昨日の第29回東京湾カップ。
すっとハナに立ったのはヴィグシュテラウス。ナイキアフォードが追いましたが,鞭を入れられたドライヴシャフトが内から交わし2番手を確保。ナイキアフォードが3番手。この後ろはやや離れてクラヴィクトリーとハタノヴォラーレ。さらにアロマベールとマイカラー。そしてミッドストラーダとハニームーンとレイモンドヒッチが続きました。超ハイペース。
3コーナーを回るとヴィグシュテラウスとドライヴシャフトは雁行になり,離され出したナイキアフォードの内から,向正面でクラヴィクトリーとハタノヴォラーレの間から進出を開始していたマイカラーが交わして3番手。直線に入るとわりと馬場の外の方に出したドライヴシャフトがヴィグシュテラウスを交わして先頭に立ち,そのまま抜け出して優勝。マイカラーを追うような進路から最後は外に出したミッドストラーダが4分の3馬身差まで迫って2着。マイカラーが1馬身差の3着。
優勝したドライヴシャフトは南関東重賞初勝利。2歳時に北海道で3戦して南関東に転入した馬。当時の戦歴から考えると転入後ももっとやれていいと思われましたが,意外と苦戦していました。今日はトップクラスが不在でしたので,そういう相手関係では上位であったということでしょう。東京ダービーに向うなら,入着候補の域は出ないような気がします。祖母の従兄に1985年の日本ダービー馬のシリウスシンボリ。
騎乗した大井の的場文男騎手は昨年のクラウンカップ以来の南関東重賞制覇。東京湾カップは初勝利。管理している大井の荒山勝徳調教師も東京湾カップ初勝利。
12月27日,土曜日。この日から妹が冬休みに入りました。僕はゴールデンウィークとかお盆,年末年始といった期間はむしろ繁忙期になるのですが,この日は在宅していました。
1月3日,土曜日。母と妹が叔父の運転で大和の祖父と祖母の墓参りに行きました。時間に余裕があったようで,父が眠る日野の墓地にも行ってきたとのことです。僕は川崎へ。帰ったのは午後4時半頃でしたが,このときには母と妹はすべてを終えて帰っていました。
1月5日,月曜日。妹の仕事始め。月曜ですから迎えがありました。僕はこの日は休みでした。
1月10日,土曜日。妹のピアノのレッスン。午後5時半から。
1月11日,日曜日。母と妹は美容院へ。予約が午前11時。いつもは午後1時の予約なのですが,この日はその時間に空きがなかったためです。終れば正午を回ることになりますから,昼食も外で済ませ,午後1時25分頃に帰ってきました。
この日の夜、母が発熱しました。37.5℃あったとのこと。僕は平熱が高く,このくらいの体温であればほぼ平常時と同じような活動が可能ですが,母と妹は逆に平熱が低く,この程度でもそれなりの高熱になります。
1月12日,月曜日。午前8時頃に起きてみると,母はすでに起きていました。熱は下がったようです。ただ,喉の痛みはあり,咳も出ていました。おそらく風邪であろうと思われました。祝日のこの日は僕は休み。中央競馬の開催がありましたからWINS横浜まで馬券を買いに行き,帰りに薬局に寄って風邪薬を買って帰りました。
1月13日,火曜日。妹はこの日から磯子区内の施設に2泊3日でショートステイへ。母の咳は前日よりひどくなっていました。ただ,妹の荷物の関係で事前に迎えを依頼してあり,作業所まで送っていく必要がなかったのは幸いでした。
僕はこの日は伊勢佐木町。帰ったのが午後4時20分頃。母はリビングの掘炬燵に足を伸ばして横になっていました。もっともこれはいつもこの場所でテレビを視るときの母の体勢のひとつですから僕も驚きはしません。ただ,顔を覗き込んだら体調が優れないことは一目瞭然でした。
すっとハナに立ったのはヴィグシュテラウス。ナイキアフォードが追いましたが,鞭を入れられたドライヴシャフトが内から交わし2番手を確保。ナイキアフォードが3番手。この後ろはやや離れてクラヴィクトリーとハタノヴォラーレ。さらにアロマベールとマイカラー。そしてミッドストラーダとハニームーンとレイモンドヒッチが続きました。超ハイペース。
3コーナーを回るとヴィグシュテラウスとドライヴシャフトは雁行になり,離され出したナイキアフォードの内から,向正面でクラヴィクトリーとハタノヴォラーレの間から進出を開始していたマイカラーが交わして3番手。直線に入るとわりと馬場の外の方に出したドライヴシャフトがヴィグシュテラウスを交わして先頭に立ち,そのまま抜け出して優勝。マイカラーを追うような進路から最後は外に出したミッドストラーダが4分の3馬身差まで迫って2着。マイカラーが1馬身差の3着。
優勝したドライヴシャフトは南関東重賞初勝利。2歳時に北海道で3戦して南関東に転入した馬。当時の戦歴から考えると転入後ももっとやれていいと思われましたが,意外と苦戦していました。今日はトップクラスが不在でしたので,そういう相手関係では上位であったということでしょう。東京ダービーに向うなら,入着候補の域は出ないような気がします。祖母の従兄に1985年の日本ダービー馬のシリウスシンボリ。
騎乗した大井の的場文男騎手は昨年のクラウンカップ以来の南関東重賞制覇。東京湾カップは初勝利。管理している大井の荒山勝徳調教師も東京湾カップ初勝利。
12月27日,土曜日。この日から妹が冬休みに入りました。僕はゴールデンウィークとかお盆,年末年始といった期間はむしろ繁忙期になるのですが,この日は在宅していました。
1月3日,土曜日。母と妹が叔父の運転で大和の祖父と祖母の墓参りに行きました。時間に余裕があったようで,父が眠る日野の墓地にも行ってきたとのことです。僕は川崎へ。帰ったのは午後4時半頃でしたが,このときには母と妹はすべてを終えて帰っていました。
1月5日,月曜日。妹の仕事始め。月曜ですから迎えがありました。僕はこの日は休みでした。
1月10日,土曜日。妹のピアノのレッスン。午後5時半から。
1月11日,日曜日。母と妹は美容院へ。予約が午前11時。いつもは午後1時の予約なのですが,この日はその時間に空きがなかったためです。終れば正午を回ることになりますから,昼食も外で済ませ,午後1時25分頃に帰ってきました。
この日の夜、母が発熱しました。37.5℃あったとのこと。僕は平熱が高く,このくらいの体温であればほぼ平常時と同じような活動が可能ですが,母と妹は逆に平熱が低く,この程度でもそれなりの高熱になります。
1月12日,月曜日。午前8時頃に起きてみると,母はすでに起きていました。熱は下がったようです。ただ,喉の痛みはあり,咳も出ていました。おそらく風邪であろうと思われました。祝日のこの日は僕は休み。中央競馬の開催がありましたからWINS横浜まで馬券を買いに行き,帰りに薬局に寄って風邪薬を買って帰りました。
1月13日,火曜日。妹はこの日から磯子区内の施設に2泊3日でショートステイへ。母の咳は前日よりひどくなっていました。ただ,妹の荷物の関係で事前に迎えを依頼してあり,作業所まで送っていく必要がなかったのは幸いでした。
僕はこの日は伊勢佐木町。帰ったのが午後4時20分頃。母はリビングの掘炬燵に足を伸ばして横になっていました。もっともこれはいつもこの場所でテレビを視るときの母の体勢のひとつですから僕も驚きはしません。ただ,顔を覗き込んだら体調が優れないことは一目瞭然でした。