スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

銀河戦&肯定の条件

2023-01-06 18:48:56 | 将棋
 12月27日に放映された第30回銀河戦の決勝。対局日は10月31日。その時点での対戦成績は藤井聡太竜王が3勝,高見泰地七段が0勝。
 振駒で藤井竜王が先手となって角換わり。先手の腰掛銀に対して後手の高見七段が4一に飛車を回り,その形から先手が仕掛けていく将棋。どうも後手の作戦はあまりうまくいっていなかったようです。
                                        
 第1図で後手は☖2三歩と受けました。この手が直接的な敗着になったようです。先手は☗4五桂と跳ね☖2二銀に☗1五歩☖同歩の突き捨てを入れて☗4四歩と押さえました。後手は☖8一飛と戻りましたが,これは作戦の失敗を認めたようなもの。先手は力を足して☗5五銀。
                                        
 第2図は中央を制圧して先手が大きくリードしています。後手としてはこの展開は避けなければならず,よって第1図では☖4四歩と受ける方がまだ頑張りがききました。
 藤井竜王が優勝。第28回以来となる2年ぶり2度目の銀河戦優勝となりました。

 スピノザも受動passioについてあるいは表象imaginatioについて,一定の肯定的評価を与えています。それが第二部定理一七備考です。ただそこでは,表象が人間の精神mens humanaの長所であることを肯定するaffirmareために,ひとつの条件が設定されています。それは表象が表象であることを知っているという点です。
 何度かいっているように,これはスピノザが虚偽falsitasと誤謬errorを厳密に分けていることと関連します。スピノザの哲学における虚偽とは,知性intellectusの一部を構成する混乱した観念idea inadaequataのすべてをいいます。表象像imagoは混乱した観念のひとつであり,かつ現実的に存在する人間の精神のうちにある混乱した観念のほとんどは表象像ですから,人間の精神にとっては,虚偽と混乱した観念はほぼ同じ意味を表すと解釈してそれほど問題ありません。ただ,ある人間の精神のうちに虚偽があることは,単にそれだけでみるなら人間の精神の欠点を意味するのではありません。表象像は基本的に第二部定理一七の様式,すなわち現実的に存在する人間の身体humanum corpusが外部の物体corpusに刺激されるafficiという様式を通してその人間の精神のうちに発生するのですが,第二部自然学②要請三により,人間の身体というのは多くの外部の物体から多くの様式で刺激されますから,人間の精神のうちにはきわめて多くの表象像が発生することになります。ただそれは人間の精神のうちに多くの虚偽が発生するということであり,それ自体で人間の精神の欠点というわけではありません。たとえば人間の身体ほどには多くの物体に刺激されない物体があるとして,その物体は人間の精神ほどには多くの物体を表象しないことになりますが,だからそうした物体の精神が人間の精神よりも優れているということは必ずしもできないからです。第二部定理一四は,ある物体の精神が事物を知覚するpercipere適性について一般的に説明していると解することもできますが,それでみれば人間の精神はその適性が高いのであって,適性が低い精神よりも優れているという見方もできるでしょう。
 ただ,虚偽を真理veritasと思い込むことに関しては,スピノザは否定的です。つまり,混乱した観念を十全な観念idea adaequataと思い込むことについては否定的なのであって,これが誤謬といわれます。
コメント
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