桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

雛祭りパーティー

2012-03-03 | Weblog

今日は、青山での雛祭りパーティーに招かれた。
昨年、大学の講義に呼んで貰い、話をさせてくれた西尾さんの自宅兼事務所でのパーティーだったが、参加者が120名!それだけの人の集う青山のマンションも凄いが、参加者が、実に幅広い人の集まりで面白かった。
今日のゲストは、まず内モンゴル出身で馬頭琴奏者。ピアニスト。ホーミーと呼ばれる草原の歌も素晴らしい馬頭琴には感動したが、酒が入っては聴かない人もいて残念だった。
俺も冤罪の話をするために招かれたが、酔った人たちでどうかと案じたけど、会場にいる皆さんは、本当に静かに聞いてくれた。やはり冤罪は国民の関心の的なのだと感じた。
俺も2曲、唄った。
話を聞いて「我が社でも話して!」と言う方がいて、また繋がりの広がったパーティーだった。

事務局会議

2012-03-03 | Weblog
昨夜は、残り少なくなった守る会の会議だった。
もう解散に向けてのアレコレしかないので、会議の中身は限られる。そして、会議に参加される人も少なくて、昨夜は6人。
話の中に国賠支援組織についてもあったが、とりあえずは支援組織を立ち上げるとだけして、その後に集まった人たちで作ることになった。
これまでに証拠の捏造など、解明された事実の多い布川事件だから、それらに反論する国側の主張も限定されると思うので、俺は長い闘いにはならないと思っている。
どんな闘いになるか判らないが、今まで以上に明るく楽しい闘いにしたいと思う。
守る会事務局会議も、後2回だ。

経験則

2012-03-03 | Weblog
また裁判員裁判で出された無罪判決が高裁で逆転有罪にされた。
大阪高裁の松本芳希裁判長は「経験則に照らし明らかに不合理で、事実誤認がある」として有罪にしたが、この「経験則」が問題で、裁判官職の認識は、疑わしきは有罪とする経験則なのだ。
国民の豊かな社会経験に反して、残念ながら裁判官たちの社会経験は、余りにも狭くて乏しい。その社会経験の未熟さが、物事を判断する上に偏りを生み出し、検察の作り出す策略に騙されてしまうのだ。
人間には表も裏もある。叩けば埃の出る人もいるし、事件が起きて人を疑い、怪し気な部分を並べ立てれば、それらしく思えることもあろう。でも、人を裁くための証拠判断は、そのような怪し気に惑わされてはならないのだ。
しばしば判決で見られる「経験則」なる言葉は、俺には裁判官の無知を示す言葉としか思えない。
裁判官たちは頭は良いかも知れないが、単に頭が良いだけのことで、他の部分では人間として「バカ」と言えるかも知れない。もちろん、そうでない裁判官も沢山いるのだが、そのような裁判官は、残念ながら出世出来ないのが日本の裁判官社会だ。
これが俺の裁判官を見る経験則だ。