桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

集会

2011-01-23 | Weblog
俺は、質問も入れて1時間程度として話したが、言いたいことが溢れて来て、今日は早口になってしまった。
まあ何時もながらの俺の話は出来たと思うが、聞いて下さった皆さんは、どう思って下さったやら。
集会後、駅前のホテル食堂の一部を借り切っての懇親会。野菜サラダや酢豚、それにカレーは美味かった。次に来るときは、開始!の喜びで来たいねぇ。

袴田事件集会

2011-01-23 | Weblog

袴田事件は、もう45年になる冤罪だ。かなり冤罪の周知はあって、今日の集会には、地元選出の国会議員も来て、千葉法務大臣との話などをしていた。
弁護士さんの話は、先に開示された証拠の話が中心だったが、味噌漬けにされていた衣類は、やはり疑念があることが話された。今までとは違った角度からの疑念だから、この証拠開示は、新展開を生むことになるのではないかと、聞いていて嬉しくなった。
袴田さんのお姉さん、秀子さんの話は、何時も激しく心に刺さり、それでも明るく語られるのを聞くたび、何としても勝たせたい、勝って欲しいの思いだった。

清水市

2011-01-23 | Weblog

清水港に次郎長、全国に知られた地名だろうが、今は、何をもって名を馳せているのか。
この清水市で起きたのが袴田事件だ。味噌製造会社の専務一家が殺害され、自宅が放火された事件だ。
味噌製造会社に勤めていた袴田巌さんが、その経歴ゆえに「アイツならば体力的に可能」と目を付けられて犯人にでっち上げられた。本来ならば清水事件となるのだろうが、袴田巌さをが犯人に作られたのだから袴田事件だ。
会場に着いたが、誰も来ていなくて港を見下ろすロビーに来た。前に港、左手には富士山が見える。

清水市

2011-01-23 | Weblog
今日は袴田事件の集会に招かれた。
袴田事件は死刑事件。毎日、死を現実のモノとして見させられる死刑囚の苦悩は、俺の無期懲役体験では計り知れない。袴田巌さんは精神に異常を来している部分があるが、それは死刑囚ゆえ、一日も早く解放してあげたいと思わずにいられない。
他の冤罪と同じく袴田事件にも証拠のでっち上げがある。逃走ロとされた鍵の掛かった板戸が、施錠されたままでも身体が抜けられるように映った写真は、肝心な鍵の部分を映さないでっち上げだった。一番は味噌タンクから発見されたと言う袴田さんの衣類だ。一年も味噌に漬けたのに味噌に染まっていないし、血液だとされる部分は赤い。普通、血液は時間が過ぎると黒くなるのだから、これも捏造だ。
裁判で有罪にされた証拠は、総てが無実を示す証拠なのに、それを見抜けない裁判官によって犯人にされているのだ。
布川事件の使命は検察の証拠隠しを許さないようにすること。そして、次に再審になるだろう福井女子中殺し事件や袴田事件は、裁判官の責任を追及する使命となるだろう。
今日は、その思いを話すつもりでいる。