桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

マサト

2011-01-30 | Weblog
初めてマサトに会ったのは、もう8年ほど前になる。偕楽園の梅祭り宣伝行動のおり、両親に連れられてマサトは、俺に会いに来た。まだ4才にならなかったマサトは、露店で買ってあげた大飴玉も舐められないほどに小さかった。
何でも、その飴玉を家族が舐めてしまったところ、マサトは「ショウジに買って貰ったんだ!」と泣いたらしい。
そのマサトも、今年は中学生になる。買った制服を試着したからと写メールが届いた。
少し恥ずかし気に、そして、少し誇らし気に写るマサトは素直な性格が表れ、少年らしい生き生きとした顔をしている。マサトの思いを受けて過ごした月日を思うと、彼がどんな月日を重ねて成長するのかが、とても楽しみになる写メールだった。
マサト、頑張れ!人生は楽しいぜ!

中田直人先生

2011-01-30 | Weblog

中田先生は布川弁護団の一員だった。
先生は東京で弁護士をされていて松川事件や狭山事件などの弁護をされた後、茨城大学教授になられたのを機会に居を水戸に移され、茨城大学を定年退官後は、そのまま水戸に住まわれて関東学院大学教授をされた。その茨城県に住まわれたのを機に国民救援会会長をされて布川事件にも力を貸して下さっていた。
昨日、その先生の論文著述を書籍にした出版パーティーと亡くなられて3年になる偲ぶ会が開かれた。
綺羅星のごとくに参加された学者、弁護士さんたちは、今の司法界にある問題と戦われて来た方ばかりで、その先生方のお話を伺って、改めて中田直人先生の偉大さを教えて頂いた。
その先生に愛され、ただ独り「ショウジ」とファーストネームで呼ばれた俺の幸せも感じた集いだった。