スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

スピノザ『神学政治論』を読む&感情の比較

2015-05-25 19:49:21 | 哲学
 上野修自身がいっていることですが,『「無神論者」は宗教を肯定できるか』は,すでに入手することが困難になっているそうです。もしも読みたいと思っているのに入手することができないという場合には,ちくま学術文庫の『スピノザ『神学政治論』を読む』をお読みになってください。昨年の6月に発行されたもので,文庫本ですから,少なくとも当面は入手可能な状況が続くものと思います。
                         
 三部構成になっていて,第一部で『「無神論者」は宗教を肯定できるか』がそっくりそのまま収録されています。第二部は『神学・政治論』に関する論文集で,5本の論文が収録されています。このうち最初の1本は,『デカルト、ホッブズ、スピノザ』にも収録されているものです。第三部は現代の政治学とスピノザの政治学に関連する論文2本です。最初のものがアルチュセールLouis Pierre Althusser,後のものはネグリAntonio Negriの政治論を巡って展開されています。
 これでみれば分かるように,この本が出た以上,『「無神論者」は宗教を肯定できるか』を入手する必要はありません。むしろそれがまるまる収録されていて,なおかつほかに7本もの論文を併せて読むことができるのですから,こちらがあれば十分ということになるからです。
 これも上野自身がいっていることですが,『神学・政治論』にのみ的を絞った概説書というのは,そう多くありません。これはスピノザの宗教論と政治論が,哲学を基礎として構築されているために,哲学に関する素養がないと,それらを十全に解することが難しいからではあります。しかし,哲学を除去してしまっても,スピノザの神学や政治学というのは,現代でも意味を有するものではあります。したがって哲学とは別に,純粋に神学ないしは政治学のスピノザに主張を知りたいというような場合には,最良のテキストとなり得る本だと思います。

 母は妹を送ってそのまま帰宅せずに友人に会いに行ったのですが,この日に母が送ったのは作業所ではなく施設でした。妹が通っていた養護学校でゴスペルコンサートがあり,施設の利用者は揃ってそれを見に行くことになっていたからです。作業所や施設があるのがこのブログでいうところの本牧で,養護学校は本牧町,正しくいえば本牧町よりさらに先にあることになります。もちろん先というのは,僕の家,あるいは根岸駅からみた場合です。僕はこの日は本牧で,帰ったのは午後4時45分頃でした。
 4月25日,土曜日。ピアノのレッスン。午後5時から。
 4月26日,日曜日。ガイドヘルパーの利用。4月は2回の利用だったことになります。後にヘルパーから聞いたところによれば,妹の希望もあったそうです。つまり妹がカラオケにも行きたいし,ボーリングにも行きたいという主旨のことを伝えたということで,ヘルパーがこの月はふたつとも予定を組んでくれたのだそうです。妹がカラオケにも行きたいしボーリングにも行きたいと思うのは少しも不思議ではありませんが,あまり自分から意志を伝達するようなことはありませんので,確たることはいえませんが,どちらに行きたいのかを尋ねられて,どちらにも行きたいと答えたというのが最もありそうなことだと僕には思えます。というのは,妹はいくつかの選択肢があって,その選択肢がすべて自身にとって好ましいことである限り,はっきりと選択するということはほとんどないからです。たとえばAもBも妹が好きである場合に,AとBのどちらが好きであるかと質問すれば,返答は必ずといっていいほどAもBもどちらも好きというものになります。
 第三部定理五六というのが,対象の数に応じて感情affectusの数もあるということ,すなわちAに対する愛amorとBに対する愛は別の感情であるということを示しているのですが,僕がこの定理Propositioの実証的な意味での正しさというのを感じるのは,僕自身の感情について反省的に考えてみる場合よりも,妹にこの種の答え方をされる場合です。カラオケとボーリングは異なったもので,妹にはそれを比較するということができないのでしょう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 優駿牝馬&母と友人 | トップ | 宇都宮ワンダーランドカップ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

哲学」カテゴリの最新記事