があることもありますから、よく見極めてください。

 まず、PIの先生がとても若い場合は、実は(研究室のHP上ではあらわに見えていない)上の先生がいて、その先生に対して超従順な振る舞いをしているからこそ若くしてそのポジションにいる、ということも多々あります。その上の先生がいるからこその、その若い先生って感じで、そこの研究室に所属すると、どうしても(天界からの笑)理不尽な命令が多くなります。若いとどうしても「話しやすそう!」と思って選びがちですが、その若い先生は、あなたが「気難しそう」と思って無意識に外したおじさん連中の中で、上手に信頼をとっている曲者の可能性も高いのです。
 そして、定年後の先生の場合は、かなり政治力学的に高位に行き過ぎて、その立場をやめられなくなっている場合があり、全然指導してくれない等のケースがあります。ゆとり以下の世代とは価値観が合わないことを前提に付き合っていく必要があることが多いですから、ここも上手く見極めてください(なかには本当に懐の深い先生もいらっしゃいますが)。

 ですから、その学科、その専攻で、一番若そうな先生と一番年齢がいってる先生の研究室を選ぼうとする場合に関しては、きちんと調べてみることをおすすめします。

 5. 失敗を恐れるな!

 最後に、全部ひっくり返しますが、、あまり選びすぎるな!ということを言っておきます。

 最近の若者は(とか言い出すと、俺もトシなのよねぇ笑)、あまりに「とにかく絶対に失敗したくない!」という気持ちが強すぎる印象があります。まぁそれは、ネット社会で、これだけ多くの情報が溢れていますから、何か間違えると「えー、このサイトみてなかったの?なんで知らなかったの?」となることが多いので、仕方の無いことなのです。
 A店よりもB店のほうがコスパがいいことは、ネットできちんと調べれば確かにわかります。上にも書きましたが、航空券一つとっても、"とにかく安く、でも安全に"は、情報を集めまくれば達成できてしまいます。あなたたちが、(成功したいというよりも)絶対に失敗したくないという気持ちが強いことは、私もよくわかるつもりです。

 しかし、よく考えてみてください。世界中に研究室はどれだけあるでしょう?全世界、大学の数だけで約2万もあります。各大学が20個しか研究室を持っていなかったとしても(そんなに少ないわけがないですが)、40万です。おそらく現実的に、関連する分野や行ける可能性のある研究室だけでも、1000は簡単に超えると思います。1つの研究室に1時間かけるとしたら、1000時間です。1日の実働時間が8時間だとすると333日。研究室選びだけにそれだけ使うのは勿体無くないですか?国内だけに絞っても・・・(あとは自分で考えてみて笑)。それだけの研究室の中から、ベストフィットを探すことは原理的に不可能です。近い将来AIに頼めるかもしれませんが、だったら、いま、このページを読んでないでしょう??
 だから、ある程度のところで納得することもとても大事です。私自身、一時期は、あー失敗したなーと思うことも確かにありました(何度も笑)。でも、今はどの研究室でもそれなりに学びがあって良かったなぁと思えます。

 多くの人から信頼を失いつつあるサイエンスは、極論どこに行っても、オワコンではあります。もう、殆どの人が、サイエンスが発展することで幸せがもたらされる、とは考えていないでしょう。ですから、どんな研究室を選択をしても、あなたが理系に行った時点で失敗をしていると思うような人も沢山いるのです。それでも私たちはサイエンスを楽しもうと思って研究室を選ぶわけですよね?だったら、あまり深刻に悩まなくてもいいじゃないですか。
 どんな所に行っても何かを吸収してやる、という気概が欲しいですね。そして、どうにかその研究室で楽しんでやるって。失敗は必ずいつか成功に変えられることを信じてください。

 コレはおすすめなんですが、、実際に事前に訪問してみて、研究室の帰り道のキャンパス内で、目をつむってみましょう。そこで、近い未来、そこに毎日通う自分の姿が想像できたら、その場所から多くのことを得ることができると思いますよ。実際、私は、(研究室選び以外でも何かや誰かを選ぶ時は)これを必ずやります。


 というわけで、5つ、挙げてみました。いかがでしょうか??
 これから研究室を選ぼうとされる皆様の参考になれば幸いです。

 「研究室の選び方」や、その他研究室での悩みについて、私に直接相談したいと思ってくださる場合は、相談内容を明記の上、こちらにメールしてください(_attoma-ku_を@に変えて送信してください)。基本的にどんな相談もお受け致します。匿名で構いませんが、所属や名前を仰ってくださったほうが、相談にはのりやすいです。相談内容は決して口外しませんのでご安心ください。
soudan.atamanonaka.2.718_attoma-ku_gmail.com

相談メールについて詳しく知りたい場合はこちらをご覧ください。相談を受ける上で俺が守るべきルールを書きました。

スカイプでの相談もはじめました!ネットでは絶対に書けない裏事情を含め、スカイプであれば、無料で真摯に迅速かつ最大限論理的に、あなたの相談にのります!!私がこれまで実際に接してきた研究分野(物理学、化学、生物学、情報など)や見聞きしている領域、内情を知っている研究室についても、できる限り詳しく回答します。ご希望してくださる方はお気軽に上のアドレスまで、あなたの本名をお書きの上、メールしてください。私から相談可能時間とスカイプIDを送ります。皆さんの相談をお待ちしております。

アカデミックで初めて職を得たラボでのお話1

2017-04-23 01:55:18 | 自然科学の研究
 「たかはしさんを入れる理由はラボに撹乱を与えること。これに尽きるでしょうね」

 2015年3月、そう言いながら俺が入ることを迷っているラボの写真を見てくれている、この年上の後輩の言葉に俺は慎重に傾聴していた。彼は続けて予測を述べた。
 「今の段階では、その撹乱に自分も巻き込まれてしまうとは夢にも思ってないでしょう。疲弊しているのは明らかみたいですし」
 俺はその言葉に、俺も何かの予測の切り返しを与えたくて言葉を返そうとした。
 「生物系はどこもそんなもんじゃない?特に、ここは古典的っぽいしね」
 「それもそうですが、この立ち方ですよ。リラックスしているはずの飲み会の様子なのに、ほとんどのみんなが背中に集中しながら規律を守ることに忙しそうです。彼らはこの中で本音を言えていないはずです。それから、この笑顔も、口角だけ上がってますが、口が開いてない」
 動きの見えない写真から、いくらなんでもそれは言い過ぎなんじゃないか?と思いながらも、彼の予測が外れることもそう多くはない。俺は視点を変えながら、イイワケとしてのディフェンスを見つけ始めていた。
 「まぁ、研究テーマとしては、確かに何にも面白くはない。だけど、カネは手に入るし(手取りで30万弱くらい)、俺の目的からしても悪くない選択だと思う。あの医療センターには、"彼"がいるしね。おそらく何かしらは接触する機会があるだろう」

 俺は、このラボに来る以前に、自分のブログで公開している「研究室の選び方」のなかで、「10年以上同じ研究室にいる人が1人でもいるラボはやめたほうが無難」と書いている。この判断基準は俺が研究室を選ぶ際には絶対的なモノで、参考程度ではない。実際そのラボにはすでに10年以上その研究室にいたり、大義名分的に一度外に出て所属が変わっていたとしても結局ボスの目の届く範囲にいて、また戻って同じラボにずっと所属しているであろう人が最低でも5人はいるように考えられた。だから、研究室を選ぶという基準で考えると、俺の中では初めから論外だったのだ。"研究室を選ぶ"という基準だったらね。

 そして、年上の後輩くんは言った。
 「まぁ、ここは政治力学ぐるぐるでみんな疲れちゃってるわけですけど、カネが大量にあれば政治力学ぐるぐるを脱出できるのか?それを見てくるってのは、悪くないかもしれませんね。とにかくカネだけはありそうですから。おそらく、6月くらいになると、たかはしさんのヤバさに気がついて、先生が"バランスをとる"でしょうね。そのバランスのとり方は、関係の崩壊を生むと思います。たかはしさんが容認できないやり方だから。逆に言えば、たかはしさんが容認できないやり方をとるしかないでしょうね。というわけで、もって1年でしょう」
 そのラボに俺が2回程度しか見学に行ってない段階で、しかもこいつは俺の話もロクに訊いていないのに崩壊の経緯まで予測してしまうのは、些か予見に予見を重ねすぎなように感じた。だけど、まぁ、当たってるだろうなぁとも思った。俺が生まれながらの直観タイプ、後天的努力としての論理タイプ。彼が生まれながらの論理タイプ、後天的努力としての直観タイプ。この重ね合わせは、それまでも、あらゆる予測を可能にしてきた。いや、正確に言えば、それは彼だけの力であり、俺は大して役に立ってないかもしれないけど。。

 指導教員に「3月あとちょっとで終わっちゃいますし、ギリギリなんで5月からにしてもらおうか迷ってるんですよね、いま」と相談すると「そうですね!論文があるから、5,6月からでもいいかもしれませんね」と言ってきた。俺の提案よりも1ヵ月延ばして承知しているくせに、カネは支払われないわけでしょ?と思いながらも、研究社会そのものにバカバカしさを感じ続けていた俺は(まぁそれは今もね)、そのまま容認してしまった。これが後にめんどくささを生むことになる。

 そして、5月。ついに正式に医療センターの研究員になった。JREC-INには2年契約とだけ書いてあったので、これで2年はここにいるのだろうなぁと思っていた。しかし、そのわずか2週間後、イタリアでラボを持っている先生から連絡が届く。こちらからすれば有名人なのだが、何故か一回話しただけで気に入ってもらえていた。某WPIが財団から獲得した予算で設置したポスドクフェローシップがあるから、うちで出さないか?通れば一年をイタリアと日本の半々で過ごせると。これを俺は6月まで保留しておくことにした。〆切はどーせ7月で、通ればそのとき貰っている額の約2倍になる。
 この件に関しての予言者が言っていた6月までは、保留。俺の容認できないやり方での"バランス"とは何なのか?それを見るまでは、俺から行動を起こすべきではないように思えた。

 ラボにはそれなりに満足していた。良い実験環境だし、みんな親切だし、クソつまんない与えられた研究テーマと平均値的な東大のプライドと、進捗プレゼンのクソさ以外に気になることはなかった。そのクソつまんないテーマも、慣れてきたら徐々に俺が変えていってしまって良いとの話だった。「即戦力として」は求めていないと。
 さぁ、それがどのように移り変わっていくのか。。それは、また別の記事で書くことにしよう。俺の当初の目的は6月まででほぼ完了してしまう。俺としてはカネを貰うという大義名分以外に用はなくなってしまい、本当に先生は"バランスをとろう"としてしまい、それこそが決別のキッカケになった。まぁよく考えてみれば研究の世界が特殊で、ほとんどの仕事なんて、カネを貰うことだけが目的であり、それをコントロールするのが上司の役割なんだけどね。

 悪友曰く、「最初からそこに軸足を置いてねーな」と。
 その通りである。それまでの研究人生で、じゅうにぶんに、生物系や医系のラボの多くが腐り切っているのは、分かり切っていた。あの分野は抜本的に改善しなくては未来がないことは、ちょっとでも関われば誰でも十分に分かるレベルだ。考察もしていたし、仲間とさんざんディスカッションもしているし、実際さほど今と2年前と解釈としてはカワラナイ。だから、期待していない分だけ、医療センターで所属したラボには何も感情を持っていないのが事実である。やっぱりクソだったかぁと思うだけだ。俺も年下の後輩くんも予測できなかった、ただ一人の見込みのある研究者の存在を除いては。
 俺が1年半前から半年前くらいまで怒りを抱いていたのは、むしろ、融合分野としてものづくりをしてしまった後のプラン(上手く行ったとしても上手く行かなかったとしても)をあまりに考えていなかった自分自身と、そのリスクを(おそらくわかっているのに)いっさい語ろうとしない駒場の教員達の身勝手さである。その先には、アカデミックの雇用システムのテキトーさがある。
 その辺りはまた書こうと思う。今日はあくまで予告編。次回作も読んでみてね。

 (これを書くのは何度も迷いました。具体的にならざるをえないし、なにより、これまでに何名かの日本の大学教員が、おそらくこのページを見つけて、突然俺とのメールのやりとりを途絶えさせてきているからです。しかし、匿名で色々な悪口を書くよりも、俺のほうが誠意があり後輩の役に立つはず!、何よりこのページの読者の何人かが書いてくれと言っている、と思って書くことにしました。そのことを少しでも読者側が思慮してくれたら、執筆者としてはとても嬉しいです)

論文を出したいのになかなか出ない人がチェックすべきこと

2017-03-20 04:33:54 | 自然科学の研究
 自然科学の分野を研究している大学院生やポスドクは、みんなみんな、とにかく原著論文を出したがる。
 俺はそこまで「論文沢山書きたいぜー」っていう承認欲求の強いほうではないのですが、論文出したがりのわりには論文を出せていない人、なかなかこぎ着けられない人というのが世の中には沢山います。今日は、そんな方にむけて、書いてみようかと思いました。

 論文なかなか出せない、というのは、あらゆるレベルがあるかと思います。人(や分野)によっては、半年出せていなければ「俺、最近、論文出てないわー」って人もいるだろうし、10年出せていないことについて「論文なかなか出せない」と悩んでいる人もいるでしょう。今日は、そういうレベルや尺度や分野は関係無しに、もっと一般的に成り立つことについて話してみようかと思います。
 PIレベルが読んでも学部生が読んでも、物化生地のどの分野の人が読んでも、ある程度役に立つんじゃないかなぁと俺が思えることを、「4つ」だけ提供できたらなぁと思っております。というわけで、スタート。

 ちなみに、俺は、論文をやたらに早く出そうとする研究活動には、強く反対しています。なので、以下に述べることを本当に思っているわけではありません。「お前が早く出したいって思ってるんだろ?じゃあ、こうしてみたら?」というやつですから、勘違いのないようお願いします。


 1. こだわりすぎてない?

 俺は基本的に論文を早く出したいと思うことそのものについて、否定的です。はっきり言えば、なんで?バカなんじゃないかな?っと思っているわけです。
 そんな俺でも、「え?んなことしてないで早く出せや!」っと思ってしまう、いわゆる"出せない著者ら"や"出せていないグループ"の殆どについて思うことは、「こだわりすぎ」ってヤツです。

 アカデミックの世界に生きている人は、基本的に承認欲求が強く、人からバカにされたり、学術的に否定されることを極端に嫌っています。エディターやレビュアーからちょっとでも何か言われることが大嫌いな人が多いのです。だから、ちょっとの隙もなく論文を精緻に完成させようとする人が多くなります。そして、結局のところ、それは論文が遅く出てしまうことに直結しているのです。
 残念ながら、あなたの書く論文なんて、俺が書いているこのページよりも全然読まれません。あなたは世界共通語である英語で書いているはずなのに、日本語で書いている俺のほうが人に読まれる文章を書いています(1年以内に1万回以上読まれる自信ある?)。無料じゃないから?いや、たとえオープンアクセスにしたとしても、そんなに読まれないはずですよ。だから、本筋さえきちんとしていれば、細かいディテールについては、そこまでどうでもいいんじゃないですか(だって早く出したいんでしょ??)。

 これは、サイエンティフィックな内容として、テキトーなものを提出せよ、と言っているわけではありません。むしろ、そこは本筋ですから、きちんとやってください。つまり、論文のストーリー展開としての本筋を意識しすぎるのではなく、(確実に必要な)図や条件についての証拠作りが過不足無い状態を精緻にせよ、ということです。
 リジェクトになること、メジャーリビジョンになることを恐れるのではなく、自分の成果を世に出すという確固たる自信のもとに、これを主張したいのだということさえちゃーんと意識していれば、もっとこういうリファを引いたほうが通りやすいか?とか、こういう書き方にしたほうがレビュアのご機嫌を取れるだろうか?など、理系以外の発想から脱却することができるようになります。

 変なこだわりがあると、意外と、図に対するキャプションが反対のままだったり、当たり前の条件が無かったりするようになってしまいます。そのほうが論文が通りにくいですよ。ディフェンスを完璧にしていても、アイディアやデータがつまらなければ落ちるのですから、そこを勘違いしないように。

 2. 最初に決めた最終目標に執着しすぎていない?

 研究は「わからないから調べてみる」というのが基本です。
 にも拘らず、最初に決めた、考え方や結果や解釈や出てくるべきデータというものに、固執してしまう人はあまりにも多いです。

 これも受験の弊害です。大学受験などでの学習というのは、正解が決まっているものですから、解答と違った帰結には意味を成しません。しかし、研究では、それが意味を成すか?成さないか?は誰にもわからないわけで、トライについて学術的な必然性さえあれば、それには価値があるわけです。
 みんな「研究と勉強は違う」とドヤ顔で言ってるわりには、この辺りがおざなりになっています。

 何かを目指して色々試してみて、得られている結果やデータがある状態だが、最初の目指していたこととはほど遠い。しかし、「論文としてまとめる」だけであれば、これとこれとこれを組み合わせれば、学術的な必然性のもとに価値があるなぁ、と考えられるのであれば、そこを軸に論文にまとめるべきです(だって、早く出したいんだよね?)。

 この最終目標に固執しすぎる人が責任著者や指導教員だと、学生やポスドクは不幸です。つまり「本当に(自然現象として)そうであるのに、先生が描いている世界との乖離について、弱い立場に責任・問題があることにしてくる」という状態ですから。こういうPIのもとに、都合の良いデータだけを持っていって、捏造やそれまがいのことをすることが常習化している人が論文を早く書くせいで、またPIが「やっぱりこのストーリーで成り立っている。できる人がいるのだから」と勘違いをし、グループ全体・分野全体が、自分たちにとって都合の悪いデータについて見て観ぬフリをし、都合のいいデータだけを表に出すということが常套化していることもあります(マジでクズだけどね)。
 こういう状態だと、論文が早く書けても、分野全体が倒れる可能性もありますし、誰か一人が不幸になる可能性も高いですから、さっさと走って逃げるのが吉ですね。

 3. 論文が出せない人を師として仰いでいない?

 あなたがどんなに能力があって、実験を沢山したり、プログラミングを沢山組んでも、指導を受ける人(や年長の共同研究者)が論文を出せない人である場合、かなりの確率で論文は出ません。
 論文を何年も何年も(5-10年くらい以上?)まともに"自分で"出していない人には、何か信念があったり、それなりに深い事情があったりするわけでもなんでもなく、多くの場合で、ただの実力不足です。学歴や職名は関係ありません。上の世代になればなるほど、実力不足のエラい人はめちゃくちゃ多くなりますから。

 そんな人について一緒に何かをやっていても、不幸になるだけです(共同研究でも同じ)。さっさと離れるのが得策です。
 だって、あなたが何か結果を出して、これで原著論文にできる!と思っても、なんやかんや理由を付けて、無能な指導者(や年長の共同研究者)がファーストやコレスポを奪ってくる可能性が極めて高いからです。そして、奪われるわりに、論文が出るのはまだまだ先である可能性が極めて高い。あなたの努力をかすめとられないためにも、こういう人からはさっさと退去すべきです。

 今からだと時間がかかると思うから...?
 いいえ、そんなことはありません。その指導者は10年単位の時間をなんとも思わない異常者です。いいですか。一般に、直交座標系を最初に習って(中1)、5年以内で微積分まで使えるようになるんですよ(高2)?あなたは、10年で何一つ真実が得られないほど愚かではないでしょう??それだけの時間をかけて何も学べないかもしれないということにもっともっと恐怖を感じるべきです。そういうことを言うと、「研究と勉強は違うから」と使いどころを分かっていないバカがオフェンスしてきたりしますが、この部分の時間の進み方に関しては、研究も学習も大して変わりませんよ。あまりにもバカみたいなツッコミをすることをアカデミック業界から習わないでくださいね。

 4. 毎日何かしら進捗してる?

 土日を除いた毎日について、その研究について、何かしらが進捗していなければいけないと、課してみてください。
 もちろん、毎日実験したり、新しいプログラムを組んで変数を代入しているのが、論文を早く書く上では理想かもしれませんが、そこまでじゃなくてもいいです。

 文献調査をするだけでも構いません。イントロを一段落書くだけでも構いません。中間ストックを作ることでも構いません。知ってそうな人にアポをとることだけでも構いません。自分の研究について、ほんのちょっとでも毎日何かしらが進捗している状態にしないと、なかなかすぐに完成までは行きませんよ?
 ほんのちょっとでも歩みを進めるというのが、とてもとても大事だったりします。人は歩いていることそのものに自信を持てる生き物ですから、結局のところその自信がフィードバックしてきて、歩みを速めます。

 これは、実際に実験している、もしくはプログラムを書いている、大学院生・ポスドク・助教に限りません。PIや責任著者らも、ほぼ同様です。下の立場の人間に、エラそうに「自分の研究なんだから」とマウンティングっぽい言葉をほざいている暇があったら、あなたも(少なくとも週に2日くらいは)何かを進捗させるべきです。責任著者のあなたの研究でもあるわけで、どーせ論文を出したらあなたもあなた自身の業績に書くわけだから、あなたも進捗させなくちゃダメですよ?


 こんなもんでしょうか?
 「これで論文に必要な結果・データは揃った」という言葉が出てから、1年以上サブミットできていない場合は何らかの問題があると思いますので、自己分析されてみることをおすすめします。くどいですが、俺自身は「そんなに早く論文出したい?」と思っているのですが、まぁ、今日はそれを語る場ではないので意見を控えておきます。
 みんな欲望と行動が一致していないように思いましたので、これを書いてみたのですが、いかがだったでしょうか?というわけで、皆さん、頑張って、論文"早く"出してねー。

 私に直接「論文なかなか出なくて困ってるんだけど」などと相談したいと思ってくださる場合は(それ以外の研究室のことでも、研究以外のことでも、随時募集中です)、相談内容を明記の上、こちらにメールしてください(_attoma-ku_を@に変えて送信してください)。基本的にどんな方のどんな相談もお受け致します。匿名で構いませんが、所属や名前を仰ってくださったほうが、相談にはのりやすいです。相談内容は決して口外しませんのでご安心ください。
soudan.atamanonaka.2.718_attoma-ku_gmail.com

相談メールについて詳しく知りたい場合はこちらをご覧ください。相談を受ける上で俺が守るべきルールを書きました。

スカイプでの相談もはじめました!ネットでは絶対に書けない裏事情を含め、スカイプであれば、無料で真摯に迅速かつ最大限論理的に、あなたの相談にのります!!私がこれまで実際に接してきた研究分野(物理学、化学、生物学、情報など)や見聞きしている領域、内情を知っている研究室についても、できる限り詳しく回答します。ご希望してくださる方はお気軽に上のアドレスまで、あなたの本名をお書きの上、メールしてください。私から相談可能時間とスカイプIDを送ります。皆さんの相談をお待ちしております。

手法が一般化されている学問と対象が一般化されている学問

2016-10-11 00:45:15 | 自然科学の研究
 「車を運転できる」ということは、ほぼすべての車を(少し説明を受ければ)すぐに運転できるということだ。トヨタの車は運転できるようになったが、日産の車は運転できない、ということはありえない。
 それは、車というものがユニバーサルデザインになっており、各社で共有している前提知識の数が多いからだ。

 だが、A社の顕微鏡を使えるからといって、すぐにB社の顕微鏡が使えるだろうか?そら、一回も顕微鏡使った事の無い人よりは他社の顕微鏡も使えるとは思うが、それなりに説明をきちんと聞かなくてはならず、真面目にやろうとすれば、業者と何度も連絡を取っていきながら、徐々に使い方をマスターせねばならない。それは、顕微鏡という実験装置がユニバーサルデザインになっていないからだ。
 (ちなみに、本筋から離れ、顕微鏡などの生物・化学系の研究室でよく用いる実験装置に関しては、という話になるが、最近の実験装置は、なんでもやたらに装置の純正ソフトウェアを使わせる傾向がある。そして、やたらめったらボタンや機能が沢山ついていて、よくよくどーなっているのかと訊いてみると、あらゆる業者で、ちゃんと分かっている人がなかなか出てこず、やっと出てきたかと思ったら、かなり微妙なこと(というか、完全な誤魔化し)をやっていることも多い。これは非常に危険な雰囲気だということを研究者は認識せねばならない。諸君らは作業結果を出力するだけの人間ではなく研究者なのだから、ブラックボックスのなかで物理的に何をやっているのかを追及し続ける義務がある。ここの欠如が甚だしい熟練研究者や成果至上主義者達が目に余る。PIや立場のある人間は、政治力学に終始しながら文章作成に一生懸命になっている場合ではなく、学生やPDやテクニシャンから指摘を受ける前に(実際に実験をしている人間が装置そのものの誤魔化しを指摘できるのは理系として当然だが、それ以前の話ね)、こういうところにきちんと踏み入らないといけない。「研究機器をなめているのか?」と業者と喧嘩しなくてはいけない。それとも、プロとしての自覚が無いのかい?もちろん、数少ない有能な先生は、こういう問題点を把握しているし、どうにかしようと務めている人も、それなりにはいるが・・・全然少ねーんだよ笑)

 しかし、それでもまだ、分子生物学の実験というのは、総じて、ユニバーサルデザインに近づきつつある。電気泳動を一回でもしたことが、あれば、まぁ、そのラボでのルールは確かにそれなりにはあるが、だいたいは出来てしまうだろう。(もちろん、新参者に「できない」的なテイを出してくるラボは沢山あるけどね)
 実は、これまであまり公で語っていなかったが、生物学としての(一番の)強みは、実験手法がユニバーサルデザイン化されつつあることだ。あらゆる実験が「キット化」され、非常に悪く言えば「バカでも使える」状態として、各研究室で提供されている。これは非常に素晴らしいストロングポイントである。バカでも使えるようにするためには、それなりに思考力を使わなくてはいけない。これは大変なことだ。少数精鋭の生物系のトップ集団が、これをトップダウン的に押し付けてきている歴史には、(俺ですら)敬意を払う。

 この生物学の最大の強みについて、物理学ではあまり考慮できていない。ユニバーサルデザイン化することにめんどくささを感じてしまっているのが、物理学を専門としている人間の悪い癖だ。
 三次元直交座標の基底ベクトルは、(i, j, k)と書くのか(ex, ey, ez)と書くのかすら、一本化されていない。結晶構造を精緻に記述する為の群論にいたっては、いまだに、シェーンフリース表記とヘルマン・モーガン(国際)表記の2種類の教科書が存在している。そういえば、フーリエ変換すら、周波数なの?角周波数なの?えーっと、この場合だと2πはどこにつけたらいいんだっけ?ってなりがち。っま、本質的には同じだからいいじゃん、って思うけど、初心者を惑わせることにも寄与してしまっています。それは、きちんと定義されていれば、基本的に好きな記号を使っていい、というルールがあるから、というのが強い。
 抽象概念を持ってくれば、その本質さえ誤らなければ使う文字はどうでも良く、じゃぁ多様的なほうがイイじゃん!という発想で、それはそれで良いっちゃイイのですが、それにしても統一化できるところまで統一してないので、長年扱っていても、わけわからなくなることが多いです。

 生物学はユニバーサルデザイン化された武器を用いて、多様的な対象を取り扱います。だから、ラボを極端に変えても、生物系内だったら、まぁやってることはほとんど同じ。ゆえに、狙ったタンパク質が面白いか?にかかっているわけです。
 それとは対照的(対称的?)に、物理学は抽象度が高い多様的な武器を用いて、ユニバーサルデザイン化された対象を扱います。ね、だから、みんな調和振動子が大好きでしょ?わかりそうなことしかわかろうとしない率がものすごく高いわけです。だから、研究室を選ぶ時も、物性理論、物性実験、素粒子理論、素粒子実験、の4つから選べや、ってなるじゃないですか、極論。いや、世界はもっともっと多様だぞ、っと言いたくなるから、一定数、コレ以外の変な事やってる研究室にわざわざ行きたがる人がいるわけで(俺もその一人かな?)。

 ユニバーサルデザイン化、生物系の言葉で言えば「キット化」されていることのデメリットは、多くの人が考えないようになってしまうこと。考えなくても済むようにユニバーサルデザインを導入する訳だから、当然なんだけどね。だから、21世紀にもなって、中卒でもスマホを使いこなしているのにも拘らず、博士号を持ってても、マッチひとつ、まともに自分で作れない。
 生物学はこのやり方で本当に正しいのだろうか?と考える時間が圧倒的に短く、物理学はこの対象を扱うことは本当に正しいのだろうか?と考える時間が短い(ただし、物理の場合は"圧倒的に"短いわけではない)。考える時間が短いというのは、得になるし、すべてが無意味にもなる。このメリットとデメリットを上手に組み合わせて戦略を立てれば、我々が知りたい壮大な問題のいくつか(生命とは何か?、とかね)について、解ける確率がものすごく高まると思う。

 このユニバーサルデザインということのメリットとデメリットを意識してみると、あらゆることが、個人レベルor集団レベル問わず、進捗しやすくなるんじゃないだろうかと思う。
 んなわけで、今日は、そんな話題提供をしてみました。これについてはまだ考え中なところも多いので、また何か書くかも。

結婚式に行きたくないと思ったら -博士が結婚式に行かないと決断する前に-

2016-08-02 23:43:23 | 自然科学の研究
 あなたは結婚式に誘われて、「正直、行きたくない」と思ったことはありますか?
 新郎新婦に対して普通程度に祝福の気持ちはあるのだけど、、どうして、行きたくないって思っているの?その気持ちはどこから来るのかな?

 どうもどうも、はじめまして。私の名前は「たかはしけい」と申します。私は普段、大学や研究所で学術的な研究を行う、いわゆるアカデミックな場に身を置いています。研究職や博士課程のことを知らないと、旧帝大などのある一定レベル以上の大学で研究員や博士課程の学生として研究を行っていると、「高給取りだろ」っと思うかもしれませんが、全然そんなことはありません。もちろん、月収としては色々でマチマチだったりしますが、准教授以上でないといわゆる正社員ではないため、若い時期、いわゆる結婚適齢期には、不安定な雇用を余儀なくされます。その准教授だって、「特任」とか付いて任期付だったりするわけですから、かなーりブラックな世界です。私の場合、昨年度は手取りで月々30万円ほどもらっていましたが、今はゼロです。これでも真面目に研究してるつもりですし、(多くはないけど)論文も書いてはいるんですが。
 さて、そんな不安定な毎日のせいなのか、友達や先輩後輩の誰かから結婚式or披露宴に来てくれないか?と言われると、ほぼ100%、行きたくない!と直感的に思います。なんやかんや、出費がかさむし・・・。

 まぁ、お金の問題というのもそうなんだけど、それ以上に行きたくない理由が、他にもっとある気がします。だって、本当にお金だけが問題なんだったら、誰かに借りれば良いし、友達だったらご祝儀を待ってもらえば済むことです。
 本当の気持ちはどこにあるのか?何を基準に結婚式に出席するべきか?今日はそんなことを考えてみましょう。

 まず、それにしても自分の気持ちが全然わからなくて、結婚式に出席したくない!、と誰かに言うと、高確率で言われる言葉が
 「でも、自分が結婚するとき、呼ぶ人いないと困るでしょ?」ということ。。
 うーん、なるほど。それはそうかもしれない。でも、不安定な生活をこのまま続けるか、社会に順応するか、その選択が常に迫られながらも、不安定になってしまったとしても大学院に残るという選択を取り続けている私にとって、それって、あまりに実感できなくて、よくわからないのだよね。確実な結婚の予定が立ってるなら別なんだけどさ。

 ただ、この「自分が結婚するときに困る」というコメントはとても示唆的です。結婚式というシステムは、「結婚式って、みんながみんな、するもんでしょ?だから、少しずつお金だして、参加し合いましょう」で成り立っているのね。ここに旧世代的な価値観が入っている部分があるのかぁと気がつかされます。
 だから、この結婚式というシステムに(第三者的にでも)介入するためには、まず、交通費と3万円くらいは、いつでも、ぱっと出せる程度には安定的な職に就いている必要があって、その上で、いずれは自分も結婚するということを心に固く誓わなくちゃいけないわけですね。

 この、みんながみんな結婚するだろ、という同調圧力のことを、広義には「功利主義」と呼びます。この功利主義的な価値観を結婚に適応させるのは、今の時代、なかなか無理があるのかもしれません。だって、別にあなたがアカデミックな世界に所属していなくとも、日本の生涯未婚率は、ずいぶん前に10%を突破してる訳ですから。10人に1人は一生結婚しない。
 これは実はかなり大きな値です。各政令指定都市には100万人いますから、各都市に10万人は生涯一度も結婚しない人がいるということですから。全然マイノリティではない。

 この部分を無視して、「いや、でも、自分が結婚するときに、誰も参列者がいなかったら困るでしょ?」と言われても、納得がいかないのは当然です。まして、アカデミックポジションのように不安定な職種を選ぶ人が、こう言われても「は?」っと思うのは当然です。まだ私のように、本当に結婚したくなったら、いつでも学校の先生にでもなるかなー、会社員もいいかもなー、と不純なことを思ってる人はいいかもしれませんが、本当にこの道一本で生計を立てていくんだ!と躍起になってる無給の人からしたら、殴られても仕方ないくらいのコメントです。

 で、こういうことをたまーにふわっと結婚式推進派の人に話すと、たいてい次のコメントが返ってきます。
 「でも、そういう人生や、そういう道を、君自身が選んでいるんだから、しょーがないんじゃないの?」

 なるほど。これにも一理あります。私自身がアカデミックなどという不安定な道を選び、それも好きなことをやっているのだから、こういうことで悩むのは仕方ないと。
 これは、「不安定でブラックな社会だってわかってたわけだから、それは個人で選べたことだろ?そのぶん貴方にはメリットがあったわけでしょ?」と言われているわけで、「あなたが勝手に同調圧力に従わなかっただけでしょ?」と言われているわけです。このように、権利や自由選択を真っ先に考える考え方を基盤として生きる人を、「リバタリアン」と呼びます。

 確かにマジョリティに適応しない理由は、私がリバタリアンだからこそ、だったのかもしれません。だとしたら、不安定な道を選んだ時点で、結婚式に参加する権利は無く、誘われても悩まずに断るのが筋です。だって、同調社会に従わない時点で、結婚式への参加権がないわけですから。
 一方、私に対して「いやいや、冠婚葬祭はちゃんと出席しろよ。収入?しらねーよ、お前が勝手にそういう道を選んだんだろ?」と言うのであれば、一個人に対して、功利主義の側面とリバタリアンの側面を両方要求している訳で、これは無理な話です。まぁ、私の友達にそんな人はいませんが、こういう無理を聴いてはいけません、自分が壊れてしまいます。

 さて、困りました。どうにも決着がつかない。どうも釈然としないのです。
 リバタリアンと決めつけられて、じゃあ自由なんだから出席しないよ!、というのも納得できないし、功利主義的な価値観を軸に、私だけが損するとしても最大多数の最大幸福として私も出席するべきだ!、というのも、どっちも納得できない。少なくとも私は。

 そんなわけで、私は、ここまで考えて、やっとこさ、結婚式に行くか行かないかの判断基準を導きだすことができました。

 結論は簡単です。美徳の精神。自分がどうありたいか?という理想主義で決めます。これしかありません。
 私は、結婚式に招待された場合、「結婚式を挙げるカップルがホンモノの愛だと私自身が感じられたら、その結婚式には絶対に出席したい」こう思っています。

 その場合、どんなに他の(いわゆる)無難な(普通の人生をおくっている)参列者の誰かから「まだそんなことしてんの?」とバカにされたり、誰かの子供をみんなで可愛いと言って、少し合間が空いた時に、集団でいるとそこまで目立たないが、確固たる同調圧力至上主義的価値観を持っている誰かが私の耳元でそっと「どう?結婚したくなった?子供欲しくなった?」と言われて傷ついても、新郎新婦がトゥルーラブである限り、出席したい。出席させてもらいたい。心からおめでとうと言いたい。それが私の理想です。

 私は、自分がどんな状況であれ、これを軸にしたいと思っています。


 ただし、、矛盾するのも人生。自分の哲学に自分の行動が矛盾して、何が悪い!少なくとも、自覚して矛盾するのは、悪くないだろ?
 たとえ真実の愛だと思わなくても結婚式に行く時があってもいいし、たとえ真実の愛だと思っても結婚式に行かない時があってもいい。俺は、このくらいのゆらぎがあってもイイと思っているし、基本的には俺が何をどうしようが大丈夫でしょ?

 基本コンセプトを決めてから、そこから各対象について揺らがすことそのものが本質なのかもしれない。なんか、量子力学をもう一回習った気分。

 ・・・というわけで、マイケル・サンデル教授はスゴい、っという話でした笑

「理系博士の職探し」動画 with たなかゆうき

2016-04-29 00:42:41 | 自然科学の研究
博士課程は就活失敗者なのか - 理系博士の職探し part1


博士課程の学生を雇うメリット - 理系博士の職探し part2


ポスドク問題 - 理系博士の職探し part3


フリートーク - 理系博士の職探し part4


 今回は、「例のゲームがアメリカで見つかった!」騒動で有名になった、後輩のたなかゆうき君をゲストをおむかえして、「理系博士の職探し」の問題に関するディスカッションの様子を動画を撮ってみました。

 研究業界の人が、手っ取り早く楽しむんなら、part3の「ポスドク問題」を見てみることをお勧めします。あと、やっぱりダラダラペースなので、1.5~2倍速で視聴するとイイと思います。

 YouTubeの「たかはしけいチャンネル」がそれなりに数字とるようになったら、あまりこのブログと関連しないようにしようかなぁと思っていますが、まぁ、この程度の再生数なら、ブログと関連付けながら、とりあえずは喋りたいこと喋るかな。
 しかし、動画撮るの楽しいな。動画と言ってて、全然動かないけどね(笑)。

 あと、この感じで、動画で主張したいことがある人、俺と話したい人(さらされる前提だけど)、引き続き募集します!もし、そんな変人の方がいらっしゃったら、ぜひ連絡ください。
 soudan.atamanonaka.2.718_at_gmail.com (_at_を@に直してください)

"「生命とは何か?」にガチで答えるために"の動画

2016-04-13 03:31:39 | 自然科学の研究
 というわけで、"「生命とは何か?」にガチで答えるために"の動画を作ってみました。
 6パートにわかれています。全部見るのは大変ですから、ちょこっとだけ見るか、YouTubeの倍速機能を使って1.5倍速か2倍速で見ると良いと思います。ちなみに、俺は、デフォルトは2倍で見ています(早い!と思ったら1.5や1.25で見ます)。

「生命とは何か?」にガチで答えるために part1


「生命とは何か?」にガチで答えるために part2


「生命とは何か?」にガチで答えるために part3


「生命とは何か?」にガチで答えるために part4


「生命とは何か?」にガチで答えるために part5


「生命とは何か?」にガチで答えるために part6


 うーん、これで、こういう話をするのは(少なくともしばらくは)やめることになると思いますが、、内容に、何か間違えがあったり、気がついたことがあったり、質問があったり、こうだ!、みたいなのがありましたら、是非教えてくださいね。コメントでもメールでも構いませんので、宜しくです。ただ、全否定みたいなのは完全に無視しますけどね笑。
 soudan.atamanonaka.2.718_at_gmail.com (_at_を@に変えてください)

 予想以上に、なんかすげー当たり前のことしか言わなかった気がしますが、少し言い足りない部分もあります。まぁ、それは誰かとラジオだべり形式でやったらいいかもしれませんが。
 ちなみに、最初から最後まで聴いていただいた方で、俺に投資したい!と思ってくれたモノ好きな方は、最低価格5000万円から受け付けますので、気軽にメールしてきてくださいね笑。

 さて、次は、どんな動画を撮ろうか。やっぱり、ABCグループ理論でも説明するべきか。。笑

サイエンティフィックな議論をするということ -タバコ論争-

2016-04-06 23:57:45 | 自然科学の研究
 このタバコ論争の動画、(このさらに前の動画も含めて、2倍速ではあるけど)全部見たんだけど、なんかすげー鬱になったわ(笑)。
 なんつーか、理系の空気って、キモイな。マジで。まぁ、全部まとめちゃいけないけど。

【放送事故】ハプニング!!元暴走族ヤンキー真木蔵人、ブチギレ・マジギレ喧嘩!!【タレコミ屋】


 一番激しいシーンの短い動画を上にあげておきましたが、これだけ見ても文脈というか空気というかがわからないと思います。別に真木蔵人さんは教授の座り方にキレてるわけじゃないので。俺も長らく理系にいますが、何回かこういう空気あるんだよなぁ。あー、きもちわるっ。
 まぁ、どうやって切り返すべきかヒントになったところもあるし(正直、大学院生ならその場から逃げてしまっていいと思う)、意外と世間や一般の方というのは「空気」というものに敏感で、少なくともどちらがマナーとしておかしいかはわかるみたいで、ちょっとは安心しましたが、、でも、なんだかなぁ。

 ここまでマナーが悪い理系が学位とっていくのって、本当にどうなんだろうなぁ。と思うけど、ここにでてきてる人達はまだ全然良いほうで、出演依頼断ってる大量の専門家って、もっと酷いかもしれない、ってことなんだぜ?

 というわけで、このブログの極僅かなコアなファンのみなさん(特に理系)、気が向いたら、全部見て観てね。サイエンティフィックな議論をするということがどういうことなのか、考えさせられる良い教材だと思います。
 あ、あと、俺はタバコは嫌いです。これは感情で、サイエンティフィックなことは含まれませんが。

BAZOOKA 122 嫌煙派の逆襲!?武田邦彦vs嫌煙派軍団 タバコ企画第2弾!


BAZOOKA 127 タバコ論争 -最後の聖戦- 続・武田邦彦vs嫌煙派軍団 前半戦


BAZOOKA 128 タバコ論争 -最後の聖戦- 続・武田邦彦vs嫌煙派軍団 後半戦

博士号に値する能力

2016-01-22 00:42:48 | 自然科学の研究
 さて学位審査の時期で、学位について色々考えることが多いので、今日はそういうことを書いてみようかなぁと思います。
 なんつっても、学位の審査って、ちゃんとしてんの?、って思うことはものすごく多いです。特に例の事件以降、そういう議論は腐るほどありますよね。まぁ確かに、少なくとも分野や研究科や専攻によりすぎるのよね、基準が。俺の周囲で「博士号って審査員の感情で決まるのか!」と言った人もいますし(ホントかウソかは別として、そういう意見があるのは事実)。

 というわけで、今日は、主に「理系の博士号」ってのは、こういうことができる人のことだ!、ということの理想を、博士号取り立ての若造が生意気に述べようと思います。理想を述べますので、かなーり厳しい内容になります。「お前、博士号持ってるんだろ?それら、ちゃんと全部できるの?」うーん、どうでしょう??できていたい。少なくとも、頭の中の自分としてはできている、と言いたい(笑)。

 いきなり博士号の話をしても何なんで、学士から述べます。で、修士、博士、と述べていきます。当然、修士号取得者は学士を、博士号取得者は修士と学士の学位を持っていると思いますので、理系の博士号取得者については以下に述べる能力のすべてができることが理想だと俺は思っています。
 ちなみに高卒の能力ってのもありますが、例えば「特別活動」の目標を俺なりに要約すると、「教員が見ていれば生徒たちだけでちゃんとできる!」とかなので、まぁ、これは大丈夫よね?逆にこれしかできていない研究室が、、ないと言えるでしょうか?笑


 <理系の学士号に値する能力>

 1.どんな学問分野でも学習することができる

 学士って、一言で言ってしまえば、「お勉強のスペシャリスト」みたいな感じだと思うんですよね。なので、自分の専門以外の分野についてでも、何についてでも勉強し始められるってのは必要な能力だと思います。
 大学ってのはそもそもこういう人間を輩出する機関なはずで、オールマイティかそれになれるだけのポテンシャルを秘めている人が大卒かなぁと思います。最初っから厳しい?(笑)

 だからといって、他人を頼っちゃいけないというわけじゃありません。この分野については専門家の正しい教育が必要だ!だから、誰かに指導をお願いしよう!という判断ができることが、まさに学士の能力として求められることだと思います。
 このことに関してだけは、理系も文系も同じ。

 2.高校理科と高校数学がある程度完璧で、しかもそれらを使いこなせる

 理系の学士ってことは、理学か工学か医学か農学か薬学でしょ?まぁ、高校の理数系の科目くらいは完璧であってほしいよね。
 物理学科なんでモル計算できません!、化学系なんで積分はできません!、生物系なんで統計は苦手です、みたいなのって、イイワケにならないでしょ。
 ただ、そんなに厳しいことは言ってないはずで、高校の内容だったら、本や参考書をパラパラめくって思い出せればそれでいいと思うのよね。学士なら。だから、必要な本をもってこれて、あー、こうやって計算するんだったー、こうやって理解するんだったー、こーいう用語あったあったー、であれば、オッケー。

 地学もですか?もちろん。『じゃぁ、ハドレー循環ってなんだっけ?』『残留磁気、説明して』『ミー散乱って、どんなんだっけ?』どう?できそう??笑
 あー、(地学がとてもよくできる彼に)怒られそう。。

 ちなみに、この能力は、俺が誰かと共同研究するうえで、能力としては、唯一にして一番みるポイントです。なので万に一つ、天地がひっくり返って、今後、俺が研究室を主催することになどなったなら、このポイントだけは、めちゃくちゃ冷酷にみながら、採用したり大学院生をとったりすると思います。
 この基礎がしっかりしてないと、研究として、何事も始まりません。博士号取得者でこれが不安な人は、今すぐにすべての仕事を止めて、まずはこれだけをしっかりとさせるべきです(今日は理想を語るんですから厳しいですよ?笑)。

 3.人類で初めてのことを見つけ出したことがある、もしくは、最先端の事柄を自分なりにまとめた経験がある

 大学って、良くも悪くも論文書いて卒業するところですよね。なので、これは卒論のことです。
 で、数学科や物理学科の理論研は、「論文の再現」で1年間終わってしまうこともあるので、まぁ、そのぶん内容が難しいから、イイんかなぁという意味で「もしくは」以降をつけました。例えば極端な話、超ひも理論とかくらい難しい事柄については、きちんとレビューできるだけで博士号に値するんかなぁと俺は思っています。それを理解している人そのものが稀少なので、何かを発見した貢献が(他の分野に比べて)少なくても、それだけで十分、ってことはあると思っています。そら、あるタンパク質のファミリーをレビューできることと、超ひも理論をレビューできることは、全然レベルが違うわな。

 例えば、枚挙的な価値観の研究者のなかで「人類で初めてのこと」ってことに対して、ものすごく価値があるように言う人がいますけど、、いや、でも、「今日、東京は雨だ!世界で初めて自分が事実を見つけた!」ってことを軸に論文は書けないですよね?博士号や修士号ではこれではもちろんダメです。
 ただ、学部の卒論は、超極端な話、そのレベルでもいい気がします。だから文系のアンケート卒論が認められているわけで。。そのレベルで体裁が整った論文が書けるなら、十分に学士に値します。まぁ、(銅鉄的な)こういう超くだらないことでも、原著論文にしちゃうと、その後の学振とかに効いてくるから、なかなかに厄介なんだけどね。結果だけありゃいいのかよ、みたいな。

 でも、とりあえず、学士における研究の能力はこれかなぁと。とりあえずの体裁は整えられる。これはそれなりには大事なことです。

 <理系の修士号に値する能力>

 4.研究進捗において、常に、「次は何をやるべきか?」がわかり、研究のストーリー構成を自分で作れる

 修士号ってのは、一言で言ってしまえば、「研究できる人の称号」のことだと俺は思っています。
 なので、修士課程の間に、何かのキッカケさえ与えられていれば、自分で研究していき、(逆説的にでも)自分のテーマはこれだ!と思えることが大切だと思います。で、それを2年間の間に、(日本語や英語で)しっかりとまとめるということができる人が修士号に値します。

 逆に言うと、(一部、理論や数学の分野を除き)修士の研究というのは原著論文レベルでなくてはいけません。もちろん、指導教員やその他の環境によって、すぐに論文になったりならなかったり、時間的な運不運はあるかと思いますが、基本的には、原理的に原著論文になりえないような修士論文を提出してきたM2は、審査で落とすべきだと思います。

 だから例えば、博士論文で自分の修士論文の内容を一部含む、なんていうのは、もってのほか。博士論文は博士論文。修士論文は修士論文です。修士のテーマの続きをやるってのは話はまだわかりますが(それも俺は良いとは思っていません)、修士のときの結果を博士論文の結果に含んではいけないですよね。あと、同じようなテーマで何人も修士号を取らせている研究室も見かけ(る気がし)ますが、そんなんも絶対にダメです。
 というわけで、修士課程のときに研究がまとまっていない人は、「博士課程に来てはいけません」とか甘い話ではなくて、そもそも修士号に値しないっと俺は思っています。

 5.自分と同じ分野であれば、サイエンティフィックな議論に参加できる

 ま、簡単に言えば、研究室内のゼミで殆ど喋らない人は、修士号に値しませんよ、ってこと。研究者ってのはお互いに意見を戦わせるためにいるので、戦えない人は研究できない人ですから、この能力は修士号として必須です。
 これはキャラクターも含めて、です。だから、自分は人見知りなんでー、そういうタイプじゃないんでー、シャイなんでー、とかはイイワケになりません。だってそんなに意見ないですしー、んなわけねーだろ。本当に無いなら、それこそ修士号に値しないだろ。

 ただこれができない修士号取得者は、本人の問題と言うよりは、だいたいは指導側の問題であるケースがほとんどです。指導者が、これをしやすい環境セッティングをまったくしてきていないことも、かなりのケースで多いと思います。

 <理系の博士号に値する能力>

 6.新しい価値観、新しい分野を提案できる

 時代とともに物事は変わってしまいますが、それでも、博士号ってのを、むりやりに一言で言ってしまえば、これに尽きるかなと。
 これはサイエンティフィックな事柄だけに限らず、制度やシステムに対してもそうで、だから、博士ってのは、常に誰かと意見を戦わせているソルジャーじゃないといけないと思います。そんなん本気でやってたら疲れてしまいますが。

 だから、博士の審査が無難に終わるってのは本来ありえないことだし、だって新しい価値観を既存の分野の専門家たちにぶつけるわけだから、そら、もめて然るべきだろうと。まぁもちろんみんな、無難に終わりたいだろうけど。
 なので、博士論文が、この分野はすでにありきですよねー、みたいな前提で満ち溢れている書き出しであったら、それは博士論文としては失格なのだと思います。新しい価値観や新しい分野を「いや、これ絶対に必要でしょ?」ってドヤ顔で提案できるってのは、それまでのあらゆる分野に対してある一定の理解をしていないといけないですよね。あらゆる価値観、極端に言えば社会科学や人文と比べて、自分が提案する新しい価値観は、どれほどの影響力があるか?ということを主張できなくてはいけません。かなり広いことから書き出して、俺が提案する新しい分野は超価値があるから!、ってやらないと、それは博士論文じゃないだろ、っというのが俺の意見です。

 その姿はとても滑稽なはずです。そして、この滑稽さを享受できるかどうか、ってのが、博士号に値するのだと思います。
 「博士はカッコ悪い!でもカッコイイ!」みたいな(笑)

 7.どんな場であっても、自分の意見を主張することができる

 国際学会であっても、自分は場違いな場であっても、自分の意見を(日本語や英語やその他の言語で)主張できなくてはいけません。
 調和を求めまくって、なるべく他人とぶつからないように努める、なんていうのは博士号取得者としては怠惰な態度です。(よく勘違いされますが)俺も人と争うのは、まったく全然さらさらもーとーこれっぽっちも、好きではありませんが、争うのがある程度は平常運転にはならなくてはいけないとは思っています。

 意見を戦わすためにいるわけですから、研究者は。それができない人、相手によって意見を抑えてしまう人は、博士には値しないんじゃないかなぁと俺は思います。
 「意見における戦闘民族」それが博士号なんじゃないかなぁと。…と、実は自分の意見があまりない、俺が言うのもなんですが。

 8.研究室を運営できる程度のコミュニケーション能力と演技力

 研究室主催者における称号って無いので、博士号に委ねられてしまいますが、だとすれば、これは必須になってしまうのかなぁと。
 あんまりコミュニケーション能力という言葉そのものは好きじゃありませんが、やっぱり、何かを一緒にやっていったり、学生さんやポスドクに対して音頭をとる人が主催者なのだとしたら、最低限のコミュニケーション能力は必要ですよね。

 そして、ムカつくヤツが学生でいたとしても、それを億尾にもださない演技力も大切だと思います。まぁ教員は審査のとき以外は商売ですから。


 8項目、博士号に値する能力を挙げてみました。うーん、挙げてみて思ったけど、、博士って、たいした称号じゃねーな、と。
 こんなことよりも、もっともっとはるかに大事なことは、他にたくさんたくさんあります。

 日本では、多くの理系の大学院の博士課程において、博士号取得には、自分が筆頭著者である原著論文を要求してきます。
 これは裏を返すと、審査側が、自分たちできちんと、この博士論文を提出したこの人は博士号に値するか?ということを、自分たちの責任でもって考えまくって審査していない可能性が高いのではないだろうか?、ということだと思います。この国には、博士か否かの審査を海外に委ねて、自分たちでは判断できない研究者しかいない、ということなのかもしれません。

 というわけなので、その程度のことで、悩んだり、論文出さなくちゃ!と焦ったり、そのためにあまりにもくだらない原著論文を無理矢理に書いたり、ましてや、不正をしなくてもイイということ。
 だからといって、目の前に存在している不条理な現状をそのままにしていてはいけないと思うが、、それは、俺だけが背負えばいい事柄なのだと思う。

 外は違うはずだ!と思って、外の世界へ飛び出し、ここ数年、外の世界を観てきたはずが、意外とおかしいのは外の世界のほうなのかもしれない、と思ってきている。こういうことは多々ある。
 だが、少なくとも教育というのは、圧倒的な崖を上から「ほら、登って来いよ?それじゃあ博士号に値しないぞ?」とやることではないし、かといって「ここにエスカレーターがあるから、これにただ乗っかっててね。で、このエスカレーターに乗るからには、僕の言うこと絶対にきいてね。文句言うことは許さないから」とやることでもない。これらの偽教育は、マジで優秀な人間を、たったの3年間や4年間や5年間でダメダメにする。ロッククライミングができるような足場を教えることが教育なのだから、、やっぱり今、多くの現場では、おかしいのだ。

 そして、そのおかしさにたいして、俺は新しい提案を仕掛けているのだと思う。
 それは俺が博士号を取得しているから、というわけではなくって、、ただ単純に…。。

阪大の研究費不正処理疑惑について

2015-12-27 01:00:31 | 自然科学の研究
 大阪大学大学院情報科学研究科の教授らが研究費の不正処理をしたとして疑惑がかけられている。メディアのいくつかの記事によれば、「預け金」や「私的流用」が疑われている。
 …と他人事のように書き始めてみたが(いや、確かに「他人事」ではあるのだが)、疑惑がかけられているのは、かなり俺と近い分野の先生だ。問題となってる先生とは、ほんの数回だが言葉をかわさせてもらったこともあるし、この先生が主催する研究室の人たちとは何度か話したり、一緒に飲みに行かせてもらったりもした。俺は「分野」という言い方は大嫌いだが、それでも少なくとも、目指していること、掲げていることは、共通だと思う。

 以下は、報道されている内容が事実であると仮定して、書く。俺としては、事実と認めたくないという気持ちも、正直まだ少しある。

 今回どういう内容が具体的にあったのかは俺は一切知らないが、それにしても大学の科研費のあり方は、やはり今一度考え直すべきだと思う。
 プールしていたのはルール違反で大問題だが、それでも単年度予算ってのはかなり無理があると俺は思っている。研究を進捗させるうえで、本当の意味で計画的な予算の使い方をしたいなら、とにかくその年度で使い切ってしまわなければならない感を出されるのは研究しにくくて仕方ない。
 獲得した研究費をとっておいて、大きな装置を買いたいということもあると思うし、ポスドクが入ってくるならそこで人件費として使いたいということだってあるだろう。

 しかし、だからといって、彼が不正処理したのだとすれば、それはルール違反で完全にアウトである。まして私的流用は事実だとすれば問答無用でアウトだし、預け金に関してもシステムがおかしいと思うなら、彼ほどの立場の人間だったら、意見をきちんと主張してルールが変わってから、正式に行使するべきである。
 彼ほどの立場、と書いたが、研究費を使っている限り、間接的であろうが、直接的であろうが関係なく、卒研生だろうがテクニシャンだろうが、同じだ。そして、自分の所属している研究室主催者が不正処理を強要してくるような研究者であるなら、それはできない!とはっきり主張して、職や身分や立場を失うべきである。

 失敗しないために一番大切なことは、「おごらないこと」
 この件が事実なら、「自分ほど立場があるし、これくらいのことは、どーせみんなやっているから、大丈夫だろ」という「おごり」があったように思う(そんなわけがないのだが)。
 だからね、どんなに安泰だと思っても、どんなに安泰な場所に所属していると思っているのだとしても、絶対に自分の実力を向上させ続けなくちゃいけないし、相手がどんな立場であれ、どんなに心の中ではクズだと思ってるヤツを相手にするんであっても、そこにルール違反があっちゃいけないし、真実を見つけることに対して常に真剣じゃなくちゃいけないんだよ。

 そういう意味で、やっぱり、常に意見を戦わせる勇気のない人間は、研究の世界を去れ、と言わざるを得ない。
 考えてみれば、研究者は自分固有の意見を提供するために存在しているのだし。

 またこういうことを言うと、サイエンティフィックな事柄では議論を戦わせるべきだが、その他のことでは空気が大事だ、というサイエンスと経済やシステムを分離したい分離主義者たちが、俺に対してドヤ顔で主張してくる。
 今回の件に関しても、俺の周囲の多くの人が、不正をしたのはダメだけど、それでも彼の研究は素晴らしい、などと言う人が多かった(この気持ちはわからないわけじゃないが、今まで信じていたから、という履歴依存性が強すぎると思う)。いや、不正を事実だと思うのなら、彼のサイエンスもそれだけのものだったのだろう。自分と違って、ルール違反をしていたのだ。みんなのカネを使ってルール違反をして成果を出していたのだ。そこに何かの素晴らしさを見出せるか?その「おごり」が研究内容にもむけられていたと考えるのが自然なのではないか?信用ってのは、そういうもんじゃないのか??自分の一番純粋な心に、質疑応答をもう少し繰り返せよ!、と俺は思う。
 本当に彼の研究が心から素晴らしいと今でも思っているのなら、あなたが言うべきことは「彼ほど素晴らしい研究をしているのだから、不正なんかしてたはずがない!これは何かの間違いで、誰かのワナにはまったんだ!!」という言葉じゃないのか?そして、俺はどちらかというと、こう思いたい気持ちは強い。

 もちろん、だからといって、そもそも、この問題となっている教授の研究や原著論文に対して、批判的な意見が何もないわけじゃないけれど(むしろ沢山あるけど)、、少なくとも、彼は、自分固有の意見を堂々とみんなの前で主張できるタイプの研究者である、と俺の眼には映っていた。それだけに、報道されていることが事実だとすると、残念で仕方ない。

 わがふりなおせ。
 おごったり、あなどったりしてちゃ、ダメダメだよね。例えば、ほかのことでも、データ一つひとつについても正確に提出していくべきだし、そこに対して、自分は詳しくないからー、専門じゃないからー、などと言っていないで、数理統計学や誤差論は、実験屋は少なくともしっかりやらなくちゃ絶対にダメだし、あらゆる研究に対する態度をよりよく改善させていかないといけないよね。

 堂々と常に前を向いて、自分は(政治家などではなく)研究者だ!、と常に言えるように。何かの保身や維持のために、誰かを騙せたとしても、自分だけは常に誤魔化せないから。

 (報道内容についての反対の事実の証拠を観た瞬間に、この記事は削除します)

参考記事

読売新聞; 阪大不正経理2.2億円 教授や名誉教授ら3人
NHK; 大阪大学大学院教授 1億5000万円余の不正経理か
日本経済新聞; 阪大教授らが不正経理 研究費1億円超、告訴を検討

読む必要のない原著論文

2015-11-24 23:28:40 | 自然科学の研究
 今日も、もう一歩、自分を追いつめるために、前から書いてみようと思ってたことを書きます。

 世に溢れまくる自然科学系の原著論文。まぁ、本当は全部読まなくても良いんじゃないか、と思いますが、そのなかでも、この要素があったら、もう絶対に読まなくていい、という指標を示してみようと思います。
 ちなみに、俺をよく知ってるみなさん。「え?お前が書いた論文だって?」ってこともあるかと思いますが、、そういうことです、読まなくていいです(笑)。

 「読まなくていい」が含む意味は何かと言うと、「価値(新しいところ)がない」「ウソである確率が非常に高い」「何も学びがない」ということです。

 下に書くことを簡単にまとめてしまえば、「原理的にわからないように書いてあって、あえて複雑にわかりにくくすることで、難しさをアピールし、とにかく論文として体裁を整えました」という原著論文を、コスパよく発見する方法だと思ってください。
 もちろん、例外はあると思いますが、いま世に溢れる自然科学の原著論文のおそらくすべてが読む必要がないと本心で思っている俺としては、あまり例外とか言っても意味がないので、例外はない!と言い切ってしまってもいいかもしれません。

 1.著者が7人以上の原著論文

 本当は4人以上で読む必要がないと言いたいくらいだが、まぁ、著者が増えまくってしまってる現状があるから、その流れにのって仕方なく、っという部分もあることを考慮して7人以上。

 著者が増えれば増えるほど責任の所在が微妙になるし、著者が多いからすごい研究かというと、そういうことも少ない。それが良いかどうかは別として、今の研究のシステムはどの分野でもかなりの個人主義で、その人の仕事か否か、という部分がものすごく多く寄与する。
 にも拘わらず、共同研究をすすめましょう!、とかいうのは、よほどの変わり者か、誤魔化しか、どちらか。本当にそういうことを奨めたいなら、まずは、原著論文によって個人を評価する、という研究のシステムそのものを変えない限りは、達成されない。
 というわけで、著者があまりに多い論文は政治力学の産物だから読んでも仕方ありません。それに本当に必要な著者が揃ってるのか?曖昧ですから。

 っま、これはマジで分野(というか、その分野の習慣)によるので一概に言えないところは多いですが、、少なくとも、著者が増えれば増えるほど、読んで損したなぁという率は高い気がします。
 
 2.三行以上にわたって一つの数式が書いてある

 これだけ俺が最初に言ったことじゃありませんが(あるえらーい先生が仰っていた)、理由は自然現象はそんなに複雑なわけがないから。
 というよりも、複雑な自然現象を上手く単純化して理解していく作業が自然科学なので、長い式を書いてりゃいいわけじゃありません。シンプルにすることを心がけて、研究をしたり、論文を書かなきゃいけないのに、とにかく書きました、みたいな論文は読む必要なし。学びは少ないでしょう。

 3.棒グラフが5つ以上載っている原著論文

 棒グラフって、視覚的に数値をとらえることができる、以上のメリットはありません。数字できちんと書いたほうが適切です。
 にも拘らず、棒グラフがたくさんあるってことは、その論文で、これが言いたい!、ということが定まっていないということ。そんな曖昧な論文は読む必要ありません。

 確かに、メインの帰結をわかりやすく把握するためであれば棒グラフは必要ではありますが、何個も何個も棒グラフばかり載ってる論文は、まずその実験が本当にきちんと行われていたのか、それを見るだけではわからないのに、それを読者にそのまま信用しろよ、ってことなわけです。
 棒グラフって、持ってる情報量のわりに紙面をとるので、、まぁ、そういうことですよね。テーブルで数値を示したり、文章中に書いたりすりゃいいのに、体裁を作ってる感が半端ないわけです。

 4.略語が何なのかちゃんと書いてない

 これは説明不要だと思うんですけど、説明します?
 略語なんて最初に書くのが当たり前だし、それを怠ってるって、原著論文として成り立ってないから読む必要なし!

 本当に念のため、一応、言っておきますけど、だからって普段、略語使うのは、別にありですよ?原著論文という作品を作るうえで略語が何なのかを最初にちゃんと書いていないのがありえないだけです。これは意外といろんなことに繋がっていて、例えば、参考文献なんかを示すよりも、こういう前提知識が必要です、ってのを書くことが大事だってことも含んでいるんだよなぁ。

 5.参考文献が50以上ある

 えーっReviewも?っと思った方、俺はReviewはそもそも読む必要がないと思っているので(まとめたいなら、Reviewじゃなくて本を書いてください。それほどの量じゃないってんなら、そんなことでいちいち出版して業績にせずにHPにでも書けよ)、これはLetterだろうがFull PaperだろうがCommunicationだろうが、です。
 ちなみに何故かというと、著者が絶対、全部は読んでないから、把握してないから。著者全員がすべての参考文献を把握していなくちゃいけませんし、きちんと読んでいなくてはいけません、、よね?当然。

 参考文献が50以上ある原著論文は、ほぼ不可能に近いと思います。アクセプトを得るディフェンスのために不要な文献をあげるのはやめましょう。アクセプトを得るためにと戦略的に参考文献をたくさん挙げる人は、政治家であって研究者ではありません。それなら別のジャーナルに出せばよいだけだし、そういうところから理不尽さを感じて、論文以外の新たな表現方法を探るべきです。

 6.Beall's Listに載ってるジャーナルの原著論文

 これも説明不要ですよね。理系の博士課程以上で、Beall's Listを知らない人は世間知らず過ぎです。自分の専門分野に集中しているのは結構ですが、もっと制度について勉強してください。


 っま、とりあえず、これくらいでしょうか。
 俺の意見、完全にPRL信者だな(笑)。俺のことを物理系だと決めつけているみなさん、今日はあなたたちは正しいです。

 あ、略語の定義するの忘れたけど、ブログだからいいよね(笑)

Mini-review on the Mario Maker Computing Systems

2015-10-26 00:35:10 | 自然科学の研究
 世の中は頭の固い人たちばかりで、研究の出力が「論文」という時代がもうすぐ終わるということが、なかなかわかってもらえません。
 時代の流れを考えれば、これだけ動画配信するのがラクになってる時代だから文字はなくなっていくと思うし、VRがこれだけ進歩してきているのだから、たとえば研究の出力としてVR作品を残すアウトプットのやり方とかを模索しても良いはずなのに、全然そういった動きが研究の世界では取り組まれない。まぁ、俺的には、(皆さんご存知のように)文字を書くの好きなので、別にこのままでもいいんですが、、理系が、新しい技術にワクワクしないってどうなの?

 しかし、外の世界では、どんどん、そういった動きが出てきています。
 俺らが、井戸の中の蛙になっているうちに、外では、どんどん追い抜かれて行ってしまいます。

 っというわけで、今日は、この動画を見てもらおう。

【論理演算】マリオメーカーに「3+3=6」を計算させてみた


 これ最初に見たとき、『おいおい、マリオメーカーコンピュータかよ。俺、思いついてなかったぞ!』と、正直悔しくなりました。いや、なんつったって、コンピューティングとか、まぁそれなりに自分の専門分野に近いところもあるのに、こんなことも思いつけない自分が駄目だなぁと。
 っていうかさ、これ、マジで論文にしたほうが良いんじゃないですかね?なんなら俺、文章書くよ?いい感じで先行研究挙げられるよ?共同研究ってことでさ(笑)。
 これよりも遥かにくだらなく意味のない研究、俺、いくらでも知ってるぜ?量子コンピュータだって、DNAコンピュータだって、それなりに良いジャーナルに載ってるんだから、しかも、最初のアイディアだから、ScienceやNatureに投稿して、大丈夫だと思うけど。Nature communicationくらいなら絶対にacceptされると思うぞ。まぁでも、YouTubeに負けるくらい、それくらい原著論文って、めちゃくちゃつまんないからなぁ(笑)。こうやって、YouTubeに投稿するのが一番価値があるって評価されちゃうんだろうなぁ、さすがにカネにはならないだろうけど。って、別にジャーナルに投稿しても、カネにはならないんですが(なると思ってる人は、勘違いです)。

 この動画がすごいなって思うのは、基礎に忠実である点です。数学や情報の基礎が、めちゃくちゃしっかりしてるやつが作ってるなぁと思います。
 AND, OR, NOT, XOR, NAND, NOR, XNORという基本的な演算子を作り、そこから半加算器、1bit全加算器、2bit全加算器を作っています。っていうかさ、この作者の人、もしかして教養学部の情報の授業受けた?笑

 これ、たぶんだけど、趣味でやってるんだよなぁ、と思いながら観てると、なんと、これを引用している動画が、いくつか存在していることに気が付きます。

 以下、一部を挙げておきます。ちなみに調べるともっと出てきます。

【スーパーマリオメーカー】「65535+65535=131070」を計算させてみた【Super Mario Maker】


 これは小さくした半加算器を組み合わせることで、16ケタの加算器を作っています。ただ、ちょっと俺が気に入らないのは、入力するときに「つくる」じゃないとできないこと。やっぱり、プログラムの作成と入力は、分けたいよね、なんとなく。でも、これはすごい進歩。

【34bit】マリオメーカー計算機で171億略+171億略の結果を表示してみた【スーパーマリオメーカー】


 この動画によって34bitまで可能になっただけでなく、マリオをあまり動かさなくても済むようになりました。この動画がめちゃくちゃ面白いのは、ストーリー構成が、論文と同じになっていること。背景、問題点、目的、結果、考察、今後の展望、と、明らかに研究を知ってるヤツが作っています。

 よーするに、俺が言ってるのは、すべての研究は、こういう風に、研究発表のアウトプットが多様化してくるだろう、ということ。そこに対して、それこそ「理系なんだから」、恐れちゃダメダメ。

 いやー、しかし、怖いなぁ。こいつら、たぶん、研究室とか研究業界では、そんなにイケてないヤツなんじゃないかなぁと思う。なのに、研究遂行能力そのものは、ものすごく高い。
 こういう人たちをちゃんと評価しなくちゃいけないのに、、うーん、どうしたらいいんだろうね?

 逆に言うと、やっぱり研究職に拘らなくても、いつでも研究ができる環境がセッティングされつつあるわけで、しかも、これからの時代、評価する人は評価がきちんとできる世代になっていくわけで、あまりに業績に拘らなくて良いんじゃないか、と思うけれど、、もう俺も研究業界に洗脳されつくしているから、やっぱり論文書きたいよねぇ、一本でも多く(笑)。

 恐ろしいな、っと思うのは、スピードである。なんつったって、マリオメーカーが発売されてから、まだ1か月ほどしか経っていないのである。マリオメーカーコンピューティングのこれからも楽しみだが、これからもっともっと、このマリオメーカーで、面白いものが作られていくのだろうと思う。税金をかけて、大義名分をつくって、くだらない価値観のために、くだらない繰り返しの作業をして、これが研究なのだ!っと俺らが言い張っている間に。

学振に落ちたら

2015-10-18 04:33:28 | 自然科学の研究
 なんか研究ネタばっかり続きまくってますが、これもついでに書いておこうと思います。

 学振ってのは、正式に言うと、学術振興会特別研究員のことで、ガクシンって言った場合は、普通、博士課程1年生から3年間月額20万円貰えるDC1と、博士課程2年生もしくは博士課程3年生から2年間月額20万円貰えるDC2のことを言います。学術振興会自体は、別にそれだけの組織ではなく、基盤研究や若手研究などの予算を出していたりするのですが、なぜか学振って言った場合は、DC1とかDC2のことを言うことが多いです。学振にはPDもあるのですが、その場合は、学振PDと言うことが多い気がします。

 っで、たかはしけいは、学振とってたの?
 いいえ。いっさい。これで話を訊く気が無くなった方は、どうぞ戻るボタンを押してください(笑)。博士課程在学中にDC2を2回出しましたが(D1とD2のとき)、一度目は不採用Bで、二度目は面接になって補欠になって落ちました。

 最初のDC2のときは、素直に自分って実力ないんだなぁと思って落ち込みました。二回目は、DC2なのに面接に回されて(かなり少数派です)、それから12月には結果がでるって聞いてたのに補欠で、2月に最終結果が来ると言われ待たされた挙句、2月の最後の週の前半に採用者向けの通知が届き、どういうことなの?っと思って学振に電話で連絡してみると、かなり待たされて一言、手違いですって言われて、結局不採用でした。

 これのせいで、結構、精神的に不調でした。
 っで、この不調を癒してくれたのは、最初のDC2のときは、教職の介護等体験のデイサービスで出会った職員の方とおじいちゃんおばあちゃん達。自分に実力なんて無くても別に良いや、って思わせてくれたのは、DC2落ちて直ぐに伺った介護施設にいる人たちだ。あの時期に介護体験で本当に良かったと思う(文科省の政策に踊らされてる?笑)。そして二回目のDC2のときに癒してくれたのは、STAP事件(笑)。

 で、落ちるといろいろな人が、いろいろ無意味なことを言ってくれるわけですが、研究業界の人たちは、ごめんなさい、正直、誰のどの言葉も、まったく俺に響いていません。助けてくれたのは、他の人たちです。まぁ、悩みを打ち明けたりしてるわけでもないんだけどね。

 二回目のときは待ち続けるだけの現状に、けっこうイライラしていました(ただ、あの時期は他のことでもイライラしていたので、必ずしも学振だけでも無いけど)。それは、採用不採用の決定が引き伸ばされ続けていたからだと思っています。学振を否定することも肯定することもできませんからね。落ちたとき、1週間休業宣言をして休んでいましたが、そのときが一番スッキリして、いろんな意味で楽しんでいたかも。

 落ちて、例えば、「文章の書き方を、誰にでもわかりやすく、書けるようにならなくちゃいけない」とか「業績項目を増やすために、とにかく論文を出さなくちゃ」とか、よく言われていますが、それに対して俺が『でも、そんなことをするために、大学院に来たわけじゃないでしょ?』というと、たいていの良識ある大人な方たちは「お金を貰うんだから、それは仕方ないでしょ?」的なことを言います。
 たぶん、ここで思考を止めるのは少々もったいなくて、ぶっちゃけ博士課程にいる人って、そんなにお金に困っていないでしょ?本気で緊迫している人って、います?そりゃ俺も例外は幾つかは知ってるけど、学振取らなきゃ、って思うのは、大多数はお金の問題じゃない。よく、科研費をとるときの話を引き合いに出す人もいますが、これも的外れで、研究にしか使えないお金と、自分が完全フリーで使えるお金は、まったくの別物である。

 学振取れないと怖いっていうのは、博士課程というある種のモラトリアムだと世間から思われていることに対して、月額20万円を一過性ながらも安定的にゲットできるという、世間体から来るもの、かつ、有能である自分を認めてほしいという気持ち、だと思う。
 よくよく考えてみると、俺はどちらも要らないので、そう思えたときに、やっと吹っ切れた。もちろん、どうとも思っていないと言ったらウソであるけど、こうしてブログに書けるくらいには、どうでもよいのは本当であると思う。

 学振というのは、まぁ、審査は杜撰だと思うし、だいたいDC1に至ってはM2の5月とかに書くわけで、研究室を変えてストレートで行こうと思ったら絶対に無理だし、論文書いてたら有利って言うけど、学部4年生とM1で論文書いてるって、よほどの天才か、よほど要領が良いか、よほど言われたことをやってる奴隷か、そのどれかだろ。で、よほどの天才の割合は5パーセントに満たないと思う。
 学振の悪口なら(おそらく俺じゃなくても)いくらでもでてくるが、一番大きいのは、そもそも1年後の研究計画を書くって、どうよ?

 「で、この○○の話っていうのは、どう関係してくるわけ?」
 『いや、この式は、そういう意味じゃありません。ここがこうなって、こっちの影響がこれくらいでるだろう、という式です(っていうか、俺、そもそも一言も○○って言ってねーぞ、こいつ俺の話聞いてたのか?)』 
 「じゃぁ、それはいい!!では、□□については、知ってるんですか?」
 『(ぜんぜん関係ないじゃん!俺、そんなことについて、全然何も話してないんだけど?)えーっと、□□については、うろ覚えですが、△△ではないでしょうか?』
 「違う!」

 みたいなやり取りが学振の面接で行われた。学振の複合領域の面接官に選ばれる教授は、高校生程度が理解できる数式を理解しようともせず、ただ自分の知識だけで押し通してくる、知識自慢のバカでも選ばれるのか、と思っていると、なんと他の2人の審査員がコメントする時間がこのバカのせいで無くなってしまった。
 無能な人間に審査されながら、自分の研究を最大限よさげにアピールし、老眼の先生にも見えるくらいの文字の大きさと図の大きさで申請書とスライドを作ることが、月20万円に直結している。

 それを、くだらない、と思うのも、お金は大事だ!、と思うのも、俺次第。

 あれから、本当にいろいろなことを考えた。民主主義の問題性、考えることを諦めたバカが大多数である場合に、本当に重要な研究を遂行していくことは難しいだろう。多数派が正しいということにはならないのがフロンティアラインを広げる行為をしている研究の難しいところで、「医療」って言ったり「環境」って言ったりしてればキャッチーになるかもしれないが、実際問題それを突き詰めたときに、どうなってしまうかをまったく考えていない。キャッチーであるということが、わかりやすい、ということになっているのだ。
 俺は、これはいつも言ってることだが、物事を考えることを停止させた人間に自らの研究内容を一生懸命にプレゼンテーションする必要はない、ただし、考えていることを諦めていない人には自分の研究内容を絶対にわかってもらうようにプレゼンテーションしなくてはいけない。しかし、国の研究の最高機関であるはずの学振の、その未来を担うであろう特別研究員の審査員であっても、物事を考えることを停止させた人間は確実に存在している(俺の審査にいた人のことだけを言っているのではなく、それ以外のあの世代について言っている)。

 それに、そもそも、俺らは、何か(論文や申請書)に「書ける」というために、科学者を志しているわけではないだろう!
 「書ける」「書ける」と繰り返し、それが得意技能、ましてや文章作成能力こそが研究者として必要不可欠なスキルだと得意げに語っている姿は、本人たちが思っている以上に滑稽だ。情けなく語るならまだ良いが。

 だがしかし、すべての怒りは、自分の能力に向けられている、と言われるが、あの時の俺も、自分の能力に対して怒りが向けられていたのだと、しばらくして悟る。

 それは、論文を1本でも書いていれば、とか、文章作成能力が、とか、ましてや研究遂行能力が、とかではなく、俺自身が、自分で金を稼いで、それをサイエンスとして運用するという独自の経済的な原則の必要性をいっさい無視して、誰か(この場合、学振や指導教員)にこの部分を丸投げして誤魔化して、自らの経済原則を確立させようと努力していなかった、ということだ。そういえば忘れていたが、俺は、これに気が付いてから、とりあえず、簿記を勉強し始めた。

 今、論文が3本あると、周りからの評価のされ方が全然違うことに、はっきり言ってムカついている。それまでの俺と、今の俺と、テメー程度が見えている実力については、そこまで変わっていない。

 というわけで、学振をとってるから優秀だとも思わないし、学振をとってるから優秀じゃないとも思わないし、学振をとってないから優秀だとも思わないし、学振をとってないから優秀じゃないとも思わない。
 研究業界にいる、ほぼすべての人間が、国の予算の奴隷であり、そこに縛られている以上、誰もが優秀ではなく、まだまだ、ただのバカだと俺は思う。

 いま学振PDと同じかそれ以上くらいの額を貰っていて、間接的に学振のお世話になっているからこそ、吹っ切れられているのかもしれないが、、それ以上に本心として、自分や誰かが、優秀か優秀じゃないかとか、どうでもいい。そんなことよりも、みんなで楽しく、ものづくりを楽しみたいなと思っている。
 そして、また違う風が吹き始めようとしていて、それが好転すれば、周りからの評価もまた上がるだろう。それが好転しようが暗転しようが、もちろん好転すれば今よりも理想に近くなるであろうが、根本的な問題が何か解決されるわけではない。

 『あの、はっきり言いますけど、あなたたちの手違いによって、俺の学術は、今日、いっさい振興されていませんし、むしろ邪魔です』

 と電話口で言い放ったとき、研究において、いや、自然科学において、独自の経済原則を確立させられるまで、多くの学術は正しく振興されないだろうなぁ、と思った気持ちを、俺は忘れてはいけないと思う。

 今、あなたが学振に落ちて、何らかの形で傷ついているなら、気持ちはそれぞれだろうし、何かの気持ちを汲んであげることはできないが、俺はこう言葉をかけたいと思う。
 『とことん思い悩め!考えつくせ!』

 それが未来を創るし、そこに価値があると思うし、俺自身、その部分にとても期待している。

 (あと、今日はかなり身を削ったはずなんで、アクセス数期待してます笑)

(2016.8.10 追記)
 たくさんのアクセス、有り難う御座います。
 以下、お気軽にどうぞ。

研究室関連での悩みについて、私に直接相談したいと思ってくださる場合は、相談内容を明記の上、こちらにメールしてください(_attoma-ku_を@に変えて送信してください)。基本的にどんな相談もお受け致します。匿名で構いませんが、所属や名前を仰ってくださったほうが、相談にはのりやすいです。相談内容は決して口外しませんのでご安心ください。
soudan.atamanonaka.2.718_attoma-ku_gmail.com


相談メールについて詳しく知りたい場合はこちらをご覧ください。相談を受ける上で俺が守るべきルールを書きました。

スカイプでの相談もはじめました!ネットでは絶対に書けない裏事情を含め、スカイプであれば、無料で真摯に迅速かつ最大限論理的に、あなたの相談にのります!!私がこれまで実際に接してきた研究分野(物理学、化学、生物学、情報など)や見聞きしている領域、内情を知っている研究室についても、できる限り詳しく回答します。ご希望してくださる方はお気軽に上のアドレスまで、あなたの本名をお書きの上、メールしてください。私から相談可能時間とスカイプIDを送ります。皆さんの相談をお待ちしております。

研究テーマの見つけ方 -研究テーマを決める上で気を付けるべきこと-

2015-10-14 23:27:29 | 自然科学の研究
 さて、今日は久しぶりに、腹くくって書く感じの記事です(笑)。お前がそれ書くんかい!という皆さんの心のツッコミを極限まで無視して書いていきます。この記事はアクセス数が良ければ、書き足していこうと思います。

 「研究テーマの見つけ方!」

 について、かなり普遍的に成り立つことだけを書いてみようと思います。えーっと、ちなみに僕は理系ですが、今回は文系の方もテーマを決めるときにも成り立ちそうなことを意識しながら書きます(書けてるかどうかは別)。
 卒業研究、卒業論文、修士論文、博士論文等の学位がかかってる研究テーマの設定の仕方についてはもちろんのこと、その先、ポスドクだろうが、助教だろうが、講師だろうが、准教授だろうが、教授だろうが、その後であろうが、どんな立場でどんな分野であっても、研究テーマを決めるときに、これは普遍的だろ!、と思うことだけを、重要度順に書きます。


 1.タイムリミットを意識する

 まず打算的な視点から。

 卒研だったら1年、修士だったら2年、博士だったら3年で、絶対にそれなりの結果を出さなきゃいけません。テーマを決めるときにまず考えるべきことは、「このくらいの時間、研究する時間があるな」ってことです。タイムリミットの設定は、人によるし、分野によるし、立場によるし、プロジェクトによります。でも、学位だったら上に書いたことで確定だし、それを学生に与える場合でもそうですよね?

 つまり、例えば、超すごい研究テーマをする(してる)んだから、ということを大義名分に、あなたは留年します!ということを正当化してはいけません。これは学生側の責任ではなく、完全に教員側の責任です。っていうかむしろ、研究指導をする教員は、教育としては、時間管理だけやってりゃ良いんじゃないかというくらい。あとは各学生が、自分で好きなように能力を身に着けて(そのときに指導教員から能力を盗んでもいいけど)、なんらかの結果を出して、それが学位に値するかを評価すればいいと思います。
 「それはやってもいいけど、卒業が延びるよ?」「そのテーマは時間がかかりすぎるわりに良い結果が期待できないと思うけど、やりたいならやれば?」と現実的な提案をするのが指導教員の役割だと思います。

 この時間内に、最悪でも、これくらいの結果が、これくらい(80パーセントくらい)以上の確率で出るから、タイムリミットには十分に間に合うはず、ということを設定するんだということが、イコール研究テーマを見つけ設定するということなのです。タイムリミットを自らの死にするのだとしてもね。

 かといって、研究は誰もやったことない、上手く行くかわからないことをやるわけですから、この時間で100パーセント絶対にこの結果がでる!、というのだと、研究になっていませんので、ご注意を。それは、研究ではなく作業です。
 まぁ、たとえ上手くいかない割合が20パーセントでも、現実としてタイムリミットまでに結果が出なければ、本人にとっては100パーセントになっちゃうから、この辺りが、研究テーマを決めるうえで、めちゃくちゃ難しいところだと思うんだけどね。

 2.一緒にやる人を決める

 これはあまり説明が不要かもしれませんが、一緒にやる場合は、一緒にやる人を決めましょう。一緒に研究したい人と楽しく研究してね。
 順番が大事ですが、研究する時間を決めた上で、一緒に研究する人を決めましょう。もしくは、一人でやる、ということを確定させましょう。

 これも時間がかなり大事で、極端な話、相手が一生かけてこれをやる、と思っているような人で、こちらが卒研の一年間だったら、上手く行くはずがありません。現実的なことで言うと、例えば、こちらが就職決まっている大学4年生で、共同でやる卒論のペアが、なんらかの理由で留年しようと思っている人だとします。そうだとすると、相手はもう一回卒論してもいいわけですから、あまり上手くいかないんじゃないかなぁということです。
 急いで付け足さなくちゃいけないけど、もちろん、相手が、こちらのことを考慮してくれるような相手だったら良いですけどね。

 これは大事なことですが、タイムリミットに余裕のある相手が、タイムリミットに一切余裕がないこちらに対して、合わせてくれそうか?、ということは、とってもとっても重要です。
 たとえ研究の途中でも、相手が、こちらのタイムリミットよりも、得られる業績の質を選択しようとした時点で、その人との共同研究は強制終了させるべきでしょう。特に学生の場合、1年無駄になるということは最低でも1年間の授業料分は無駄になるわけです。そんな、こちらのことを一切考えていない相手と研究をしていても良いことはありません。新しいことを今からでも始めたほうが満足する可能性が高いです。その相手が指導教員でないことを願うばかりです(笑)。

 3.その環境での最終出力方法から考える

 主に、理系の実験系の研究室だったら、自分が使える実験装置にあたるものを意識しましょう。そこからしかデータは出ません。どんなデータが得られうるのかを、まず考えましょう
 理論研や文系の研究室でも、ある程度、同じだと思います。ソフトウェアや言語、どういう(統計的な)解析or(論理的な)考察をするのか、どういう分野の文献を参考にしようするのか、、テーマのストーリーを決めるのは、そこからだと思います。理論研の場合は、計算時間を意識するという部分もあるかもしれません(って、それは1か笑)。

 現実的に、何を測るのか?、何を掃き出すのか?、ということを決定しないといけません。こういうときに、まだ、目的とか、こういう価値観が、こういう先行研究が、等ということはあまり意識しなくていいと思います。まず、論文として、もしくは発表として、「結果」にあたる部分として、成り立つかどうか?ということが、大事です。

 4.明日、何をどう進捗するかを決める

 ある研究において、常に、次何をするべきか?、がわかる状態である人は、修士号に値します。
 こんなもの測定しよう!、この式とこの式を自己無撞着に解いたらどうなるかな?、これについてアンケートとろう等、とにかく、小さなことでも、これをとことん調べるぞ!、と思ったら、とにかく明日やることを探しましょう。それを毎日積み重ねられたら、いつの間にか研究は終わっています。

 明日何をするか?ということがわかっていないのに、申請書だけは立派に書いても仕方ありません(そんな申請書は通らないと思いますが、、だいたいの審査はテキトーだから通っちゃうこともあるんだろうなぁ)。
 科研費を申請する場合は、あとはカネさえあれば、一気にがっつりと進捗しますよ?、というところを見せないといけないと思います。よーするに、ここでも時間ということはあるのですが、通ったらこれをやるからー、という姿勢ではなく、今のこの時点で、ここまでもうやっちゃってます!というところを、見せたほうが良いと思います(これは研究に限らず、投資してもらう時の基本)。

 明日、あの人と話そう!、でも構いません。とにかく今できることを考えろ!、ってやつです。

 5.そのテーマの最終目標を設定する

 明日やることが常に決まっている状態で、最終目標を模索しましょう。この最終目標は大きければ大きいほど良いです。別にタイムリミットまでに達成される必要はありませんが、とにかく、このテーマはこれを目指しているんだ!ということを考えなくちゃいけません。
 なぜなら、それこそが、あなたのオリジナリティーであり、ここがあるからこそ、研究の方向性があなた色に染まっていくからです。

 だって、どーせ、指導教員や上の人やボスの下でやってるんでしょ?私はそのボスだ!という人も、そのさらに先の目標を考えないといけませんよね??
 例えば、教育社会学でスクールカーストについてテーマを遂行していたとする。スクールカーストの実態とメカニズムを調べることで、何を明らかにしたいのか?、を考える。例えば「人間は平等なのか、不平等なのか」を明らかにしたいと思ったとしよう。だとしたら、さらにそれを生命体のシステムとして考えたいのか、それとも人間の性質としてそうなのかを考えたいのか、それともそれを利用して「いじめをなくす」、さらには「世界中から紛争をなくす」ということが最終目標なのか、それはあなたの個性次第で、いかようにも方向性を定めることができる。

 そういった考察をきちんとし尽くせば、俺は、現在どんなクソみたいな研究テーマであっても、すべての研究テーマには価値があると思います。もしくは、やる人が変われば。

 6.無限に金持ちだったら、自分は何を研究するかを考える

 さて、ここからは、完全に打算ではない部分です。まぁ、テーマ見つけなくちゃ!と思って、ここまで来るのに、めちゃくちゃ早くて5日間はかかると思いますが。
 テーマが決まった!と思ったら、これを考えてください。「無限に金持ちで、今までやってきたことも所属も一切関係ないのだとしたら、自分は何を研究するだろうか?」

 それは、人によっては、今さっき決めた研究テーマかもしれませんし、全然違う分野かもしれませんし、「俺はAKBを研究したい!」と思うオタクさんもいらっしゃるかもしれません(笑)。それは全然いいのですが、大事なのは、今さっき決めたテーマと本当にやりたいこととが、どれくらい乖離しているか?、ということを認識することです。
 これをするかしないかで、方向性がまた変わってきますし、さらに次テーマを決めるときにも、参考になります。

 現実的なことは結構なことで、それはそれで大事ですが、大切な時間を使って研究するわけですから、本当に研究したいことという価値観を大切にしてください。
 研究者は、とにかく俺はこれやりたいんだから、そのために必要な分だけ、カネくれ!という態度で良いと思います。この分野ではこれが必要だから、とか、JSTにこういう領域があるから、とか、そういうことは一切考えずに、とにかく、自分がやりたいのはこれ!、と思うことも必要です。それが実現されなくてもね。

 こう思って、決まりかけたテーマがグラついたら、また初めから考えましょう。決めたから!っと突っ走って、1~数年を無駄にするよりはマシです。

 7.人生であと何回テーマを決めるかを考える

 研究テーマ決めるのって、多い人でも人生で100回以下なんじゃないかなぁと思います。
 研究テーマを決めた瞬間に、どの(レベルの)ジャーナルに載るのか?、ノーベル賞がとれるか?、などは、ほとんど決まっていると言っても、過言ではないと思います。
 もちろん、方向性とかあるので、それだけじゃないですが、それくらい大切なことです。

 あまりにもくだらないことをしなくてはいけない状況の場合、エフォートは最低限でいいと思います。
 よーするに、最後は、エフォートを決めるということでもあるんですが、、他のテーマもいつからでも設定できるし、研究以外にも面白いことはたくさんあります。特に4年生や修士で卒業する人は、旅行に行ったり、友達としゃべることだって、人生において価値あることです。ただし、研究ってことは最後かもしれないから、だからこそ、もう一回テーマの設定そのものを考え直す、っていうことも良いと思います。

 どんな立場であれ、人生でそんなに多い機会じゃない、研究テーマを見つける、という時間帯を尊く思いながら、大切に決めて、楽しく研究してほしいと思います。


 ということで、順番に7つ挙げてみました。
 うーん、やっぱり、テーマ見つけるのって、改めて、大変ね。それは、卒研だから、とか、予算とらなくちゃいけないから、とか、そういうことじゃなくて、本質的に、難しいことだと思います。

 でも、研究って、たぶん、現代で、裕福な人が一番したい行為です。だから、それを幸せに思えたら、勝ちゲーかもね。