スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ヒューリック杯白玲戦&第一形態と最終形態

2022-10-08 19:04:35 | 将棋
 1日に奈良で指された第2期白玲戦七番勝負第五局。
 里見香奈女流五冠の先手で中飛車。後手の西山朋佳白玲が三間飛車での相振飛車。角が交換になる前に相向飛車となり,その後で先手から角を交換する将棋に。後手が少し損をしているように僕には感じられましたが,このあたりは勝負に影響するほどのものではなかったと思います。
                                        
 第1図から先手は☗8四歩。☖同歩に☗7四歩と取り込み☖同金に☗3一角と打ちました。飛車取りなので☖2五飛と逃げますが☗6四角成☖同金☗8四飛で十字飛車が決まりました。
                                        
 この後の展開からすると,第2図で先手が優勢で,先手玉も固くはないので手数はかかりましたが,そのまま先手が押し切った一局だったと思います。第1図から第2図の間で後手が変化することはできませんので,後手としては第1図の前に,2筋を継ぎ歩で攻めていったあたりで判断を誤っていたということでしょう。
 里見五冠が勝って3勝2敗。第六局は15日に指される予定です。

 弁証法がスピノザがいう個物res singularisの世界にだけ関係するかといえばそうとはいえないでしょう。ただ,弁証法が一般的な方法論であると主張するのであれば,それがスピノザの哲学における個物の世界でも貫徹されなければならないのは当然でしょう。そしてもし個物の世界に弁証法が貫徹されるのであれば,スピノザがいうような無限連鎖は発生しません。
 厳密にいうと,弁証法の過程が無限に連鎖するということはできます。弁証法の運動は無限に続いていくということはできるからです。ただし,スピノザの哲学における個物の原因causaと結果effectusの無限連鎖は,単に最終形態に向かって無限に連鎖するということを意味するのではなく,第一形態に向かっても無限に連鎖していくので,第一形態というものも存在せず,第一形態が存在しないのだから最終形態も存在しないという結論になるのです。これに対して弁証法は,最終形態に向かって無限に弁証法の運動が継続していくので,最終形態は現実的には存在しない,より正確にいえば最終形態は現実化しないというように規定することはできるのですが,第一形態がないということはできません。第一形態がないなら弁証法の運動が開始するということはあり得ないのですから,これは自明だといえるでしょう。しかし第一形態があるのであれば,それが現実化するかどうかは別として,最終形態というものがあると想定することができます。弁証法の運動は,第一形態から最終形態へと向かっていく運動であるといわなければならず,その運動が無限に継続していくのだとしても,第一形態から最終形態へと向かっていく,つまり第一形態からは徐々に遠ざかり,最終形態には近づいていくのは間違いないからです。
 これでみれば分かるように,弁証法というのは一般的に,第一形態から離れていくこと,最終形態に近づいていくことが,その運動自体の目的finisになっています。これは,ヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelの弁証法だけがそのようになっているというわけではなく,ヘーゲルの弁証法をスピノザによって修正しようとしたマルクスKarl Heinrich Marxの弁証法もそのようになっているということから明らかだといえるでしょう。つまり弁証法は,目的論的なのです。
コメント
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