スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヤンググランプリ2022&存在の停止

2023-01-01 19:05:12 | 競輪
 28日に平塚競輪場で争われたヤンググランプリ2022。並びは吉田‐菊池の関東,山口‐橋本の岐阜,町田‐松岡の西国,犬伏‐石原の四国で寺崎は単騎。
 スタートは牽制になりましたが,吉田が誘導の後ろに入って前受け。3番手に寺崎,4番手に山口,6番手に犬伏,8番手に町田で周回。残り3周のバックの出口から町田が上昇開始。残り2周となったところで町田が吉田に並び掛けると,吉田は突っ張る素振り。しかしこれは素振りだけで町田が吉田を叩きました。この動きがあったために後ろは動くことができず,3番手に吉田,5番手に寺崎,6番手に山口,8番手に犬伏という一列棒状となって打鐘。そこから町田が本格的に先行。松岡と吉田の間,菊池と寺崎の間がやや開き,隊列が縦長になりました。ホームでは仕掛けがなかったのでバックに入って吉田が発進。バックの出口では町田を捲り切りました。直線では捲った吉田をマークの菊池が差し切って優勝。吉田が8分の1車輪差の2着に残って関東のワンツー。菊池を追う形になった寺崎の内に潜り込んできた山口が1車輪差で3着。
 優勝した長野の菊池岳仁選手は7月の宇都宮のFⅠ以来の優勝。グレードレースは初優勝。このレースは山口と寺崎が脚力では上位でしたが,周回中に何もできなかったため,その脚力を存分に発揮するには至りませんでした。無策だったといういい方も可能でしょうが,そうなったのは前受けした吉田が一旦は突っ張る構えをみせた後で町田を前に出し,なおかつ町田が発進したところですぐに追わずに車間を開けたからであって,その意味では吉田の巧みな走行が関東のワンツーという結果を齎したといえるでしょう。昨年はそれまでに優勝が1回しかなかった菊池にとっては,恵まれたレースだったという気がします。

 第五部定理四二備考の無知者について述べた部分で,スピノザは無知者は働きを受けるpatiことをやめると存在することもやめるといっています。ここの部分が何を意味しているのかを探求します。この点については『はじめてのスピノザ』の中で國分も詳しい説明を与えていますが,ここではまずこの部分の何が問題になるのかということから明らかにしていきます。
                                        
 Xが存在をやめるというとき,それはXが現実的に存在することをやめるということを第一義的には意味します。無知者というのは現実的に存在する人間ですから,第一義的には,無知者が現実的に存在することをやめる,つまりその人間の現実的存在の停止,要するに死ぬということを意味します。しかし当然ながら備考Scholiumのこの部分をこのような意味で解釈することはできません。つまり,無知者は存在することをやめるのですが,だからといって死んでいなくなってしまうわけではありません。むしろ現実的に存在する人間としては,現実的に存在し続けることになります。
 そうなると,無知者が無知者として存在することをやめるといっていると解釈することになりそうですが,これも正しい解釈ではありません。この場合は無知者として存在することをやめるなら,賢者として存在するようになるという意味でなければなりませんが,備考のこの部分は,無知者が無知者として存在することをやめて賢者として存在するようになるということを意味するわけではありません。むしろ無知者は,人間として存在し続けるだけでなく,無知者としても存在し続けると解釈する必要があります。つまり,無知者は相変わらず無知者として存在し続けるのですが,存在することをやめるといわれているのです。この部分にどう整合性をつけるべきなのかというのが,問題の中心となります。
 このことはその直前に,働きを受けることをやめるといわれていることと関係しています。つまりこの部分では,無知者が存在することをやめるということが,その無知者が働きを受けることをやめることとの関連で述べられているのです。働きを受けることをやめるとなぜ無知者は存在することもやめるかを考察していきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする