職人たちの徒然草

新潟県・燕市在住の職人ヤスさんと、東京都・杉並区在住の職人ナガさんの交換?日記です。

学び舎

2011年08月11日 | ヤスさん日記
歴史の効用。
まだまだっ
って思わせてくれる
それが
歴史なのかもしれません。
適塾
緒方洪庵
塾生達
当然なのですが
みんな今も生きている
のですよね。
ほんとうに生きるって
こんなことだろうと
思う今日この頃です。

幕末
福沢諭吉や
橋本左内や
若者達が
本気で学んでいた
のですよね。
スポンジが水を吸う様に
そして
寝る間を惜しんで
本気で学んでいた
はずなのです。

翻ってみると
まだまだっ
できることはあるのです。
できることがあるのに
していない。
その時間の作り方を
考えます。

当時よりも
便利になっている昨今
ただし
便利になっているから
学び舎
という存在が
ぞんざいに扱われている
のかもしれません。

学び舎
の中に入れば
舎風に導かれ
身体から覚えること
もあるはずです。

それぞれの
学び舎の風を頼りに
時代の旋回も
するのではないでしょうか。

松下村塾
適塾
他にも様々に。

個人での学びもいいですが
学び舎というものを
考える今日この頃です。
ながさん
未来に向かっての飛躍
しましょうね。
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覚悟と優しさの相対

2011年08月10日 | ヤスさん日記
何を選んでもですね
後悔しない選択をしたいな
と思うのです。
どんなことになろうとも
道は必ず開ける
開くことができると思うのです。
そして
その覚悟はいつも試される。
そんなコトを
朝焼けは教えてくれます。
今日も新潟は美しい幕開けですよ。

左の手と右の手を合わせる
すると
両方ともあったかい
というのは
科学的に解明できるのでしょうか。
いつでも
誰でも
何度でも
同じ様に。
それが科学的なら
この世の中には
解明できないものが
たくさんあるのでしょうね。

人のこころも
他の誰にも判断されることがなく
自分で決めたことを
自分で感じるだけ
なのかもしれません。
こころの奥のほうの奥のほうの
深淵から聞こえる声を
共有できる
ってコトは
少ないことでしょうし。

優しさを研究している人
がいるとしたら
どんなことが解明されるでしょう。
もしかしたら
文学にその鍵があるかもしれない
とも思ったり。
優しさで喜んだり
優しさで悲しんだり
優しさで傷ついたり
優しさで希望をみつけたり
優しさという作用が及ぼす事例は
関わった人たちのそれぞれの人生を
ずっとずっと辿らなければ
そして
その優しさに出会った一点を
考察しなければ
わかり得ないものでもある
でしょう。

一晩
覚悟と優しさの相対を
考えてみました。
比例するのか
反比例するのか。
答えは出ませんでしたが
自分の中に大きな種が
宿ったことははっきりとしました。

さて
真ん中の水曜日。
素敵な折り返しになりますように。
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鬼も一緒に笑える様な

2011年08月09日 | ヤスさん日記
 立秋を過ぎ
今日は長崎の日。
お昼前の一瞬
だったとか。
冥福をお祈りし
今日を始めます。

ぽんっ

一息ついて観て
整理整頓をしてみて
問い直したゆく道を
整備してみます。
そのためには
今まで来し道を
振り返り
足りない場所を
埋めてみたりも
してみたり。

お盆という
先祖が帰ってくる日々を前に
考えます。

心地ないこと

一変には変わらないコト
よくあります。
自分の中での大きな変化が
実際の現状と擦り合うまでの時間を
どう過ごすのか。

時には待ち
時には力強く
時には大きく迂回しながら

でも
その時が来るイメージは
ぶらさずに
しっかりと持ち続けたいと
思うのです。

イメージも変化してゆくでしょう。
けれど
それで良いのだと思います。
変化しながらも
考え進んでゆけば
いいじゃないか
と思う今日この頃です。

さて
ながさん
秋が深まりを見せてきたら
あと片手の月を過ごして
2012年ですよ。
鬼も一緒に笑える様な年の準備も
始めたいと思います。
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本質

2011年08月08日 | ヤスさん日記
本質
ということを考えます。
商品として
並べられている
様々なモノは
みただけで周知の意味が
込められているはずです。
同じように
ものづくりも
ただそこに居るだけで
沢山の人に触れる
ということ
なのでしょうね。
暑い日が続きますが
ながさん
いかがお過ごしですか?

金属でも
そうなのです。
生命が通っているか

いうこと。

その作品を通して
商品を通して
実感としての使い易さや
機能を越えた所での
生命が感じられるのか
ということ。

確かに
機械力を使えば
時間も削減できるし
その恩恵は
お客様にもあると思うのです。

ただし
お客様が器にナニを求めているか

費用を越えた所の
価値があるのだと思うのです。

どんな方法でも
間違いはないはずです。
けだし
見た目が同じでも
本来の器の持つ価値が
全く違う方向を向いている
という事を
銘記しておきます。

いれるだけの器
なら五万とあるのでしょうけど
そこではない機能を
追求したいな
と思う職人なのでした。

さて
もう一仕事
するとしますか。
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知識

2011年08月07日 | ヤスさん日記
流れを読む
ということが
とても大切だっと思うのです。
もしくは
流れを感じる
と言い換えても良いのですが。
自分の生きる所
「所」とは
仕事でも
地域でも
家族でも
その「所」の流れの中で
先々を見渡せる
ということなのだと
思うわけです。

例えば
地域にも史料館や資料館はあるでしょう。
その史料や資料の中から
歴史を読み取り

自分が立っている場所
との整合性を見て
自分が進む道を固めてゆく
ことだと思うのです。

その際
読み替えて
流れを感じる
という時は
史料も資料も要らず
根源的な人間の感性を用いても
できることなのかもしれない
と思うわけで。

どちらが正しいのか
ってのは
どちらも間違っていない
ってことで。

知識の上に立つ経験
の中から学べることと
知識を省いた感性
の中から学べることと。
大切な一点は
どちらも動き
経験値を上げることで
磨きがかかる
ということだな
と思う職人なのでした。

金沢の街を歩いても
それが血となり肉となり
表現に変わってゆくのでしょうね。
ながさん
こちらは街の木使いを
感じますよ。
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今ここに生きる

2011年08月06日 | ヤスさん日記
8月6日という日

今年は特に深い祈りと共に
迎えます。
できることはあったはず
というも思いを
できることをやろう
という堅い意思に変えられる
そんなひとつの日付
だと思うのです。
311以来
変わらないモノが
変化を見せる様に
今日から15日までは
特に特に
深く深く
三省し活かすコトをしてみます。

挑戦する
ということを
人間国宝の話の中から
またひとつ確認させてもらいました。
普段着の話は
人生に於ける決意と
踏襲と改革が
いかにタイミングを持っているか
を教えてくれました。

最近ですね。
自分の作りたいモノと
時代が求めるものとが
シンクロし始めていると
感じるのです。

器の本来持つ
意味や役割

今までと
今からの時代を
大きく分かつ
はずなのです。

それには
過去からの流れを
学び直すことも
大切です。

何故
戦国武将が茶器を集めたのか
何故
お医者さんが銅の洗面器を使っていたのか
何故
縄文土器の文様はあのようだっったのか
鎚起銅器の変遷は。

ひとつひとつを
詳細に自分の血とし肉として
そして
今に寄り添おうと思うのです。

そのための基盤を
早く作らねば
と思う今日この頃です。

ながさん
いかがお過ごしですか。
話すことによって
自分も確認できると思うのです。
その時を
楽しみにしていますね。
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大佐渡にて

2011年08月05日 | ヤスさん日記
沢山の人が行き交う場所。
そんな場所を作りたくて
yasutacafeはあるわけですが
それは
交響曲とも同じ様に
互いが響き合う
バランスが大切
なのかもしれません。
私がどんな気持ちで
そこにいるか。
お客様がどんな気持ちで
そこに来てくれるか。
少し離れた場所から
そんなことを
考えてみたいと思います。

今からの小旅行。
韓国からのお客様を迎えての
十数年ぶりの大佐渡で
私は何を感じるのか。
そんなことを想像しながら
フェリーに乗り込みます。

大自然の中
本州から少し離れて
ちょっと普段とは違った環境で。
地元では見えない自分との対峙は
新しい私を
見せてくれるはずです。

日々というのは
誰にでもあるもので
でも
そこに引きずられずに
生きられるとも思うのです。

新しい生き方を模索する中で
時間と環境のバランスを
この小旅行で
取り戻してみます。

バランス
ってやつは
中心がしっかりしてないと
取れないもの
ですものね。

世界的に見ても美しい場所
と言われる大佐渡で
こころのセンタクを
してみようと思います。
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誰にも知られることのない静かな決意

2011年08月04日 | ヤスさん日記
長岡大花火。
戦時の大空襲からの復興を願い
始まったこの花火も
今では
中越大震災からの復興へと
意味を重ねているようです。
フェニックス
その姿を見る度に
再びの心を奮い立たせられます。

いつかは朽ちてゆく
この身体も
動けるうちに
この世の中の一点として
色をつけられれば
と思うのです。

誰にも知られることのない
静かな決意を
少しずつ
口にしてみて
分かり合える仲間を
募りつつ。

ほんとの
本当のところで
分かり合えるってところが
本物ですものね。

儚く消えてゆく花火ですが
その儚さゆえに
何万人という人達と
共有する意味が
あるのかもしれません。

誰にも知られることのない
静かな決意
この空に散らばれ
と思いつつ。

さて
花火シーズンの新潟。
今週末は地元の花火です
今年のこの花火は
いっそう美しいだろうな
と思う職人なのでした。
ながさん
東京の花火も
楽しんでくださいね。
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未知の世界

2011年08月03日 | ヤスさん日記
気持ちいこと
したいですよね。
こころからでる
行動としての気持ちよさ。
誰からも
強制されるわけでもなく
もしかしたら
自分の思考を超えたところで
身体が反応している
のかもしれません。

本当の気持ちよさを知ったら
今までのコトが
嘘だったように
毎日が楽しくなると
思うのですよ。

未知の世界の
本当を知れば
それは
誰にも到達出来ない
時間になるわけで。

ものづくりも
その
本当の気持ちよさを
知ってこその
本物
なのかもしれませんね。

五感を使いながら
六感を高める
五感が先のようで
本当は
六感が先に求めている
のかもしれません。

そんなコトを思う今日この頃。
公園のベンチに座ると
緑の間から
蝉の命の声が沢山聞こえます。
声を上げることによって
生きているを証明している
ようですね。
短い夏をしっかりと生きている
のですね。
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平等

2011年08月02日 | ヤスさん日記
平等
ってことを
考えざるをえません。
平等ってどこにあるのだろう
平等ってこと自体あるのだろうか。

被災地では
目の前に困った人がいたら
助けたい。
ただその一念で
コトを進めたい。
そして
進めてきましたが。

大きな組織
として動く時の
歩幅と
個人で動く時の
歩幅の違いに
苛まれてしまうのは
まだまだ
修行が足りないってこと
でしょうね。

ただただ
動き出したい。
けれども
大きな組織の中で
平等っという
筋を立てなければならない。

怠惰や
遅延や。
目の前で起こっているコトと
あまりにもかけ離れている
対応に
私は今後のコトを想います。

情って
平等からは
程遠いもの
なのでしょうか。
大岡越前での
三方一両損の精神は
何をしての平等かを
教えてくれていると思うのです。

ご縁があったからには
目の前のコトを
一生懸命にしたいな
と思う今日この頃です。
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