スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サンケイスポーツ盃船橋記念&二通りのあり方

2023-01-19 19:03:27 | 地方競馬
 昨晩の第67回船橋記念。仲野騎手が2レースで落馬し,右肘を割創し,右足の関節も打撲したため,キャッスルトップは矢野騎手に変更。
 逃げようという構えをみせたのはコウギョウブライト,コパノフィーリング,ブンロート,カプリフレイバーの4頭。コパノフィーリングとブンロートが並んで逃げるような形になり,その後ろをコウギョウブライトとカプリフレイバーで併走。5番手はキモンルビーとティアラフォーカス。7番手にミゲルとビヨンドボーダーズとモズアンビリーバボー。この後ろのマッドシェリーは発馬後の向正面で前の9頭から離されていき,2馬身差でナガタブラック。最後尾のキャッスルトップも徐々にナガタブラックから離されていきました。最初の400mは23秒3の超ハイペース。
 コパノフィーリングとブンロートは併走でコーナーを回っていき,その後ろも変わらずにコウギョウブライトとカプリフレイバーで併走。カプリフレイバーの外からティアラフォーカスが追い上げてきました。直線に入るとコパノフィーリングとブンロートの間に進路を取ったキモンルビーが内外の2頭を差して先頭に。襲い掛かってきたのは大外のティアラフォーカス。一旦先頭のキモンルビーを差し切ってティアラフォーカスが優勝。キモンルビーが半馬身差で2着。盛り返してきたブンロートがクビ差で3着。
 優勝したティアラフォーカスは南関東重賞初制覇。ここ2戦は条件戦で連続2着という格下でしたが,前々走は重馬場だったとはいえ1200mを1分11秒5で走破していて,大井でこの時計は優秀なので,軽い斤量を生かしての勝利もありそうだと思っていました。1000mのレースに出走するのはこれが初めてだったのですが,デビューから1600mで4連敗した後,1200mで6馬身差の圧勝で初勝利を飾った馬ですので,むしろこの距離の方がよかったのかもしれません。2着馬とは2キロ,2着馬が牝馬だったということを考慮すれば実質は4キロの斤量差があっての優勝なので,スピード能力で同等まではまだいっていない可能性も残ります。母の父はフサイチリシャールアストニシメントメリージャパンの分枝。
 騎乗した大井の和田譲治騎手はゴールドジュニア以来の南関東重賞11勝目。船橋記念は初勝利。管理している大井の宗形竹見調教師は南関東重賞4勝目。船橋記念は初勝利。

 現実的に存在する人間の精神mens humanaのうちにある,あるいは同じことですが,現実的に存在する人間の精神の一部を構成しているある十全な観念idea adaequataが,存在することをやめることはないというのは,不条理なことであるように思えます。というのは,現実的に存在する人間の精神は,その人間が現実的に存在することをやめるなら,要するにその人間が死んでしまえば存在することをやめる精神であって,何らかの十全な観念がその人間の精神の一部を構成しているのであれば,少なくともその精神が存在することをやめると同時に存在することをやめなければならないからです。全体が存在することをやめるのに,その全体を構成する一部分は存在することをやめないというのは不条理でしょう。
 このこと自体はその通りです。現実的に存在するある人間の精神の一部を構成する十全な観念は,それもまた現実的に存在するとみられるべきであって,その限りではその人間の精神が現実的に存在することをやめるなら,それと同様に存在することをやめるでしょう。ただ,スピノザの哲学では,事物の存在existentiaは二通りに考えることができます。僕は,ある現実的に存在する人間の精神の一部を構成する十全な観念について,それが現実的に存在するとみられる限りでといういい方をしましたが,このあり方というのはその二通りのあり方のうちのひとつであって,それとは別のあり方というのがあるのです。
                                   
 二通りというのを基本的な仕方で示しているのは第二部定理八系です。すなわち事物というのは,Deusの属性attributumの中に包容されている限りで存在するというひとつのあり方があり,さらに時間的に持続するdurareといわれる限りにおいて存在するという別のあり方があるのです。このとき,十全な観念が現実的に存在するとみられる限りで存在するといわれるのは,後者のあり方です。しかしそれと同時に,その同じ観念は前者のあり方でも存在するといわれなければなりません。なぜならこの系Corollariumは,個物が現実的に存在するようになると,神の属性に包容される限りで存在することをやめるといっているわけではなく,そのように存在しつつ,現実的にも存在するようになるといっているからです。
コメント
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